メディアと世代交代
言葉の企画 2020 2回目!!
前回はマクラが長すぎたので今回はテキパキと。
はじめましての方は前回の記事も読んでもらえると嬉しいです!
前回の記事から、はやひと月。はや。
言葉の企画2020の第2回、ゲストはテレビ朝日の芦田太郎さんでした。
今回は個人的に?少し思ったところを書いていくので、講義の本筋自体からは少し外れるかもです。
言葉の企画の企画生でなくて、たまたまこの記事に辿り着いたって方は↓の「言葉の企画2020マガジン」を見て頂いた方が講義の総論にはたどり着けるかと……!
では、本題いきます。
結局、マスメディアってどうなるんだろね。という話。
いや、まあ僕みたいな小僧がこんなこと書いちゃってええんか…というのはヒシヒシ感じているし、いろんな代理店のいろんな専門チームがメディア動向の分析は行ってらっしゃるので、ココはあくまで「各論・自論」として読み流して貰えれば!
*こーばーは一応、「広告代理店のメディア担当」として働いていますが、以下に記載することは個人の見解です。念のため。
テレビですら「今は血を吐きながら作る時期」
これは今回の講座のゲストだった芦田太郎さんが仰っていた言葉。
番組のターゲットを下げたいのだけど非っ常に難しいそうで。
分かりやすく言えば、今のトレンドに合わせてお笑い第7世代とかYoutuberとかツモりたいけど、それをやると今ついてる視聴者が離れてしまう!どうすれば!!ということ。
ただでさえ若者のテレビ離れが進む中で、そんな若者たちを振り向かせたくても、いまいる視聴者も大事にしなきゃいけないジレンマ。
極論、「笑点」にEXITとかフワちゃんを捻じ込んでティーンの数字を稼ぎに行っても、元々のお客さんである高齢層は離れていく。
で、これが一番しんどいだろうなと思う現実があるのだけど、
ティーンに媚びる=ティーンの数字を稼げる、というわけではない。
だってウチらその時間はTikTokしてるし。
なんだかんだテレビは強いと思ってた
なぜ今回、僕がこの「視聴者の世代交代問題」に触れたかというと、
「ああ…結局テレビもそんな事態に陥るのか…」という絶望があったからなのです。
パソコン・スマホが出て、いつしか「テレビっ子」なんて言葉は死語になって、「マスメディアは総じてヤバイ」なんて言われて久しい。
でもテレビに投下される広告費は変わらずデカいし、何なら2019年まで総広告費はインターネットよりもなんだかんだ上回っていた。
*ビジネスである広告費と、番組のプレゼンスにおける制作の悩みをイコールで結ぶ、というのはいささかナンセンスな自覚はあるけど、
広告費=(クライアントから見た)媒体価値
=(広告の受け手・消費者から見た)番組・コンテンツそのものの価値
愛される番組はたくさんの消費者がつくよね、
たくさんの消費者に当てられるなら、広告もたくさん出しちゃう!
となり、“広告費”と“番組のプレゼンス”は繋がる面もあり、ご愛嬌で。
ということで、「マス四天王の中でも最強」なテレビまでもが「奴ら」と同じ悩みを抱えることになるとは…って感じなのでした。
その悩み、新聞とラジオは既に立ち向かっていたりする
話は変わりますが、皆さんは今でも新聞・ラジオに触れることはあるでしょうか。*特に若い世代の人たち
新聞は「実家暮らしだったときは…」とか「デジタル版だったら…」など、
ラジオは…まあいても、「好きなタレントの番組とかなら…」といった感じかと思います。
今更、「紙で新聞を読みニュースを読み取る醍醐味」とか
「昼間のAMラジオのトーク番組の温もり」を押し付けることはしません。
でも、新聞・ラジオから人々、とくに若い世代が離れていることは事実です。
それぞれのメディアの中身を紐解けば、それは誰にでもイメージできるはずです。
新聞は、良くも悪くも古くからのそのままで活字のお堅い内容であり、
ラジオは、タレント番組が多い夜~深夜帯、ではなく昼間の番組(特にAM局)を聴いてみて下さい。
「ああ、上の世代がターゲットなのだなぁ」と何となく感じるはずです。
そう、新聞とラジオは、既に世代が上になっていたのですが…
それぞれの手法で立ち向かっています。
お堅いことの何が悪い?突き抜けた“新聞”
歴史と品格を武器に新聞はブレることがないなぁと感じます。
偏向とかフェイクニュースといったイデオロギーな視点を抜きにして見れば、
やはり新聞は確固たる意志をもって情報を伝え続けることの価値をブラさずに保ち続けていると思います。
現代人にとっては新聞の刊まるごとのボリュームはしんどいものがあるので、サクッとデジタル版で済ませる人が多くなってきていますが、
紙面制作にあたっては一部文化面を除き、若年層に媚びることも少なく、“信念”のようなものを感じます。やはり質の高い情報を獲れることが多いので個人的には嫌いじゃないです。
ただ、そのせいもあり、読者層は昔から習慣的に取り続けている高齢者が中心となり続けてしまっているのが実情です。
その結果、新聞広告のレギュラーは6~7割ぐらいが健康食品系となっているように感じます。
(イベントごととか、大きな発表とかそういったものに絡めて時々イケてる広告が入るのも、また新聞ではありますが)
どうする三村社長 ただいま変革中 “ラジオ”
