「ぼっち・ざ・ろっく!」とないものねだりと金沢区民のリアルの話。
気付いたら「ぼっち・ざ・ろっく!」を全話一気見していた。こういうときCMのない配信はすごく便利だなあと。そして見るのが1ヶ月早ければ劇場版の前編に間に合い、1週間早ければ横浜DeNAベイスターズとのコラボグッズに間に合ったのにという、絶妙な間の悪さはオタクあるある。
私も金沢区育ちで、ぼっちちゃんと同じように大都会横浜の郊外で陰キャを極め、ぼっちちゃんと同じ理由で都内の高校に進学して、片道一時間半の電車通学をしていたので、彼女の闇なのか葛藤なのかわからないあれやこれやが「陰キャあるある」という言葉で片付けられないほどにリアルだった。そして目を見て話してくる人相手にはわかりやすく腰が引けるけれど、人混みや人波に委縮している様子がないのは、毎朝あの京急の特快で通学できる猛者だからという、地元解釈も一致である。しかもそこからラッシュの東横線と井の頭線を乗り継いで下北沢まで通っているのだとしたら、それはもう猛者オブ猛者でしかない。すげーよぼっちちゃん。
個人的には喜多ちゃんが気になった。誰にでも人当たりよく接することも、物事をそつなくこなせることも、なんならバンドでギターボーカルをやることだって、簡単にできることでもなければ、誰にでもできることではないのに、彼女はリョウさんやぼっちちゃんのような「単純明快な唯一無二」に憧れている。立場が違えば、ないものねだりの方向性もまた違うという話ではあるけれど、なんでもできると逆に何をしても評価されないところはあるので、喜多ちゃんも喜多ちゃんなりに苦労してきたのだろう。見えないだけで。逆にぼっちちゃんは唯一無二をこじらせているからこそ「普通」という響きに過剰な憧れ(と恐怖)を抱いているため、この二人はこじらせと自覚のなさの方向性が真逆なだけで、根っこは似た者同士なのかも。陽キャ陰キャという乱雑なくくりでは語れない魂の双子感。ちなみに、虹夏ちゃんとリョウさんの「もはや相方」な関係性は、カフェっ仔的には輝喜さんとカノンさんがまさにこんな感じなので、正直既視感しかない。あの鍋事件(2人が同居していた頃、カノンさんが「鍋を洗った」と嘘をついて汚れたままの鍋を放置してビラ配りに行き、当然のごとく怒った輝喜さんがカノンさんの携帯に鬼電をかけたけれど「あー、なんか鳴ってんなあ」でガンスルーされたという話)そのまま虹夏ちゃんとリョウさんに置き換えても成立する気、するもん。
アジカンの聖地だから金沢八景。ただそれだけの理由なのだろうけれど、金沢区には終電や終バスが異様に早いエリアもちらちらある。外に出る手段はきちんとあるのに、タイミングが合わない。不思議とぼっちちゃんとダブるエリアなのだ。そんな場所に、明らかに京急蒲田から流されてきたきくりさんがやってきて、琵琶島神社でたそがれとやさぐれと現実逃避のトリプルをきめていたぼっちちゃんと、シーサイドラインの高架下で路上ライブ。うん、なんかエモい。色々コミュニケーションを取る手段が発達しすぎて面倒な世の中だけど、人間関係の基本はフェイス・トゥ・フェイスなんだなと改めて。
地元の歯医者さんから「そろそろ定期検診においでよ」な葉書(可愛い猫ちゃんの写真つき)が届いたので、検診に行くついでに聖地巡礼をしてみようかなと。下北沢も最後に行ったのが世の中が緊急停止する前のDaizyStripperの夕霧さんバースデーまで遡るし、江の島も最後に行ったのは合唱団のレクリエーションで、気の合わない人間と食べるパンケーキは、どんなに美味しくても味がしないということを思い知らされた散々な一日だったし。よし、いろいろ塗り替えよう。口実があることほど、素敵なことってないからさ。