koki

自由律俳句と散文。 服、映画、読書、アート、音楽 ※文章は苦手です。

koki

自由律俳句と散文。 服、映画、読書、アート、音楽 ※文章は苦手です。

最近の記事

僕は無色で少し濁ってて

僕は無色で少し濁ってて。 自分の意思なんかほとんどなくて。 こう思われたいから、こういう服を着よう。あの人と一緒に歩いてて似合う服はこんな感じかな。今日は誰にも会わないからこの服でいいや。あの人が着るとしたらこんな感じの服かな。 あの人だったらどう考えるかな。あの人が見たらきっとこう思うだろうな。 他人が中心だけど、他人には興味ないらしくて。自分がどう思われたいかを考えるけど、そこに自分の意思なんかなくて。人間ってこんな感じかなって道化になってみるけど上手くいかなくて。

    • そんな事あると思ってるよね

       だってそんな事ない訳ないじゃん。 そんな事あると思ってるよね?確かにそうかもしれないって5%くらいは思ったよね?でも「そんな事ないよ〜」って言って欲しそうにしてるから「そんな事ないよ〜」って言ってくれてるんだよね。同情で。すごく気をつかわれている感じが伝わってくるんだよね。逆に傷つくっていうか。経験上分かるんだよね。僕もよく使うから「そんな事ないよ〜」って。ほんとにそんな事ないと思って使う事がほとんどだけどさ、使うよ、思ってもない時に。でも思ってもないのに言ってるのって相手

      • 自分の名前を思い出している

         「名前は?」咄嗟に聞かれると何も答えられない事が多々ある。 一瞬、自分の名前をド忘れする。「あ、僕の名前ですか?」とか、とりあえずそんなことを言って自分の名前を思い出そうと時間を稼ぐけれど、考えれば考えるほど頭が真っ白になる。その後すぐに思い出しはするものの、フルネームで言うのが適切か、それとも名字や名前で答えるべきかで悩んでしまう。  仕事上の付き合いであれば名字で答えれば何の問題も無いのだろうけど、友人関係やプライベートな場など、ラフなシーンではそんなに単純じゃない。名

        • 「気使わなくていいよ」に気をつかう

           僕は無色で少し濁っていて、自分の意思なんかほとんどなくて。 どんな色にも染まる事が出来るかもしれないけれど、発色はイマイチで。  あの人だったらこう考えるかな。あの人が見たらきっとこう思うだろうな。 他人が中心だけど他人には興味なくて。自分がどう思われたいかを考えるけど、そこに自分の意思なんかなくて。 あの人と歩いて、違和感のない服はこんな感じかな。あの人が着るとしたらこんな感じの服かな。今日は誰にも会わないからこの服でいいや。 自分がどうしたいかなんかわからなくて、他人が

          思い出したい景色と残っている感覚

           空に浮かぶ、綺麗なものを見に行った。 それが何だったのかが思い出せない。日が沈みきった静かな夜の空だったと思う。 満天に広がる星のような気もするし、空に漂うオーロラだったかもしれない。ただ月を眺めていただけの気もするし、けたたましく打ち上がる花火だった気もする。  音も色もないその世界で何を見ていたのか。季節も、温度も、感じる事ができない。本当はその空には何もなくて、目を閉じて夢想に耽っていただけだったのかもしれない。  曖昧な記憶はいつしか本当に起こった出来事であるのかも

          思い出したい景色と残っている感覚

          リップクリームの蓋だけが見つかった

           大切な人であるはずなのに、傲慢で不遜な態度をとってしまう事が多かったように感じる。コミュニケーションをまともに取ろうとせずに放棄していたのかもしれない。もっと耳を傾けるべきだったし、対話をするべきだった。最後に笑った顔を見たのはいつだっただろう。  後悔しても遅いけど、自分にとって大切な人だったんだと今更になって実感する。ことある毎にそんな後悔をする。この後悔は人生で何回目だろうと自問するほどに嫌気がさす。  もう元には戻らないかもしれないし、失くしてしまうかもしれない。け

          リップクリームの蓋だけが見つかった

          春の優しさが苦しい

           春という季節が苦手である。どこを見てもキラキラしいてる春という季節が。 門出の季節であり、新生活の始まる季節。春の出会いと別れは、悲しさや不安の中にも希望や期待などの前向きな感情が垣間見える。  そんな人間のポジティブな感情が光の屈折のように散漫し、反射し合い、キラキラと光を放っている。乱反射するようなキラキラと光る人間のムードに呼応し、祝福するような桜の花吹雪。暖かな気候と草木の柔らかい香り、肌に当たる生ぬるい風が、鬱陶しいほどに優しくて。  風も吹かない変化のない日常の

          春の優しさが苦しい

          待てど暮せど出て来ない珈琲

           注文から20分。運ばれてこない珈琲。  周りの席を見渡すと、次々とドリンクが提供されていく。アイスコーヒーならもっと早く提供されていたのか。自分がブレンドコーヒーを頼んだ事を後悔している。  長居するつもりはなかった。近くで待ち合わせがあったから入店した喫茶店。2月初旬の寒空の下、屋外で時間を潰すはしんどい、それに見に行きたいお店も無く、やる事がなかったので待ち合わせまでの小一時間、時間を潰すために入った喫茶店である。寒風で冷えた体を温めようと熱いブレンドコーヒーを注文した

