プリンセス・クルセイド #1 【剣を持つ刻】5

 アンバーが目を開けた時、辺りには殺風景な荒野が広がっていた。見渡す限りの砂と岩が、地平線の彼方まで続いているかのようだ。正確に言えば、その地平線も、所々にある岩場のせいで途切れて見える。岩場の高さはまばらだが、二階建てから四階建ての家屋の高さほどのものが大多数で、あたかも舞台のステージのようにそびえ立っている。その上に広がる空は厚い雲に覆われていて、広大な景色とは裏腹に陰鬱なまでの圧迫感を醸し出す。

「ここは……どこ?」

 戸惑うアンバーの震える声をかき消すように、一陣の風が吹いた。着ている服がなびき、彼女の視界に入る。

「服が……変わってる?」

 その時初めて、アンバーは自分の服が変化していることに気づいた。白のエプロンドレスから、騎士のような出で立ちになっている。体にフィットするような白い布の服。肩からはマントが下がり、腰のベルトの脇に自分の聖剣が差されている。靴も革のブーツへと変わった。

「……ここはチャーミング・フィールド。戦いの場さ」

 どこからともなく声が聞こえた。さらに光の波動が正面から襲いかかってくる。アンバーは咄嗟に真横に飛び込み前転し、攻撃を躱した。波動は後方にあった岩場の側面に、ボール大の穴を残した。

「ほう、よく避けたじゃないか」

 皮肉が込められた声の主は、アンバーの目の前にある岩場の上に立っていた。ジェダイトだ。こちらも騎士のような姿をしているが、アンバーの姿と対比するかのように、こちらの服とマントの色が黒になっている。

「実際大したもんだよ。斬撃波を躱すなんてさ」

 ジェダイトの顔には不敵な笑みを浮かんでいた。その表情を見上げ、アンバーは身をたじろかせる。

「しかし、お互い妙なカッコになっちまったねえ。まあ、計画どおりにいかなかったわけだし、しゃあないか」

 ジェダイトはマントに触れてしばらく弄んだ後に、余裕を見せつけるように肩をすくめてみせた。

「……計画? 一体何の……」

「アンタは知らなくてもいいことさ」

 質問を遮り、ジェダイトがアンバーに剣を向けた。

「とにかく今は……闘うことだ」

「……」

 無言のまま、アンバーはおもむろに腰の剣を抜いた。そのまま振りかぶるように頭の上へと剣を持っていき、ゆっくりと体の中心に下ろして両手で構える。構え終わると、息を細く長く吐いた。

 まだ幼い頃、アンバーは工房に置いてあった模造の剣を振り回してよく遊んでいた。あまりに乱雑に暴れまわる彼女を見かねた父が、剣についての教えを授けた。初めに教わったことは、剣を持つならしっかりと構えるべきだということだ。

「……構えは悪くないな。だが……それだけじゃあ、勝てないよ!」

 ジェダイドが威勢良く岩場から飛び降りた。岩場は二階建ての家屋ほどもあったが、彼女は着地の衝撃をものともしない。そのままの勢いで地を駆け、アンバーとの間合いを詰める。

「……来ないでっ!」

 アンバーはジェダイトが間合いに入ってくる直前、闇雲に剣を横に振った。ジェダイトは急停止しながら、体を沈めて容易く回避する。アンバーの剣は、むなしく空を切った。

「甘いんだよ!」

 恫喝するような声を上げ、ジェダイトが身を屈めたまま剣を斜め上に突き上げた。剣を振った反動に耐え切るのが精一杯のアンバーに、避けるすべは無い。

「ああぁぁーーっっ!」

 未だ経験し得ぬ痛みが左上から全身を駆け巡り、アンバーは叫び声を上げた。あまりの衝撃に、涙を流すことさえ叶わない。

「……ふふっ、傷口は見ないほうがいいかもよ」

 ジェダイトの忠告を聞く間もなく、アンバーは反射的に自分の左腕に目を走らせた。

「う、腕が……」

 アンバーは呆然とした。左腕に、ジェダイトの聖剣が突き刺さっていたのだ。それだけではない。レイピア独特の細い刃の先端が、腕の反対側から突き出ているのだ。完全に貫通しているということだ。

「……あ~あ、見ちまった」

 ジェダイトが大げさに溜め息を吐いてみせる。

「どうして……だ、だって剣は」

「そうだな。その昔、魔物が世界に姿を現してから、剣は戦争の道具じゃなくなった……」

 現実を受け入れられず、混乱するアンバーを嘲笑うように、ジェダイトがもったいぶった解説を始めた。

「だが、コイツの場合は勝手が違う。このチャーミング・フィールドで、聖剣はその真の姿を取り戻す。つまりだ……」

 ジェダイトが剣を持つ手に力を込めた。アンバーの眼が恐怖で見開かれる。

「……こういうことも出来る」

 されるがままのアンバーの胸に足をかけ、ジェダイトは左腕に刺さった聖剣を一気に引き抜いた。

「ぎゃああぁぁっっーー!!」

 アンバーの叫びがチャーミング・フィールド中に響き渡った。小柄な彼女がその体に似つかわしくない大声を上げる姿は、あたかも赤ん坊が母親を求めて泣き叫んでいるかのようだった。

