プリンセス・クルセイド #3 【心の剣】 1
ファムファンクの王家に三兄弟あり。
長兄のエイドリアンは勇敢で気高く、リーダーシップ溢れる若者だ。しかし彼の一番の魅力は、その慈悲深さにある。誰とでも分け隔てなく接し、思いやりがあり、国民を第一に考える。そんな彼のカリスマめいた人気は、国の宝だ。
次兄のアルバートは大柄で、屈強な見た目通りの力自慢だ。しかし彼の最大の長所は、日々の鍛錬を惜しまぬひたむきさにある。武芸に精進し、常に強さを追い求める。弱き者を助け、非道な者を追いやるための強さを。そんな彼に注がれる大きな愛は、国の誇りだ。
三男のラリーは知的で物静かな性格をしている。しかし彼の何よりの美点はユーモア溢れる言動だ。頭脳明晰で好奇心旺盛な彼だからこそ、心の平穏と笑顔の大切さを知っている。次期国王として多くを抱え込んでしまいがちなエイドリアンと、高みを目指すあまりに肩に力が入る傾向にあるアルバートが己を見失わずにいられるのも、ラリーに依るところが大きい。そんな彼の優しい微笑みは、国の夢だ。
しかし、ファムファンクの王にはもう一人子供がいた。
「……お兄様、行ってまいります」
その最後の一人、末娘のエリカが、城門の前で兄のラリーに頭を下げていた。まだ朝もやが立ち込める程の早朝のことだ。彼女の後ろには馬が一頭待機していた。
「本当にこのまま行くのかい? せめて、お母様にだけでも挨拶していかないか?」
ラリーの提案に、エリカは首を横に振った。彼女の赤みがかった波打つように豊かな髪が、頭の動きに合わせてたおやかに揺れる。
「いいえ、本当はラリーお兄様に見つかっただけでも不本意なのです。私はもう子供ではありません。自分で決めたことは、最後までやり遂げるつもりです。誰にも口は挟ませません。たとえお兄様と言えど」
彼女の黒い瞳には、決然とした輝きが灯っていた。彼女の意志の固さの表れだ。
「でもさ、大人になったからって他の誰かに心配かけていいってわけじゃないよ。それは分かってる?」
「ご心配なく、お兄様。あちらに着いたらすぐに手紙を送ります。そうすれば、誰も心配はしません」
エリカはそう言って微笑んでみせた。その表情は、ラリーが20年見てきた彼女の屈託のない笑顔となんら変わりなかった。
「……そうかい。じゃあ、それまでは僕が上手くごまかしておくよ。そうだな、寝坊しているとでも言えばいいか。君はいつもよく眠っているからね」
「もうっ、お兄様ったら……」
エリカはラリーを軽く小突くと、そのまま踵を返して颯爽と馬に飛び乗った。
「それでは改めましてお兄様、行ってまいります。帰ってくる頃には、私はお兄様の一番の自慢となっていることでしょう」
「……行ってらっしゃい」
ラリーが見送りの言葉を言い終わるか終わらないかのうちに、エリカを乗せた馬は風のように走り出していき、あっという間に姿が見えなくなった。
「一番の自慢になっている、か……」
後に一人残されたラリーは、城へと戻るべく城門を開きながら、静かに独りごちた。
「……あの子は何も分かってないね」
門をくぐり抜け、元通りに閉め直すと、ラリーは一つあくびをしてから城に向かって歩き出した。もうすぐ兄のアルバートが目を覚ます頃だ。鶏が時を告げる声と、彼の目覚めの雄叫び。今日はどちらが先に聞こえるだろうか。
「……やはり行ってしまったか」
しかし、朝もやの中から聞こえてきた声は、鶏のものでも次兄のものでもなかった。
「……見てたんならさ、一緒に止めてくれないかな~って」
突然目の前に現れたエイドリアンに、ラリーは冗談めかして文句を言った。
「止めても無駄だろう。いや、そうしていつも止められてばかりの毎日が、エリカは一番嫌だったんだ」
「さすがはエイドリアンお兄様。よく分かっていらっしゃる」
ラリーがエイドリアンの肩に手を置くのとほぼ同時に、城から叫び声が聞こえてくる。
「うおっしゃーっ!」
「……今日はあいつの勝ちか。このところ快調だな」
「いや、実は今月負け越してるんだ。あと三日は連勝しないと五分には戻らないね」
ラリーが笑うと、その直後に鶏の鳴き声が聞こえた。今日は兄弟全員がかなり早起きしたことになる。なかなか珍しいことだった。
(……これは果たして吉兆か、それとも……なんてね)
ラリーはまた一つあくびをすると、エイドリアンと連れ立って、今度こそ城の中へと戻っていった。彼のたった一人の妹の身を案じながら。
末娘のエリカは麗しく、清らかな心の持ち主だ。しかし彼女の最も際立った特徴は、その気の強さにある。優秀な兄たちに囲まれて育ち、常に彼らを立ててきたけれども、自分の意志までは曲げたりしない。しかしそれでも、時として兄たちに劣等感を抱くことがある。そんな彼女の生き様は、国の何なのか。彼女はまだ知らない。
だから目指す。国に代々伝わる聖剣を脇に差し、決戦の地ウィガーリーを。
2へ続く
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