ブレない新聞に対して、世代交代を図ろうと模索しているのがラジオです。
その中でも私的な筆頭がTBSラジオなのですが…賛否両論なんですよね。
・1995年から24年続いた「荒川強啓 デイ・キャッチ!」を終了、
宮藤官九郎・尾崎世界観・DJ松永ら曜替わりパーソナリティの「ACTION」を2019年4月よりスタート
・ラジオパーソナリティで30年弱、これまた大物パーソナリティ宮川賢の「宮川賢のデートの時間でそ?!」を2019年いっぱいで終え、人気モデル藤田ニコルによる「藤田ニコルのあしたはにちようび」を2020年初からスタート
・大ベテラン久米宏による「久米宏ラジオなんですけど」は2020年6月で終了、フォーリンラブのバービーによる「週末ノオト」7月よりスタート
…とここ数年でベテラン→若い世代へのパーソナリティの世代交代を大規模に断行しているのがTBSラジオと三村孝成社長です。
上記の例を羅列すると無慈悲な老人切りのように悪く見えるのですが、
TBSラジオの連続高聴取率は続いていて、愚策なんて逆立ちしても言えないほどの成果を挙げています。
ただ旧来のリスナーからは、やはり不評なようで…
容赦のない喋り口で人気の講談師、神田伯山さんの番組
「問わず語りの神田伯山」(少し前までは「~神田松之丞」)には「往年のTBSラジオファン」からのクレームが時折寄せられていて微笑ましい限りです。
ただ何だかんだ言いつつも、その放送局のファンとして多くの根強いリスナーがいてくれる、という面でラジオっていいなと思います。
また世代問題を鮮やかに解決しているのが文化放送です。
正直、朝~夕方は上の世代の方々が好みそうな番組が続くのですが、
夜~深夜帯はアイドルや声優などサブカルなトピックの番組が並び、
「喋り手の世代交代による融和」でなく「時間帯で完全に区切る」という手法を取っていて、これはこれで興味深いです。
ついでに雑誌は…
もともと雑誌というのは最初からセグメント別に企画している「ターゲットメディア」であって、それこそ出版不況などと言われてはいるものの、世代交代の悩みは先の2メディアに比べると傷は浅いんじゃないかと思っています。
小学館ならCanCam→Oggi→Domaniといった感じに、同じ出版社の中で世代別に雑誌を刊行していますし、ファッション・カルチャーベースが殆どなので、受け手の方から自然とマッチした雑誌にたどり着くようになっています。
送り手が世代を意識するというより、受け手が雑誌を選ぶ、といった感じですね。
(実際は、元の想定ターゲットから乖離して云々などの悩みもあるようですが、長くなるので割愛)
ただ、僕は中々少年ジャンプからヤングジャンプへと変遷できずにいます。
で、結局どうなるのさ。
わかりません。が、今のマスメディア環境は変わるでしょう、とあらゆるところで見かけるものが長々と書いておいての結論です。
テレビに対して、先んじて世代の移ろいと対面していた新聞とラジオも、なるべくポジティブに書きましたが、結局はまだ荒波の中です。
単純にコンテンツの対象年齢を引き下げりゃいいってもんじゃない、ということだけは言えそうです。
だって世代問わず時代がデジタルシフトだから。
テレビならTVer、新聞・雑誌なら電子版、ラジオならradikoといった感じにマスメディアの形も変わってきているなか、一概にこうなるなんて言えないのが実態かなと。「いーや、2030年のマスメディア環境はこうなってるね」と深く研究している方がいれば各代理店にレクチャーしにきて欲しいす。
本当にここからの勝ち筋が見えづらくて困ってるんだから。
マスメディアの形が変わるからって、変化先に将来落ち着く保証は無く。
YoutubeやSNS、ネットニュースといったデジタルなコンテンツプロパイダーとの関係もあって、こっから先どう転ぶか難しい局面となってます。
YoutubeやInstagramに投下される広告費と比べると、TVer+radiko+各種電子版のそれはまだ規模も小さく、お金が付かなきゃ…ということで育てる動きもまだまだ遅い状況です。
既存のマスメディアをデジタルシフトさせたところで、個々の選好にマッチしたYoutube・SNSに競り勝てるかというと、ここは簡単ではなく。
やはり個人にあったコンテンツを選べるというところで惹きつける力は、人の原動力である欲望にも作用するので強いこと限りないです。
マスメディアに勝てるところといえばその規模を活かしたがゆえの、「空気を作る力」と「タレントのスター性」があったのですが、
ネット上での個々人の結びつきが強く大きくなった今では、SNSからマスメディアに流行を逆輸入することも多くなってきましたし、
色々と自由が利くのでしょうか、人気タレントがYoutuberになんてのも少なくありません。
radikoが「タイムフリー」なんてのをやっていますが、今後はまさにそれで、「場所」も「時間」も「好み」も選ばず、自分のペースでコンテンツを消費していくスタイルに変化する。すでにその予兆はあるような気がしていて、世代で単純に横に切っていくのではなく、「好み」などで縦に切っていくことも必要なのかもしれませんね。
いやあ…長くなりました。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。