光る街路樹を足速で歩く
イルミネーションは綺麗である。それは分かっているのだが、僕は見て見ぬふりをする。イルミネーションは誰の為にあるのかと、ときどき考える事がある。答えはわからないし、無いのかもしれないが少なくとも僕はその対象者ではない気がする。男性が一人でイルミネーションを眺めていたら周りの人はどう思うだろう。きっと可哀想な人だと思うのでは無いだろうか。あの人一人でイルミ見てるよと嘲笑するのでは無いだろうか。独り身の男性の大多数はイルミネーション観覧の対象から外されているのだ。だから、イルミネーションを見ると罪悪感が芽生える。見てはいけないものを盗み見ている感覚になる。もしかしたら僕のことなんか見えていないのかもしれないが、明かりを灯した街路樹を歩くときの悲愴感は耐え難いものである。
罪悪感、悲愴感、羞恥や辱めを受けたとき、人間は捻くれてしまうのだろう。負のエネルギーが生成される。あの時綺麗だと思っていたイルミネーションは一転して悪しき行事に変わってしまう。2022年の6月に政府は電力需給逼迫注意報を出した。電力は貯めておくことが難しいエネルギーであることは重々承知しているが、街路樹の何十メートルにも及ぶイルミネーションは電力の無駄遣いでは無いだろうか。生じる熱エネルギーは環境対して悪影響なのでは無いだろうか。そもそも電力需給逼迫の主な原因は環境破壊による気候変動だと言われているが、凍える寒さの中、イルミネーションを見ている大勢の人が、冷たい手を白い息でハーハーと温めるときに発生する二酸化炭素の排出量は如何程のものだろうか。あんなにも綺麗なイルミネーションが憎く無価値に感じてしまう程に捻くれた考えが出てくる。文章を書いている途中の自分がものすごく憎く感じた。
いつか街路樹のイルミネーションに立ち止まる事ができるのだろうか。
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