プリンセス・クルセイド 第2部「ザ・ナイト・オブ・ヴァンパイア」 #4 【月夜に嘲う】 5

 リビングに備えられたソファに腰掛け、腕と足を組みながら、イキシアは静かに時が来るのを待っていた。隣のダイニングに併設されたキッチンからは、時折油の弾ける音と調理器具が重なる音が聞こえる。立ち込めてくる香りが鼻をくすぐり、食欲を刺激してくるが、イキシアは眉ひとつ動かさず、リズムを取るように指とつま先を僅かに動かすだけだ。

 テーブルを挟んで向かいに座るカーネリアは、微動だにせず押し黙っている。その姿からは、幼い見た目からは想像できない程の迫力が滲み出ていた。彼女もまた、イキシアと同じ様にただ時を待っているのだ。

「……アンバー、もうやめないか」

 キッチンから声が聞こえ、イキシアはそちらへ視線を向けた。そこでは一心不乱にフライパンを振るうアンバーと、それを心配そうに見るメノウの姿があった。

「君の気持ちは分かる。だが、こんなことをしてもしょうがないだろう?」

 メノウはそう言いながら、食卓に視線を向けた。そこには肉を中心とした料理が所狭しと並べられていた。

「メノウさん、手が空いているならお鍋を見てください。もうすぐカレーが出来上がると思いますので」

「話を聞かないか!」

 作業を止めないアンバーの腕を、メノウが強引に掴んだ。

「タンザナはヴァンパイアだ。いくらもてなしたところで、今までどおり仲良く暮らしてなんてくれない」

「そんなことは分かってますよ!」

 アンバーが怒鳴りながら、メノウの手を力任せに振りほどいた。それを見て、イキシアはわずかに片眉を吊り上げた。

「でも、私はタンザナさんに返ってきてほしいんです! 一緒に居たいと思って何がいけないんですか!」

「アンバー……」

 振り返ったアンバーの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。それを見たメノウが動揺を見せる中、アンバーがさらに捲し立てる。

「タンザナさんは初めて会った時にシンシアの代わりに怒ってくれたんです! 私がジェダイトに捕まった時も助けに来てくれた! イキシアだって分かってるでしょう?」

「……ええ、そうですわね」

 突然話を振られて不意を突かれたが、イキシアは務めて冷静に返答した。

「ですがアンバー、彼女にはそれ以上に危険な兆候も見せていますわ。無闇に信じるのは危険です」

「そんな、イキシアまで……」

 アンバーは縋るような目つきでカーネリアへと視線を向けた。イキシアはそれを無謀な試みと感じたが、本人もそれは分かっているようだった。カーネリアは視線に気が付くと、おもむろに口を開いた。

「アンバー、ヴァンパイアがどうして人の姿をしてるか知ってる?」

「知らない……けど」

「人間の世界に溶け込んで、おそいやすくするためだよ。今のアンバーみたいにね」

「そんなこと……」

 アンバーは絶句したように息を呑んだ。イキシアはその姿に違和感を覚えていた。出会ったばかりだというのに、彼女はなぜこうもタンザナに固執しているのだろうか。そう考えていると、今度はメノウが口を開いた。

「アンバー、実際にガーネットが襲われているんだ。首筋に噛みつかれて、血液とバイタルを吸われたらしい」

「そんな……でも、タンザナさんは」

「本心からそんなことをしているとは限りませんわ」

 イキシアはほとんど反射的に口を動かしていた。未だ考えがまとまらないうちに、彼女は自然とアンバーに味方をしていた。

「あの方がヴァンパイアかどうかはこの際どうでもよいことです。大切なのは、彼女の行動の理由を突き止め、あの狂気が続くようなら、それを阻止することですわ。違いますか?」

「……そのとおりだね」

 カーネリアはそれだけ答えると、また静かに押し黙った。イキシアはアンバーがこちらを見つめているのを感じたが、あえて視線を合わせずに無視した。アンバーに対して抱いた違和感を、自分自身に対しても芽生えていたことに気が付いていたからだ。

(……あまり良くない傾向なのかもしれませんわね……)

 心の中で自嘲気味に呟いた時、玄関の呼び鈴が鳴った。程なくして勢い良く扉が開かれ、この場の全員が待ち詫びた存在が姿を現した。

「ごきげんよう、皆さん! 約束どおりお別れの挨拶に来たわ!」

 薄紫色の髪を風に靡かせ、威風堂々と声を挙げたタンザナの瞳は妖しく金色に輝いていた。そして微笑みを湛えた口元に光る牙を見て、イキシアは確信した。彼女は今まさに、恐るべき怪物と対峙しているのだと。

6へ続く

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