プリンセス・クルセイド #7 【ココロの試練】 1
アンバーは街の通りに立っていた。通りの両側には古びた家々が立ち並んでおり、石畳の道と相まって、どこかエアリッタの職人街を彷彿とさせる。抜いていた剣を鞘にしまい、アンバーはおもむろに歩き出した。歩いている最中、彼女は確信した。この通りは職人街ではない。
ここには人の気配が全く感じられず、石畳の道も所々で崩れている。時折脇道から吹く込む風はひんやりと冷たく、アンバーのブロンドの髪を弄ぶように揺らす。ここ空虚で、寂れているばかりの世界だ。活気溢れる職人街とはまるで違う。
アンバーはふと足を止め、頭上を見た。視線の先に重苦しい曇天の空が見える。この通りはあたかも、その空から降ってきた何かが積もって作られたかのような、そんな薄暗い雰囲気を醸し出している。
「……酷いもんだろ? まさに灰色の街って感じでさ」
「……っ!」
アンバーは声のしたほうへと素早く向き直った。そこにはジェダイトが、その長い前髪から片方だけ覗く黄色い目を細めながら立っていた。彼女もまた、聖剣を鞘に戻しており、何も持っていない右手で通りの一角を指差した。
「実際にはその辺でじいさんが座ってたりしたんだよ。……いや、あれはばあさんだったのか? まあ、さすがにそこまでは再現できないってわけだ……」
「何を――」
「チャーミング・フィールドってのはおかしなもんだねえ」
身構えるアンバーを無視して、ジェダイトは話を続けた。
「精神が反映される空間ってことだけど、こうもはっきりと過去が描かれるとはさ……」
「過去……?」
「ああ、ここはアタシの故郷なんだ」
訝るアンバーに対し、ジェダイトは手を横に広げて軽く頭を傾げてみせた。
「アンタのフィールドは荒野だったよね。でも、コヨーテに育てられたようには――」
「そんな話をしに来たんじゃないでしょう!」
もったいつけて話を続けるジェダイトを、アンバーは怒鳴りつけた。同時に、聖剣の柄に手をかける。
「おお、コワイコワイ。物騒なお嬢ちゃんだ。やっぱり荒野の生まれかな?」
無駄話を続けるジェダイトに、アンバーはすぐにでも飛びかかる態勢でいた。しかし、何故か柄を握る手が震え、剣を鞘走らせることができない。宿敵の眼を睨みつけるのが精一杯だ。
「そうそう、焦らなくても時間はたっぷりとあるんだ。いい機会だから、少しお話しようじゃないか。何かこう……お互いに質問しあったりとかさ」
ジェダイトは愉快げにそう言うと、黒髪を手で掻き上げた。まるで彼女も、アンバーが動けずにいることが分かっているかのようだ。
「……どうして貴女のほうから私たちの前に現れたの?」
アンバーはやむを得ず、ジェダイトの誘いに乗った。今すぐ斬りかかるという手段が取れない以上、現状を打破するにはそれしかなかった。
「いい質問だね。要はシトリンを――ああ、さっき太陽のプリンセスに負けたヤツな――そいつを探しに来たのさ。闘ってる間に、どうにも旗色が悪そうだったから、負けたらすぐに連れて帰ろうってな。居場所も分からず飛び出したわけだ。そしたら……」
ジェダイトはそこで一度言葉を切り、口の端を歪めた。
「そしたら、アンタたちが見つかったってわけ。別の急ぎの用があったわけじゃないけど……まあ、いいだろう?」
「狙いは私? それともメノウさん?」
「アンタばっかり質問してるねえ……」
そう呟くと、ジェダイトは大袈裟にため息を吐いてみせた。その姿は隙だらけで、やはりアンバーが攻撃に踏み切れずにいることを察しているようだ。アンバーは眉間にしわを寄せた。
「ま、いいか。アタシは両方とも狙っちゃいないよ。言ったろ、別に急ぎの用じゃないって。ただ――」
ジェダイトはおもむろに自らの聖剣に手を当て、ゆっくりと腰を落とした。アンバーの手の震えがぴたりと止まった。
「アンタはアタシが狙いだろう? というわけでさ……」
ジェダイトは剣を抜き放ち、レイピアの刃をアンバーに向けて刺すようにして構えた。
「来な! 真っ二つにしてやるよ!」
「ハアアアッ!!」
ジェダイトの声が合図となったかのように、アンバーの身体は動き出した。先程までの硬直状態とは打って変わって、足で力強く石畳を蹴り、剣を滑らかに抜き放ちながら、ジェダイト目掛けて横薙ぎに襲い掛かる。
「ハハッ、単純なお嬢ちゃんだ!」
ジェダイトは軽いバックステップでその斬撃を躱すと、空振りした剣目掛けてレイピアを突き刺そうとした。
「もらった!」
「くっ!」
アンバーは咄嗟に身を屈め、レイピアの打突を避けた。頭の上をジェダイトの腕が通過する。
「おっと、惜しかったか!」
「はあっ!」
ジェダイトは余裕を見せたが、今度はアンバーが彼女の隙を突く番だった。剣を振り上げ、無防備のレイピアの切断を狙う。
「させるか!」
しかし、ジェダイトは大きく飛び上がって攻撃を躱すと、アンバーの肩に足をかけた。そしてそのまま蹴るようにして再度の跳躍を決め、空中で前転しながら大きく間合いをとろうとする。アンバーは数歩よろめいてから、ジェダイトに向き直った。すると、ちょうど跳躍から後ろ向きに着地する彼女の姿が見えた。
「ハイヤーッ!」
その隙を突き、アンバーは斬撃波を発射した。太い光の束が空気を切り裂き、敵を呑み込みにかかる。これが決まれば、確実に勝負は決する。
「はあっ!」
しかし、ジェダイトはアンバーに背を向けたまま、光に呑み込まれる寸前に手近な家の壁に飛び乗ると、そのまま壁を蹴って三角飛びの要領で跳ね上がった。そして反対側の家の屋上に着地し、斬撃波の軌跡を見下ろす。誰もいない石畳の道の上を通った斬撃波は、しばらくそのまま空を切り裂いていくと、やがて拡散するようにして消滅した。
「なっちゃいないねえ、お嬢ちゃん。ただ撃ってるだけじゃ、せっかくの斬撃波も当たらないよ」
「くっ……」
屋上から侮蔑的な視線を向けるジェダイトを、アンバーは下唇を噛みながら睨み返した。
「……しかしまあ、そっちの必死さってのは伝わったよ。アタシも今みたいにうまいこと避け続けられるとは思わないしさ……」
ジェダイトはそう言うと、おもむろに聖剣を見せつけるようにして、体の前で斜めに構えた。
「特別に見せてあげるよ。アタシの……本気」
そして右手の人差し指と中指を立て、レイピア独特の細い刃を挟み込むようにして、柄の傍から掴んだ。そのまま、刃の先に向けてゆっくりと指を滑らせる。一見すると自傷行為ともとれる行動だが、ジェダイトは口元に妖艶な笑みを浮かべていた。刃は指の通り過ぎた部分から順に光り出し、遂には先端まで達する。その直後、刃の光が曇天の空を穿つように昇っていき、散り散りに拡散した。
「今のは……!」
その瞬間、アンバーは背中に悪寒が走るのを感じた。そして剣を持つ指先にわかにかじかみ、足が震え出した。吐く息は白く目に映るようになり、その息の先に、信じられない光景が見えた。
「そんな……」
通り中に――チャーミング・フィールドに雪が降り出したのだ。
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