「うるさいねえ…… そんなに叫ばなくても、このフィールド内じゃ痛みは一瞬だ。血だって出やしない。見てみなよ」

「……?」

 ジェダイトに促され、アンバーは自分の左腕を見た。惨たらしく貫かれた筈の肘と肩の間とその先が、不気味に黒ずんでいる。

「ほらな? もっとも、その腕はもう使い物にならないけどね。今度は心臓を一突きさ。それで戦いは終わる」

 ジェダイトが剣を構え直し、再び刺突の姿勢を取った。

「お、終わるって……?」

 その姿を見て、アンバーは恐怖に震えながら剣を片手に構えたまま少しずつ後ずさった。

「あんたは私の下僕になるってことだ。そしてあの女も……」

「そ、そんな……」

 ジェダイトが焦らすように歩を進めて間合いを詰める。アンバーはその度に後ずさっていくのだが、ついに岩場の前まで追い詰められてしまった。

「あ、あ……?」

「さあ、どうする……?」

 ジェダイトが身を沈め、剣を持った腕を引く。狙いはアンバーの心臓だ。

「トドメだ!」

「嫌ーっ!」

 ジェダイトの剣が迫る瞬間、アンバーは思わずその場にしゃがみこんだ。剣が髪に触れるのを感じたが、先程のような痛みは無い。

「ちっ、往生際の悪い……次は逃がさないよ!」

 ジェダイトの悪態を聞き、アンバーは追撃に備えてその場を離れようと足に力を込めた。しかし焦るあまり、足が同時に地面から離れてしまった。次の瞬間、重力の感覚が無くなり、上から風に押し付けられるような奇妙な感覚を覚えた。

「……なっ?」

 気が付くと、アンバーは空中を飛んでいた。足の下にはジェダイトの姿と、先程まで壁となってアンバーの交代を妨げていた岩場。彼女は必死に体を動かそうとし、無我夢中でその上に降り立った。

「あらら、やんちゃだね」

 ジェダイトが呆れたような声を漏らした。それも無理のない話だ。岩場は二階建ての家屋ほども高さがあったのだが、そこにひと飛びで上がってしまったのだから。

「何、今の……?」

 当のアンバーも自分のしたことに実感が持てず、自分の体を他人のものであるかのように眺めている。

「よそ見すんなっての!」

 ジェダイトがその隙を突いて虚空めがけて剣を突いた。すると剣が光り輝き、刃の先から波動が迸っていく。アンバーはもう一度飛び退いた。波動は岩場に激突すると、側面をいくらか削り取り、土砂を辺りに撒き散らす。土砂が晴れた時、岩場に角があからさまにえぐれていた。これが斬撃波だ。

 しかしアンバーの姿は、既に岩場の上には無かった。彼女は岩場の反対側に降り立っていたのだ。

「……今のは一体……?」

 矢継ぎ早に起こる予期し得ない出来事の連続に未だ戸惑いはあったが、敵の姿が見えなくなり、アンバーは僅かに落ち着きを取り戻していた。呼吸を整え、もう一度左腕を見やる。相変わらず黒ずんではいたが、もう痛みは無い。力を入れることは叶わず、剣は握れない。まるで麻痺しているかのようだ。

「とっとと出てきな! どうせアタシには敵わない。アンタはアタシの下僕になるしかないのさ」

 岩場の反対側から、ジェダイトの声が響く。いずれこちらに襲いかかってくるだろう。

「どうしよう…… 闘い方なんて分からないし、あいつの言う通りにした方がいいのかな? でも……」

 混乱するアンバーの脳裏に、不意にメノウの姿が浮かんだ。自分を守るため、強力な魔術を使うジェダイトに立ち向かっていった。そんな彼女を傷つけまいとして、自分は剣を持って飛び込んだのではないか。みすみすジェダイトの思い通りになって良いのか。

「……そんなのダメ!」

 自分の脳裏に浮かんだ迷いを否定し、アンバーは叫んだ。その時、右手だけで持っていた聖剣が光り輝く。

「これは……?」

 光は剣から解き放たれたかのように飛び出すと、まるで柱のように真っ直ぐと上空へ伸びていった。

「……ん? 何だこの光は……」

 ジェダイトも岩場の反対側から光の柱を見た。やがて光が消えた後、岩場の上にアンバーが姿が現す。

「ようやくおでましかい? 随分と大げさだね」

 ジェダイトがアンバーの姿を見て頬を緩ませた。彼女は右腕を顔の前に掲げ、剣を構えている。

「潔く負けを認めなって。片手が使えないと、剣を構えるのも厄介だろう?」

「冗談じゃない。貴女の思い通りには……させない!」

「……生意気なガキだ……」

 思わぬ強気のアンバーに、ジェダイトは顔をしかめた。だがアンバーの方にも、勝算があるわけではない。これは言わば、破れかぶれの戦法だ。剣に宿っている光に、全てを託すことにしたのだ。

「どうやら覚悟を決めたようだね。なあに、死にはしない」

 ジェダイトもアンバー同様に剣を光らせ、腰を落とし、腕と足を引いて臨戦態勢に入った。

「こっちから行くよ!」

 叫びと共に突き刺された剣から、斬撃波が生まれる。先手を取られたアンバーだったが、同時にこの空間に来て以来初めての確信を得た。斬撃波の使い方を完全に理解したのだ。

「ハイヤーーーッ!!」

 気合の叫び共にアンバーは飛び上がった。ジェダイトの斬撃波を躱し、すかさず剣を空中で一閃する。思惑通りに刃の先から迸った斬撃波は、ジェダイトの放ったものよりも巨大で、人一人を飲み込んでも尚あまりある大きさだった。

「何っ! 斬撃波にこれほどの力が……!」

 驚愕の声と共に、ジェダイトの体が斬撃波に包まれる。やがてその光はアンバー自身をも飲み込み、空間全体がその中に収束していった。

#1 【剣を持つ刻】完

次回 #2 【太陽のプリンセス】



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