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「動物の尊厳」という話

私たち人間には一人一人に尊厳があります。
しかし、人間以外の動物には尊厳があるのでしょうか?
私たち人間は動物をぞんざいに扱っているように思います。
例えば、フカヒレはサメのヒレだけ切って胴体は生きたまま海に捨てるというシャークフィニングという方法で漁が行われています。
ヒレを切られたサメは泳げないので窒息死するか、別の捕食者に食べられるまで苦しみ続けます。
他にも、フォアグラ(ガチョウやアヒルの肝臓)はガチョウやアヒルを肥大化させるために口に無理やり金属パイプを入れ、強制給餌をします。
こうした生産環境はあまりにも残酷に見えます。
最近、こうした残酷な生産環境や動物を殺すことに反対し、動物肉は食べず野菜を食べるというヴィーガンと呼ばれる人が増えています。
しかし、もし、動物が自ら食べられることを望んでいる場合、ヴィーガンは「食べられたい」という動物に対して、食べないのは失礼になるのではないでしょうか?
そんなことを考えさせられる話があります。

宇宙船の事故で地球によく似た惑星に緊急着陸した主人公は、その星でミノアという少女に救出される。その星は、地球でいうところの牛に酷似した種族が支配する世界で、彼らは地球でいうところの人間に酷似した種族を家畜として育てていた。地球のウシと人類が逆転したような世界に唖然とするものの、主人公は美しく気立てのいいミノアに惹かれる。しかし、当のミノアはその家畜の中でも特に育ちの良い食用種で、最高級の食材「ミノタウロスの皿」に選ばれ、民衆の祭典で食べられる運命にあると知り、愕然とする。主人公は喜んで食べられようとするミノアを助け出そうと説得に奔走するが、彼女にも高官にもまるで話が通用しない。猶予が無くなり、光線銃を片手に強行手段を取ろうとするものの結局は救出できず、迎えの宇宙船に乗り込んだ主人公は、ミノアのその後を想像して泣きながらステーキを食べるのだった。
(wikipediaより)

こちらは藤子・F・不二雄のSF短編の「ミノタウロスの皿」という話です。
この話では人間に似た種族のミノアが自ら牛に食べられることを望んでいるのが印象的です。
この星では人間と牛の立場が逆転しただけで、牛が人間を食べることは、人間が牛を食べることと何も変わりありません。
もし、この星でも人間を食べることに抵抗のあるヴィーガンのような牛がいるとすればどうでしょうか?
ヴィーガンは動物の尊厳を守るために生産環境の悪さや、動物を殺すことに反対しています。
生産環境の悪さは、生産環境を改善すれば解決できる問題です(例:狭い小屋での飼育を放し飼いに変えるなど)。
そして、もうひとつの、動物の殺すことの問題ですが、AIが動物の鳴き声を翻訳出来るようになり、仮に動物が「食べてほしい」と言った場合どうなるのでしょう。
「食べないでくれ」と言ってる動物を食べることよりは、「食べてほしい」と言う動物を食べる方がマシなのは確かです。
他にも、バイオテクノロジーを使い食用の牛をつくりだすことが出来るようになればどうなるのでしょう。
痛みや感情を持たないように脳を取り除いた牛を生産できるようになった場合、その牛を殺すことは罪なのでしょうか?
脳を持たない牛を殺すことは、野菜を畑から引っこ抜くことと何が違うのでしょう。

まとめ
人は動物の脳を取り除くということに、動物の尊厳が失われると語れるのでしょうか?
自ら食べられることを望んでいるミノアと主人公が最後に食べたステーキは尊厳のある死だったのでしょうか?
そう考えると、動物の尊厳とは何なのかわからなくなってしまいます。

引用
https://www.amazon.co.jp/dp/4091920616/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_ZOh9EbWW10WHN

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