はじめに
このマガジンは?
私は30代後半のITエンジニアです。
決して有名でもなければ、仏教に精通しているような人でもありません。
これから書くのは、そんなただの一般人が考えた一つの散文といっていいでしょう。
それでも、私は一つの決意を持って、自分の考えをここにしたためます。
少しでも感じ入ってくれる方があれば幸いです。
私はよく「死にたい」と思ってきました。
世の中で生きづらさを感じ、自死を試みたこともあります。
本数は少ないですが、私がnoteに投稿した拙筆を見ると、そこに私の苦闘が現れているはずです。
一人でも、このマガジンに記した文章から救いを感じてくれる人があれば、それだけでこの筆を執った試みは大成功と言ってよいでしょう。
このマガジンでは、仏教の開祖、お釈迦様(ブッダ)の話されたお言葉を、現代科学で解釈しようという試みです。
現代科学と言っても、その中身は中学理科か、深くなっても高校の履修範囲レベルです。
そのようなレベルくらいの学問知識だけで、お釈迦様の話される『真理』の姿、その一端を明らかにしたいと考えています。
大学の知識?いりません。
仏教や仏様に対する信仰?いりません。
私が学校で得た知識と、お釈迦様の言葉に対する考察を深めて得た気づきで、理性的に『真理』に近づくのが、このマガジンの目的です。
読んでほしい方
この文章を読んでほしい方、または読むのに適している方を明示しておきます。どれか一つでも当てはまったら、読んでほしいなと思います。
全人類(理想)
もちろんこの世のすべての方々が『真理』の姿を見ることができ、心が穏やかになるのであれば、それに越したことはありません。
仏教が目指す究極の理想は、すべての生命が心穏やかに、幸福となることですから、この文章がその助けになってほしいという思いもあります。
一方で、現実的にそれも難しいだろうということも承知の上です。「生きるのがつらい」と感じている人
私がこのマガジンを書こうと考えたのは、先述の通り私自身が「生きるのがつらい」と考えていたからです。
私がどのように心を楽にすることができたのか、そのエッセンスをこのマガジンにできる限り込めていきます。考えることが好きな人
このマガジンはお釈迦様の言葉を解釈して展開していきますが、その内容は決して文学的だったり、物語のようなものではありません。
現代の物理学や化学系といった学問の切り口で語りますから、感情的な話はかなり省かれます。
論理的に考えることが好きな人には、「なるほど」と思ってもらえるのではないでしょうか。
読むのに適さない方
逆に、以下のような方にはおすすめできないかもしれません。
今すぐ死のうとしている方
先述の通り、私はこれが生きづらい方に届いてほしいと考えていますが、一方でこれから語る『真理』は決してあなたに優しくはありません。
言葉は凶器にもなり得ます。
語る言葉の解釈を誤った結果、死ぬ決心がついてしまった…ということを私は決して意図しませんし、すぐに死ぬことを肯定することも決してありません。
あまりにも追い詰められている方は、落ち着いてお医者様に相談しましょう。お金もうけをしたい方
私はここで語る内容をお金を儲けたり、地位を向上させる意図では決して用いません。
経済というものにとらわれること自体、究極的には意味のないことだからです。(とはいえ、私もまだまだ修行不足で離れることはできていないのですが。)
なぜ「意味のない」と断じるのかは、私が語りたいことをすべて執筆し、それを読み切った方になら伝わってくれるのではないかと思います。神仏を強く信じる方
これから語る内容には、神どころか、仏さえも出てきません。
仏教を用いて語るにも関わらず、仏教でよく出てくる数多の仏様や菩薩様は絶対に出てくることはないでしょう。
「神(仏)をないがしろにするとは何事だ!」とお怒りになられる方は、その怒りを観察して修行していただくか、このマガジンのことを忘れられる方がよろしいでしょう。
一方で、私は神や仏を決して否定しませんし、それを信じる方々を否定することもありません。
人が救われる手段は、いくつあってもよいと思います。
神や仏を信じることで心が穏やかになるのなら、いくらでも信仰するべきだと考えています。
私が出会った原始仏教と、科学を結びつけるアプローチには、神や仏への信仰を必要としなかった、ただそれだけの話です。
このマガジンの章立て
このマガジンでは、次のように語る内容を展開していきます。
本筋として3章、まとめの1章を中心としますが、思いついたら番外編としてコラムを増やしていくかもしれません。
第1章では、お釈迦様の語った『三相』に焦点を当て、その言葉の解釈と整理を行います。
お言葉を納得するための事例に理科的な内容を混ぜ込むことで、「なるほど」という感想を補完することを狙っています。
第2章では第1章の前提から、人間の幸福についての姿を知ろうと試みます。
なぜ生きるのが苦しいのか、お釈迦様が見抜かれたその真の原因に迫り、結局どうするのが良いのかを考えていきます。
第3章は第2章で得た結論を使って、自分自身とどのように向き合うべきかを考察します。
『色即是空』などを現代の科学で解釈し、『自我』という幻想と向き合うための道しるべを書き出せたらよいなあと考えています。
基本的には第1章から順番に読んでいただき、読み飛ばすことはおすすめしません。
すべての語る言葉には、それを語るための背景があります。
『真理』を語ることが難しいのは、言葉というもの自体が、話者の考えを100%表すことができないからです。
私がこれから話す解釈すらも、お釈迦様の意図したものでは決してありません。
仏教に多数の宗派があるのも、お釈迦様の言葉をそれぞれのお坊さんが「私はこう考えた」と解釈したからです。キリスト教などの各種宗教も当然同じです。
私が書いた言葉の意味をできるだけ正確に捉えていただくためには、やはり第1章から順序通りに読んでいただくのが一番良いと思います。
また、タイトルや見出しはキャッチーに書くかもしれませんが、その真芯の意味はどうしても本文中でなければ語れません。
見出しだけで内容を判断し、解釈を誤ると、とんでもない誤解に繋がる恐れもあります。
マガジンを読むからには、できるだけ本文も時間をかけ、何度も読んでいただければ幸いです。
また、更新は不定期です。
決意を鈍らせないよう、できる限り早く執筆を進められるようにしたいと思います。
この記事を投稿したあとから、第1章の執筆を始めていきます。
論の展開については大筋はできていますが、筆の行く先がどのようになるのかは私もわかりません。
もし内容に疑問などを持たれた方や、内容に感じるものがあればぜひ各記事にコメントを残していってください!
建設的な議論は大歓迎ですが、一方で誹謗中傷や理性的でないコメントにはお帰りいただきます。ご容赦ください。
更新:少しでも正確な言葉を語るために、言葉のチョイスを上座部仏教の用語に寄せるようにしました。
ただし、基本的には原始仏教(上座部仏教系)の言葉を用いるものの、決して大乗仏教の言葉を使わないことはありません。むしろ納得感が増えるのであれば両者を混ぜて使うことをためらいません。ご承知おきください。
このマガジンは決して仏教の細かい内容をお話するためのものではなく、仏教にふんわり触れながら、読む方の心が楽になることを目指すためのものです。