プリンセス・クルセイド #3 【心の剣】 7
エリカは広い空間の中に立っていた。地面はきめ細かな白砂で覆われ、三方を壁で囲まれている。全体としては長方形になっている空間で、周囲に人の影は無い。壁で囲まれていない方面、長方形の長辺の片側には、荘厳な屋敷が建っていて、そこからエリカの立っている場所まで石造りの階段が伸びている。この空間は、あの屋敷の庭といったところだろう。上階には展覧席のような手すり付きのバルコニーがこちらにせり出しており、そこには誰も座っていない椅子が数脚備え付けられている。しかし、この庭に上から見下ろしてまで見物するべきものは見当たらない。せいぜいが、長方形の短辺側の両壁際に植えられた大木くらいのものだ。これほどまでに殺風景な庭が、一体何のためにしつらえられているのだろうか。
「……さながら、御前試合の会場と言ったところですわね」
後ろから聞こえた声に振り返ると、イキシアが周りを見回しながら立っていた。
「つまり、ここが貴女のチャーミング・フィールドですのね……」
イキシアはそう呟きながら、屋敷のバルコニーにある椅子に視線を走らせた。エリカもつられてそちらを見やると、中央にある一段と華やかな椅子に目が留まった。おそらく、玉座か何かだろう。こうして離れた位置からでも、その威厳が見て取れる。
「成程、そのとおりかも知れませんね」
イキシアが独り言のようにして、バルコニーへと目を向けたまま、また呟いた。その声には妙に感心した響きがあった。エリカはその響きについて彼女に尋ねたい衝動に駆られたが、代わりに無言のままゆっくりと剣を抜き、イキシアに先んじて戦闘態勢に入った。
「……エリカ、考えてみたのですけれどね。わたくし達、少し焦り過ぎなのでは?」
エリカに視線を移したイキシアが、出し抜けに提案してきた。
「どういう意味ですか?」
エリカは警戒しながらも、今度は口に出して尋ねた。イキシアの剣は腰に差されたままで、未だに構えようともしていない。
「お互い熱くなって、大事なことを忘れてしまう。それはもったいないと思いません?」
イキシアはそう答えると、大袈裟に両手を広げてみせた。
「御覧のように、ここは何やら厳粛とした空間。そこで御前試合となれば、それ相応の礼儀に従って闘うべきなのでは?」
「……どこか、貴女らしくありませんね」
イキシアの言葉を受けて、エリカは訝るようにこぼした。
「誇りですわよ。正面切って闘う以上、お互いに後悔しないようにしませんと……そうでしょう?」
「ああ、それなら貴女らしいです」
エリカは納得した。それはイキシアの口から彼女らしい言葉が飛び出したからではなく、その茶色の相貌から放たれた視線が射るようにして突き刺さってきたからだ。その視線を崩さぬまま、イキシアは体の側面を屋敷に見せるように歩き出し、エリカも一旦剣を下ろし、彼女に倣ってお互いに向き合うように間合いを取りながら移動した。二人ともが、大木を背にした格好だ。
「……それではいっそ、お互いに名乗りを上げてから闘いましょうか?」
エリカはそう提案しながら、再度剣を構え直した。そして反撃するようにして、イキシアに鋭い目を向ける。
「ええ、いいですわね。お互い知った仲ですが、ここは形式に従っていきましょう」
イキシアは答えながら、余裕たっぷりに微笑んでみせた。だが、その眼差しは尚も鋭く、エリカの視線を受けて立つ。
「私の名はエリカ・フリードリッチ。ファムファンク王家長女……三人兄がいますが」
エリカの名乗りはやや尻切れトンボに終わった。それを聞いて、イキシアの口元が僅かに緩む。
「わたくしの名はイキシア・グリュックス。人呼んで太陽のプリンセス……」
イキシアがここでようやく剣を抜いた。そのまま静かに構えつつ、さらに名乗りを続ける。
「……マクスヤーデン王家長女にして、王位正当継承者。弟が一人いますわ」
名乗り終え、エリカを見据えた刹那、その視線が獲物を狙う蛇のように一段と鋭くなった。その瞬間、胸を鷲掴みにされるような感触を覚え、エリカはわずかにたじろいだ。
「どうしましたか? まさか、ここに来て脅えていますの?」
イキシアが挑発めいた言葉を投げかけた。この調子で睨み合いを続ければ、いずれ彼女に呑まれてしまう。そう感じたエリカは、一瞬地面に視線を落とした後、前方に駆け出し、機先を制すべく一気に間合いを詰めた。
