プリンセス・クルセイド #2 【太陽のプリンセス】2
アンバーが目を覚ますと、目の前は真っ白だった。おぼろげな意識が回復してくるにつれ、そこが自宅のリビングであることに気がついた。目の前にあるのは天井だ。彼女はソファに上に横たわっており、体の上には普段ひざ掛けとして使っている布が掛けられている。しかし何故か、服はエプロンドレスのままだ。
「……私、どうして?」
「起きたようだな」
突然どこからか声が聞こえて、アンバーは咄嗟に身を起こした。すると、赤毛の少女がこちらを見据えているのが目に留まった。
「メノウさん……」
「随分と魔力を消費したみたいだな。まあ、ジェダイト相手じゃ無理もない」
メノウはそう言ってアンバーの隣に腰掛けた。
「ジェダイト……」
メノウの言葉を反芻するように呟くと、アンバーは徐々に記憶を取り戻した。父を攫ったジェダイトと聖剣で切り結んだ直後、彼女はチャーミング・フィールドという謎の空間に飛ばされた。空間内でジェダイトに痛めつけられたものの、最後は斬撃波という魔術のような波動をジェダイトに浴びせた。記憶はそこまでで途切れてしまっている。
「そうだ、お父さんは……!」
辺りを見回すと、柱のように立つ水晶がアンバーの目に飛び込んできた。その中には、ジェダイトのよって閉じ込められてしまった父の姿があった。
「私の魔力では魔術を解くことが出来なかったんだ。ここに運んでくるまでが精一杯だった。本当に申し訳ない」
「……それで、ジェダイトは?」
アンバーはメノウの謝罪の言葉には耳を貸さなかった。父の話題が広がるのを避けたかったのだ。
「逃がしてしまった。どうやら、君と闘ってもそれぐらいの力は残っていたらしい」
「そうですか……」
しかしそれでも、メノウの言葉はろくに耳に入らず、視線は父に釘付けになってしまう。
「……力になれず、すまない。結局私は、君を救えなかった」
「……そんなこと……ないですよ」
アンバーはほとんど上の空だった。しかし、メノウの声に落ち込んでいるような響きを感じ、なんとか言葉を繋ごうとした。
「貴女がいてくれたから……私はジェダイトに立ち向かえたんです。父もこうして……こうして……」
自ら父の現状に触れてしまうと、アンバーの視界が急に霞んできた。声が勝手に震え、上手く出せなくなる。
「私は……昨日まで父と平和に暮らしていたんです。それがどうして……どうしてこんな……」
嗚咽混じりの声を漏らしていると、不意にアンバーの目の前が暗くなった。同時にどこか懐かしいような温もりを感じた。
「……泣かないでくれ、アンバー。大丈夫だから……」
声が聞こえ、アンバーはメノウに抱きとめられていると感じ取った。胸に押し付けられた耳から、震えるような鼓動が聞こえてくる。
「君が泣いていると悲しくなる……私は君に笑っていてほしいんだ」
「メノウさん……」
アンバーの視界が徐々にはっきりとしていった。やがてメノウの両手が肩を優しく掴み、ゆっくりとアンバーを彼女の方へと向き直させた。その緑色の瞳が、真っ直ぐにアンバーを見つめている。
「まだ方法はある。プリンセス・クルセイドを勝ち抜くんだ」
「プリンセス・クルセイドを勝ち抜く?」
「ああ。そうすれば、王室秘蔵の杖を使う権利が得られる。あの杖を使えば、お父上にかけられた魔術を必ず解くことが出来る」
メノウの声には確信めいた響きがあった。その凛々しい顔を見て、アンバーの心は安らいだ。
「……ありがとうございます。でも、闘いを勝ち抜くなんてこと、私に出来るでしょうか?」
「……それは分からないが、私も出来る限り協力するつもりだ。だから大丈夫。何とかなるよ」
メノウはそう言って優しく微笑んだ。
「……ありがとうございます。励ましてくれるんですね」
「言っただろう? 私は君に笑っていてほしいんだ。きっと……」
メノウが何かを言おうとしたその時、唸るような音が彼女の腹部のあたりから聞こえてきた。
「……お腹が空いてるんですね」
「すまない……」
メノウが頭を掻き、うつむきながら頬を赤らめた。それを見て、アンバーは思わず吹き出してしまった。
「……こんな時なのにな」
