大事なことはすべてアンカフェが教えてくれた。
「可愛い」は誰のためのものでもなく、まず自分のためのものだと。
アンティック-珈琲店-というバンド名を聞いて「アンティックカフェ」とすらっと読める人は、私と同世代のバンギャルさんでしょうか。「カワイイ」を武器に「小生意気な若手枠」だった彼らも気づけば結成15年。そして現体制での活動終了という節目のライブを見に、六本木のEXシアターへ行ってきました。
バンドの解散やメンバーの脱退という「ピリオド」という意味合いの強い「節目のライブ」は過去に何回か見てきているけれど、終わった瞬間からじわじわと襲ってきた虚脱感で頭がぼーっとしたまま地元の駅まで戻ってきたのは初めてで、いかにこの約12年間彼らの作る音楽に救われていたのかを痛感しました。そんな状況にもかかわらず、デパ地下のステーキ弁当に百円引きのシールが貼られたのを見てからレジに持っていった自分の冷静さに、12年という時の流れを感じざるをえないというか、一周回ってその冷静さを褒めてあげたい。
「可愛くなること」がイコール気になる彼のハートを射止めるためだった時代、二十歳を過ぎてもV系バンドにうつつを抜かしていることを「二十歳越えたらオバンギャ、三十超えたらババンギャ、年下のバンドマンを好きになったらバンギャのあがり時」などと、あいさつ代わりに自虐しないと自分を守れなかった時代、ありのままの自分を愛す手段としての「可愛い」という概念を提示してくれたのがアンカフェでした。夢を叶えるためには自分を曲げなければいけないのかという悩みの真っただ中にいた私に、自分を貫く勇気をくれたのもアンカフェでした。メンバーも、ドラムの輝喜さんが「アンカフェって不思議な人しかいない」とおっしゃられていたぐらい個性的で、自分の好きと自分の音楽で人を楽しませるということをストイックに突き詰めていく人の集まりだったから、カフェっ仔と呼ばれるファンもまたしかり。女は若くてなんぼ、素敵な男性に愛されてなんぼという圧を受けて生きてきた私には「カフェっ仔にトシは関係ないですよ!好きなら全員カフェっ仔です!」という話が普通に出てくるこの現場の優しさがとにかく愛おしくて。
言われてみれば、確かに不思議というか「変わっている」のかもしれない。変人というほど突き抜けてはいないけれど「変わっている」自分を客観的に見て、自分の居場所はどこにあるんだろうともがいている人たちが、ステージの上にも下にも集まっているということに関しては。特にボーカルのみくさんは、そんなご自身とも、同じく生きることに悩んでいるカフェっ仔たちにも、いつも真正面からぶつかっておられたので、あの姿にいつも言葉にできない生きる勇気をもらっていたのだなあと。
そんな彼らを、あの5人を当たり前のように見られなくなってしまうことはとても悲しいです。とはいえ、彼らの最後の姿を見届けた後、帰り道で自分の中に自然と降りてきたものがありまして。
「自分の中に必要以上に他人軸を持ち込むのはやめよう」と。
数年前に、彼らがライブにドレスコードを設定したことがあったんですね。それは「当日メンバーが正装でおもてなしをするので、あなたが一番可愛いと思った服でおこしください」という、いかにも「アンカフェ」なものでした。人に可愛いと思われる服ではなく、まず自分が可愛いと思った服を着る。世界って、それだけで変わって見えるんですよね。
世間的には「うるさいよお前の人生じゃねえ」な干渉を受けやすい年齢だけど、それがどうしたと。私は今の自分に嘘をつく生き方はしたくないし、それがきっと未来の自分につながると信じています。自分のやりたい勉強をして、自分の着たい服を着て、行きたい場所に行く人生を生きる。そういう意味での「カフェっ仔マインド」は、一生持ち続けたいなと。そのためには何ができるだろう、何をするのがベストだろう。きっと一生そういう悩みはつきないんだろうけれど、それが私の人生だからと言えるようになったのが、ここ12年で私が一番変わったことなのかもしれません。そうやって自分からいろいろな場所に出ていけるようになって、触れるようになったもの、知ることができたもの、知り合った人たちが、今の自分の宝物です。
ありがとうは伝えきれない。感謝の言葉も伝えきれない。でもさよならは言わない。いつかどこかで、また会えることを信じて。アンカフェの皆さん、カフェっ仔さん、15年間お疲れさまでした。
僕は一生カフェっ仔します!
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