「はあっ!」
気合いを込めた叫びと共に剣を振りかぶり、左足で踏ん張ると、その勢いで上から振り下ろした。
「甘いですわ!」
イキシアが剣を横に倒し、頭上に掲げてエリカの剣を弾いた。反動で腕を跳ね上げられたエリカだったが、この程度は想定済みだ。
「やあっ!」
踏み込んだ左足に今一度力を込め、今度は横薙ぎの斬撃を繰り出す。
「させませんわ!」
イキシアもこれに瞬時に反応した。剣から片手を離すと、脱力したように刃が下向きに下ろされる。そこを襲ったエリカの斬撃は、彼女の剣を弾き飛ばすかのように思われた。しかし、刃が触れ合った瞬間、エリカは腕に重みを感じ、再び剣が弾かれた。衝突の瞬間、イキシアは剣を両手に持ち直していたのだ。
「でえりゃあ!」
さらにそのままでは飽き足らず、およそプリンセスらしからぬ声を上げると、イキシアが体を横向きに一回転させながら蹴りを繰り出した。
「くっ!」
エリカは反応することができず、腹部付近に直撃を喰らい、そのまま後ずさった。その隙を逃さず、今度はイキシアが剣を振るう。
「さあ、覚悟なさい!」
イキシアの剣は、右手の先に下げられたエリカの剣をへし折りにかかっていた。だが、これがエリカに幸いした。エリカは標的から外れた自らの体を強引に捻り、左方へと飛び退いた。そして紙一重で斬撃を躱すと、すかさず飛び起き、バックステップで間合いを取る。
「ふうーっ……」
一つ長い息を吐きながら、エリカは剣を構え直した。蹴りを受けてからの体捌きは、彼女の人生において初めての経験であった。現実世界ではこうも素早くは動けないだろう。だがここは己が魔力、すなわちバイタルが全てのチャーミング・フィールド。魔術の心得があるエリカならば、多少なりとも無理が利く。
「悪くないですわね、エリカ。もっとも、そうでなくては面白くありません」
イキシアが余裕をもってこちらを振り向き、不敵に笑った。その余裕も当然だ。魔術の心得があるのは、何もエリカだけではない。バイタルの面で言えば、二人はおそらく五分と五分。お互いプリンセスとして、剣術の嗜みもまた互角。と言いたいところだが、このような闘いでは型破りなイキシアの方に分がある。御前試合というのは、あくまで二人の間での冗談のようなやり取りだ。このプリンセス・クルセイドの戦闘形式に、作法などは存在しない。
「……さて、どうしましょうか」
エリカは思案のきっかけを作るように一つ呟いた。すると突如として、脳裏にある直感が浮かんだ。閃きが如く現れたその感覚は、彼女に予言めいた啓示を授けると、また一瞬の内に消えていった。
「……いいでしょう」
しかしエリカは、その啓示を受け入れるように呟くと、剣を持つ手にバイタルを込めた。すると、にわかに刃が輝き、やがてその輝きが剣全体を包み込んだ。
「聖剣の能力……ここで発動するのですね」
警戒するイキシアの声が、遥か遠くに聞こえる。やがて光が晴れた。エリカが手元を見ると、そこには炎を纏った剣が顕現していた。
「……エレメント」
エリカの口からこぼれた言葉はそれだけだった。しかし、彼女の驚きを表すにはそれで十分だった。
「何故、炎の魔術を? この空間にエレメントは存在しないはず……」
イキシアもあからさまに動揺していた。彼女は己の聖剣を構え直し、宙に向かって振った。おそらくはなんらかの魔術を行使しようとしているのだろう。だが、何も起こらない。彼女の言うとおり、このチャーミング・フィールドに魔術の源となるエレメントは存在しないのだ。
「……ということは、それが貴女の聖剣の能力……」
イキシアが剣を構え直した。それまでの余裕は消えていた。エリカは決然として振りかぶり、炎を纏った剣を振り下ろす。
「はあーっ!」
剣から炎が迸り、鷹のように飛んでイキシアへと襲い掛かる。
「はっ!」
イキシアは咄嗟に射線から飛びのき、炎を躱した。炎はそのまま飛び続け、後方にあった大木に燃え移る。
「……結構お熱いですわね」
イキシアが四つん這いになった着地の姿勢のまま、燃え盛る大木を見上げて呟いた。
「それは貴女も同じです」
そう答えながら、エリカはイキシアに向き直って二撃目の構えを取った。その瞳に、こちらも剣から燃え移ったが如き炎が、己が敵への予言めいて映る。
「……しゃらくさいですわ」
そう呟くイキシアには、最早一分の余裕も見受けられなかった。
8へ続く