ギデンズと今後について。
最近考えてること。
1月です。私の参加している勉強会は年始年末はお休みしていて、1月中旬ぐらいから始まります。
ずっとお休みしていたからか、少し参加が億劫だし、何よりメンバーの内の2人が退塾予定で活動の継続が危ぶまれている状態です。
うーん、1月から考えることが多い…。
あと私的な事柄ですが、1月には共テと英検を受ける予定です。
どちらもそんなに勉強していないのですが、どうせなら自分の学力レベルを試してみたいと思い受けることにしました。
ちなみに英検は無料の試験で試して見たところ「予測スコア」595点。
私が受けて合格したいのは、英検1級。
つまり、945点~。
…先が遠くて思いやられます。
あと、できるだけ毎日社会学の本を読むようにしています。
最近読んでいるのは、アンソニー・ギデンズの『近代とはいかなる時代か?』
我々が今生きている近代以降の時代(ポストモダン)では、長年連れ添ってきたから、とか相手のことをよく知っているから、ではなく、貨幣や専門家の知識といった目に見えない他者への「信頼」によって社会が動いているとギデンズは言います。
つまり、時間も空間も飛び越えて誰とでも繋がれる時代に私たちは目に見える他者ではなく遠く離れて視認出来ないシステムや他者の知恵を借りて毎日を営んでいる…。
それは何だか私には寂しいことのようにも思えます。おじいちゃんやおばあちゃん、家族の意見より、全然知らない専門家やSNSの人間の意見によって自分の人生を選択していく。
感情や他者への思いやりより、信ぴょう性や知識、証拠が自分の決断において何よりの価値を持つようになる。
ギデンズがそう言っているわけではないけれど、後期近代が進むにつれて、私たちの人生の選択は顔の見える他者の思いやりや愛情ではなく、「その情報が確かか」「勝算があるのか、リスクはマネジメント出来ているのか?」といって機械的な思考によって為されていくんじゃないか、、
後期近代において近代化が徹底されることで、人は幸せになるのか、なるとしたらどんな生活のなかでどのような場面で幸せを感じるのか。
というか、この問題は私が考えるのには、手に余るのでは。
今日はこれぐらいにする。
おやすみなさい🪿