落ちるな! 暗黒面

最近友人の紹介でお世話になった整体師の方に、「骨盤が広いのに無駄な緊張感がある、これが緩んだらもっとおおらかになれそう」と言われ、一旦その日は寝て、翌日ハッとした。

誰も差別はしたくない、受け入れたいという気持ちと、嫌でも目に入ってくる社会の邪悪さへの嫌悪、元々のコンプレックスとか捻くれたところから来る敏感なジャッジ性みたいなもの(こういうヤツはダセェみたいな)が相容れなくて心がすり減っているような気がしてなりません。

そういうボヤ〜っとした感覚を書いて残すことは、良い方にも悪い方にも作用して、そういう気持ちに整理がつく場合も、「俺って本当にそうなんだ」とより強固になっていく感じもあって、書くって難儀だなと感じます。

振り返ってみると、何かを知るたびにより感覚が過敏になり、以前は許せたことが許せなくなっていたり、他者とうまく話せなかったり(自分で話しているのではなく、自分の中で蓄えた何かを蒸気機関車みてーに燃料にして燃やし続けているようなシュッポッポ感)。

エンタメを見ていても怒りが込み上げてきて、全てにnot for me感を抱いてしまう。芸人さんがダラダラ喋るだけのYouTubeすら見ることができないので、末期です。

真っ赤なライトセーバーで何でも両断してやるぞという気持ちが湧き上がってくるようなダークサイド感に駆られています。マスター・ヨーダは、ダークサイドに落ちないように、これまでの修行や身につけてきたもの、枠組み(固定観念的なもの)を取っ払えとアドバイスをしていましたが、それもなんだかピンとこない。

ヨーダのことばを反芻しながら、書いていて思い出しましたが、例の整体の施術の時に「本当は勉強したくない。立派なことを知らなくてもそのままの自分が書いたもので食っていきたい」みたいな愚痴をこぼしていました。

それじゃん。自分が今後も過ごしていくであろう書き人生をより刺激的にしたくて、何でもかんでも詰め込むようにしていたけれど、本当は賢くなくとも生きてて良いし、書いていたっていいじゃねーかよ。それで食ってても文句ないだろうが、と思います。

これは人間のあるあるですが、やりすぎるとダメになりがちです。このままではいけない、ここではないどこかへ——の精神で生きているところがあって、何でも自分が満足いくまで楽しみ尽くそうとしてしまう。『モンスターハンター』の新作が出るたびに、全てを捨ててプレイしてしまって体調を壊して初めて「やりすぎやな…笑」と思うんですよ。

無論、何かを止めるつもりはさらさらないですが、もっと力を抜いて良い。そりゃ体までガチガチに緊張してしまうのも無理はありません。(ここまで書いたこと整体の先生に全部施術中に言われたが「そうっすかね〜……」と考え込んでいて何も頭に入ってなかった)

毎年、今年の目標みたいなものを立てて、1年経つと5、6回目標が変遷していくチャーミングな人間なのですが、残り3ヶ月の目標は脱力にします。毎年、毎月、毎週、ひどければ毎日のように言っていることややっていることが移り変わっていく自分がたまらなく好きです。

いいなと思ったら応援しよう!