世間がにくいよ

実家のベランダにて喫煙していると、近隣住民による宴会の声が聞こえてきた。隣人卓も、私と同じ旧盆で帰省してきた者が多くいるようだった。

彼らの話に耳を傾けてみると、THE・世間話といった感じで、誰それの進退とか、「敬語が学べるので働くならナイチャーの社長の下一択!」みたいなローカルなあるあるの披露がされ、盛り上がりを見せていた。あとは、車とか家とかパートナーの話をしているようだった。

「おれ世間話できなくても仕方ないやんな」と思った。世間話のテーマとして挙げられるものにあまり興味がないこと、所属している世間がほとんどないこと、そもそも興味関心が似ている他者としか繋がりがないので、ただ偶然となりの席になったとか、隣の家に住んでいるとか、何の脈絡もない他者と触れあう筋肉自体が衰えているからだ。

地元に帰るたびに、世間話の難しさに疲弊していたし「バカどもが……」と内心悪態をついていたが、仕方がないことだった。というか、地元の世間に一切所属していなくせに、いきなり乱入してきて「おめえらつまらないちゃむよー!」っと仏頂面をしていること自体がおかしな話だと思う。

外来種は外来種らしい立ち振舞をしなければ、と思いつつもやっぱり憎いこともある。その世間の価値観でほかのものを裁いてしまうことは、自分が対象じゃなくても悲しい。

とかカッコつけていても、実情は自分の年齢やライフステージが変化して、ガッツリ裁きの対象になってきているからこんな恨み言を書くハメになっている。

学生の時などに、筋トレや読書など一見就活に役に立たないことに精を出していると「何目指してんの?」と言われることがあった。そのたびに逆上したものだが、それよりももっとシビアな、「で、今あなたのやっていることはどのくらい凄いことなの?」みたいな視線・空気が痛い。

資産・権力・知名度などで人が評価され、立派なやつと気の毒なやつに振り分けられていくこと、わかっていたけどやっぱり痛い。これがもう少しオッサンになっていくと、一切何の興味も持たれなくなると思うので、とやかく言われているうちが華であり、その頃成功したとて……みたいなこともわかっている。

本人は気にしていないが、うちの母親も心底可哀想で、私がちょっとばかり良い大学に入ってしまったがゆえ、悪目立ちした挙げ句(もちろん私や母を正しく評価して称賛してくれる大切にすべき人は多く存在している)、なんだかよくわからないライターとやらになってしまったので、「ざまあみろ!」の態度を幾度か浴びたようだ。面と向かって「大学なんて無駄」だと言われたこともあるらしい。(それを聞いた私は反知性的な何かがリアルでキター、とも思った)

本人は気にしていないが、私のパートナーも、彼女がイイ奴過ぎるがゆえに、理由のわからない私と新戸籍の創出をしたことに対して、なんやかんや思われることがあったようだ。(〇〇が好きで結婚してるなら良いよね!じゃねーよ、バーカ!!!

タイムリーなことに天下の大SNS・Xで「教養のないやつとの会話は苦痛」みたいなことを見かけたが、そういう話ではない。教養とかの話ではなく、属しているところが違っていて、その違う立場で対話するための体力や手法、言葉がどちらもないみたいなことだと思う。

このようなことは、いつの時代でも起きていて、何度も語られてきたことだと理解しているけれど、体験するとこんなにも痛いのだ。

そこそこ凹むし、めっぽう頭にくる。だからといって排他的になるつもりもなければ、好きなことを学んだり、書き続けることを辞めるつもりもない。グダグダ文句をたれたりメソメソしながらも、やりたいことをやっていくしかない。

どうにかそうやって生きていくために、せめてこういう場所では怒ったり悲しんだり、かっこつけたりさせてほしい。


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