          待てど暮せど出て来ない珈琲

          掃き溜めに吐いていく

           夜は掃き溜めのようだった。 幸福も不幸も吐き出せれたまま行き場を失くして漂っている。沢山の幸福や不幸が吐き出されていく。それは涙や吐瀉物と一緒に吐き出されることもある。 吐き出すことがむずかしい幸福や不幸もある。  吐き出すと少し楽になるみたいだね。漂っている幸福も不幸も朝、ゴミの回収業者が回収してくれるみたいに。吐き出すことがむずかしい幸福や不幸を吐き出す事ができたらどれだけ楽なんだろう。すぐに吐き出せる人はすごいと思う。僕は誰かが吐き出したものを見ているだけだ。  次の

          掃き溜めに吐いていく

          回想する井の頭公園

           井の頭公園を訪れたのはいつぶりの事だろうか。 学生時代には放課後にあてもなくそこに行き、どうでもよいような事を友人と語り合った。中身のある話なんてひとつも記憶がないのに、帰るのはいつも終電ギリギリだった。季節は今と同じ冬だったと思う。僕が初めてタバコを吸ったのも井の頭公園だった気がする。それが初めてだったからか、冬に吸うタバコが好きで、冬の寒空の下で吸うタバコはエモーショナルな感覚になる。夏には、当時好きだった子と他愛もない会話をしながら気づいたら朝を迎えたこともあったし、

          回想する井の頭公園

          忘年会で束の間の孤独

           忘年会は新宿の歌舞伎町で行われた。大人数での集まりが苦手にも関わらず、上司からの誘いを断り切れずに渋々参加をすることになったが、普段会う事がない人や、話したこともない人たちが大勢の飲み会は退屈で孤独である。  ほどほどに仲の良い人達とほどほどの話をして、お酒を飲む。人との会話が著しく苦手な僕は退屈で、人と話しながら心の中では孤独を感じている時がある。  会話の途中、ちょうど良いところで席を立ち、タバコを吸いに行った。喧騒から解放されて一人になった時、一人なのに妙な暖かさと安

          忘年会で束の間の孤独

          光る街路樹を足速で歩く

           イルミネーションは綺麗である。それは分かっているのだが、僕は見て見ぬふりをする。イルミネーションは誰の為にあるのかと、ときどき考える事がある。答えはわからないし、無いのかもしれないが少なくとも僕はその対象者ではない気がする。男性が一人でイルミネーションを眺めていたら周りの人はどう思うだろう。きっと可哀想な人だと思うのでは無いだろうか。あの人一人でイルミ見てるよと嘲笑するのでは無いだろうか。独り身の男性の大多数はイルミネーション観覧の対象から外されているのだ。だから、イルミネ

          光る街路樹を足速で歩く

          見知らぬ傷跡に慚愧の念

           起きて鏡に映る自分の姿を見た時に、見覚えのない傷がおでこに一つ。 飲み会で相当酔ってしまったらしい。 大袈裟に言ってしまうと、いつか見た映画「ハングオーバー!」状態だ。 お酒を飲み過ぎてしまった後悔と、何か良からぬ事をしてしまったのではないかと言う不安、そしておでこの真ん中に作ってしまった原因不明の傷が恥ずかしくて堪らない。  確か3軒目でカラオケに行った記憶がある。きっとそれが良く無かったのだろう。カラオケに行くとはっちゃけてしまう事が悪い癖で、その度に自分の行いを反省す

          見知らぬ傷跡に慚愧の念

          見栄張って少しだけ

           寝不足でとてつもなく眠たい。二日酔いで動きたくないくらい辛い。仕事が忙し過ぎて頭が回らないくらいヘトヘトだ。歯医者でのい治療が汗が出るほど痛かった。そんな時、気遣いの言葉をかけられると何故か反射的に「少しだけ」と前置きをしてしまう。  「昨日朝まで飲んでて仕事大丈夫だった ?」  「少し眠かったけどなんとかなったよ。若干二日酔いだったけど。」  「今日めちゃくちゃ忙しかったね、疲れたでしょ?明日ゆっくり休んでね。」  「少し疲れました、でも意外と大丈夫ですよ。」  「前

          見栄張って少しだけ

          無理してまでレジ袋を断った

           2020年7月1日から始まったプラスチック製買い物袋の有料化から早くも2年が過ぎて、もうすっかりビニール袋を見なくなった。  空高く、風に揺られて道路に舞うビニール袋。街路樹の植え込みに捨てられた、雨晒しのビニール袋。そんな姿が、今はもう懐かしい。  スーパーやコンビニで「レジ袋は要りますか」と言われると、買い物の量的に本当は欲しいのだが、世間体を気にして断ってしまう。エコバックを所持している事は常識である。世間はそんなスタンスである。残念ながら私はエコバッグを持ち歩かない

          無理してまでレジ袋を断った

          また同じ本を買ってしまった

           これで何回目だろう。また同じ本を買ってしまった。最近になって始まった事ではないが、自分の物忘れには呆れてしまう。  買おう買おうと思っていた本をたまたま書店で見つけて購入したが、既にネットで注文済みで、後日その本が自宅に届いた時にはっとするような事があったり、漫画の続きを買いたくて、書店に立ち寄り続きの巻から購入したつもりがダブってしまっていたり。物忘れというのは大抵の場合、買い忘れてしまう事が多いように思うが、僕の場合、本に関しては同じものを2冊、3冊と購入してしまってる

          また同じ本を買ってしまった