「いいんですよ。ちょうど準備をしていたところですし、ご飯にしましょう」
「あ、いや……私は……」
「遠慮しないでください。どうせ一人では食べきれませんから」
アンバーはそう言って立ち上がり、台所へと歩いていった。台所のまな板の上には、包丁とまだ切られていない人参やじゃがいもが並べられていた。かまどにかけられた釜の中には、水が入った鍋が二つ並んでいる。そのうちの一つには、すでに研がれたあとの米が浸けられていた。
「……そっか、今日はカレーだった」
そう独りごちてから、アンバーは調理に取り掛かった。作り慣れている料理だからか、はたまた頭の中が何も考えられない状態になっていたからなのかは分からないが、ほとんど気がつかない間にカレーが出来上がっていた。スパイス独特の香りが、リビングの方へと漂っていく。
「……いい香りだ。君は料理を作るのが上手なんだな」
いつの間にか、メノウが隣に立っていた。彼女の視線は、香りの発生元であるルーの入れられた鍋に注がれている。
「もう少し、待っててくださいね」
その姿を見て、アンバーは頬を緩めた。やがてルーが十分に煮立つのを確認すると、アンバーはメノウを食卓につかせた。そして自らは二人分のカレーライスを皿に盛ってから、食器と一緒に食卓へ配膳していった。
「おお、これは美味そうだな」
目の前に置かれたカレーを見て、メノウが感嘆したような声を出した。
「ふふっ、どうぞ召し上がれ」
「いただきます」
アンバーはまた微笑んだ。ほんの数時間前にメノウと初めて出会った時は、彼女が何者かも分かっていなかった。ジェダイトと対峙する姿にはどこか怒りのような感情が見えて、怖い人だと感じることもあった。しかし、今はこうして無邪気な表情を覗かせている。彼女のそんなミステリアスな姿に、アンバーはどこか惹かれるものを感じていた。
「……どうした? 君は食べないのか?」
「いいえ……いただきます」
メノウに促されるようにして、アンバーも食事を始めた。口に広がるカレーの風味に、懐かしさを感じた。
「……ごちそうさまでした」
「……ごちそうさまでした」
やがて二人は食事を終えると、今一度向き直った。
「……アンバー、お父上はいつか必ず元に戻せる。だから、どうか弱気にならないでくれ」
そう言うメノウの目は、やはり真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
「はい、分かりました。笑顔が一番ということですね」
アンバーはメノウに向かって心から笑いかけた。涙はもうすっかり乾いていた。
「そうだ、それでいい。君は私の思ったとおりの女性だったな」
そう言ってメノウが微笑み返してきた。
「思ったとおり……?」
「ああ、君はきっと……」
メノウは急に言葉に詰まった様子でうろたえ始めた。その姿は、逆にアンバーの方を戸惑わせるほどだった。
「だから、君は……」
メノウの顔はいつの間にか紅潮していた。だが彼女自身、その理由がよく分かっていない様子だった。
「あの、メノウさん……?」
「と、とにかく、明日からは本格的な闘いが始まる。ジェダイトもまだ君を狙っているだろう。今日はゆっくり休むといい。」
訝るアンバーをよそに、メノウは慌てた様子で話を切り上げた。
「では、私はこれで。また後日会おう」
「あっ、ちょっと……」
そして椅子から立ち上がると、アンバーの静止も聞かずそのまま逃げるようにして去っていった。
「……行っちゃった」
アンバーはしばし呆気にとられながら、メノウが座っていた席をぼんやりと眺めた。どこからともなく現れた女性は、冷たい怒りを湛えていたかと思うと、無邪気な顔を覗かせたり、奇妙に心を乱してみせたりする。本当の彼女はどこにいたのだろうか。答えは分からない。
「……明日からは本格的な闘いが始まる……か」
しかし今は、これから乗り出していく闘いに備えるべきた。アンバーはそう考えると、父の眠る水晶の前に向き直った。今度は涙を浮かべることなく、決然とした表情で見つめる。
「……待っててね、お父さん」
3へ続く
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