シリーズ想像力~マチズモを無灯火の夜ランナーにみる
陽が出ている時に走るのはこの酷暑において自殺行為だ。
ランナーにとって苦渋の季節である。
夏のランナーは夕日が沈みかけたころに湧き出す。
夜も隈なく光に照らし出されるランニングコースは稀だろう。
ある意味居場所がない。
私が走る河川敷の夜は、散歩老夫婦、カップル、楽器の演奏をする者、釣り人、なぜそこでマンガを読む?という高校生、海外コミュニティの謎めいた集いetc…で溢れている。
日中にはない活動がそこにはあって、もし日本のテレビドラマのように隅々まで照らし出されたら、その人たちはどこに追いやられるのだろうか。
幸いほとんどの地域は頼りない街灯がぽつんぽつんとあるだけで、ランニングコースであっても、そのほとんどが闇の中である。
闇夜のランニングは危険だ。
犬を散歩しているブリーダーはたいへんお行儀が良い。
十中八九、犬に80’sネオンカラー、緑・ピンク・黄色・青・白のLEDを身につけさせ、
自身の所在を他社にアピールしている。
そこには、暗闇で自身の行為が他者にどう見られているかという想像力が存在する。
そうしないと事故に巻き込まれるからだ。
一方、無灯火のランナーはどうだろう。
観測上、男性のほとんどはLEDやリフレクターを身に着けていない。
なぜだろう。
暗闇から、息を切らした汗だらけのむくつけき男が時速8~10キロの速さで急に飛び出してくる。
見えないし!予測できないし!こわ!キモ!うざ!
自身の行為が他者からどう思われるのか、想像すればそれなりの対策をするだろうに、
まったくアップデートの気配がない。
「いや、オレが、オレだよ?オレが走ってんだから、気づけよ、どけよ」
とでも思っているのだろうか。
誰もおまえのことなど見てない。
産まれた時から、走れば道は拓かれた。学校でも街中でも駅構内でもそうだった。
しかし道は自然に、自動的に開かれるわけがなく、「周囲が避けていた」のだ。
いやまだ、そう思っているなら改善の余地はある。
大概は、こういった指摘があっても「?」しかないのではないだろうか。
何を言われているのか分からない。まったくぴんとこない。何か間違えていたっけ?
とりあえず誤っとこうか。
一番怖い無関心。
そんなことを考えながら、体の前後にLEDを点滅させ夜走る私であった。
あー、もっと楽しいことを考えながら走りたい・・
Inspired by マチズモを削り取れ/武田砂鉄(2021.集英社)
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-771749-5