プリンセス・クルセイド #8 【決着の刻】 2
意識を取り戻したアンバーは、自分が石造りの地下牢の中に立っていることに気が付いた。不自然な形で挙げられている両腕を下げようとするも、何かに邪魔されて全く動かすことができない。見上げると、両手を拘束されたまま、腕が天井から下がった鎖に繋がれていた。視線を下げると、石の床に備えられた金具に両足が固定されている。
「捕まったんだ……私」
腰に差してあるはずの聖剣は見当たらない。おそらくは囚われた時に没収されたのだろう。アンバーは唇を噛んだ。
「……お目覚めかい?」
その時、階段を下りてくる音とともに女性の声が聞こえてきた。
「なんとか生きてるみたいだね。良かったよ。ショックで死んでたりしたら面倒だからな」
鉄格子を開き、近づいてくるその声に、アンバーは聞き覚えがあった。覚えがあるどころか、彼女をこの状況に陥れた張本人の声だ。
「ジェダイト……私に……何をする気……?」
俯いたまま尋ねるアンバーの声を聞いて、ジェダイトは妖艶に笑った。
「安心しな。別に今すぐどうこうしようっていう気はない。まずはアンタの仲間を誘き出してからだ」
「……な、仲間……?」
「ああ、そうさ……」
ジェダイトがアンバーの髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。アンバーの眼に、闇のように黒い髪と、鷹のように鋭い紅眼が映る。
「アンタ、最近面白い友達が出来たみたいじゃないか。マクスヤーデンの王女に……何だかよく分からないヤツ」
ジェダイトの発言を聞き、アンバーは目を見開いた。
「ま、まさか……イキシア達を!?」
「まあ、心配するな。そっちはすぐに終わる。そうしたら、たっぷりとアンタを可愛いがってあげるよ」
挑発するように話すジェダイトに向けての憎しみが、アンバーの怒りを焚き付けた。今すぐにでも斬りかかってやりたいとまで思ったが、両手両足を塞がれて身動きが取れない。
「ジェダイト……許さない!」
アンバーは代わりにジェダイトを睨み付けた。それがせめてもの抵抗だった。しかし、ジェダイトは怯まずに、さらにアンバーに近づいてきた。
「そんなにおっかない顔しなさんな」
ジェダイトはおどけるようにそう言うと、為す術のないアンバーの唇に親指で触れた。
「思わず食べちゃいたくなるだろう?」
そのまま押さえつけるようにして指をぬぐうと、今度は自分の口に当ててみせる。
「ふふっ、ちょっぴり甘いね」
「ふざけないで! 何の真似なの!?」
「怒鳴るなって。ちょっとからかっただけじゃないか。でもさ、これでそんな反応するなら……」
ジェダイトはそう言いながら、今度はアンバーの頬に触れた。その手は驚くほど冷たく、不気味なまでに柔らかかった。
「直接口でいったら、どんなことになるのかねえ……?」
「なっ……!?」
さらに近づいてくるジェダイトの顔からアンバーは顔を背けようとした。だが、奇妙な迫力に圧されて動くことができない。急に瞼が重くなる。そして視界が完全に閉ざされた中、唇を突き出す感覚を感じる。微かな息遣いが鼻に触れ、鼓動が高まる。
「……ちょっと、何してるの!」
「……っ!」
別の女性の叫び声で、アンバーは我に返った。鼻が触れ合う程の距離にあったジェダイトの顔から、必死に顔を背ける。
「何って……別にちょっと遊んでただけさ」
「……そうは見えなかったけど」
階段を下りてくる女性の声には、静かな怒りが宿っていた。そのままあっという間に、弁明をするジェダイトの隣に接近する。
「何のための人質か分かってるの? 貴女のおもちゃじゃないのよ」
「分かってるさ。別に取って食おうとしてたわけじゃない……」
顔を戻したアンバーの視界に、ジェダイトを問い詰める女性の姿が見えた。彼女はアレクサンドラ。メノウと闘ったジェダイトの部下だ。
「それに、アタシにはアンタしかいない。そうだろう?」
ジェダイトが猫なで声を出しながら、先程アンバーにしたのと同じ様にアレクサンドラの頬を撫でた。一旦収まりかけていたアンバーの胸の鼓動が、また僅かに強くなった。
「いや、私は別に……」
口ではそう言いながらも、アレクサンドラはまんざらでもない様子だった。二人の会話を聞きながら、アンバーは深く呼吸し、胸の高鳴りを抑えようと努めた。
「まあ、いいわ。ところで、いきなり大量に酒を買ってこいってどういうこと? ラリアは喜んで、今にも飲みだしそうだけど……」
「ちょっとした作戦ってやつさ。今に分かるよ」
「……そう。じゃあ、貴女がラリアを止めるのね。シトリンがいなくなって、様子がおかしくなってるみたいだから」
「やれやれ、アイツは少しぐらい様子がおかしいほうが調子が良いんだがな……」
ぼやきながら、ジェダイトが開いたままの鉄格子から外に出た。それを目で追ってから、アレクサンドラがアンバーに向き直った。お互いの視線がぶつかった直後、アンバーは腹部に鈍い痛みを感じた。
「ぐっ……」
「ジェダイトはアンタを気に入ってるようだから、顔は勘弁してあげる。でも、もし同じ様なことがあったら……」
アレクサンドラは腹部にねじ込んだ拳を入念に押しつけながら、アンバーに念を押すように囁いた。
「その時は……死んでもらうわ」
ようやく拳を引き離すと、アレクサンドラは踵を返し、鉄格子を閉めて地下牢から出ていった。やがて足音が聞こえなくなると、取り残されたアンバーは一人俯き、足下の金具を眺め、絞り出すように声を出した。
「……ごめんなさい」
それはアレクサンドラへの謝罪ではなかった。金具の上に落ちた水滴も、殴られた痛みから来たものではない。
「……ごめんなさい……お父さん……私……」
腕の鎖のせいで、膝から崩れ落ちることも叶わず、アンバーはただ泣き濡れた。頬から流れる水滴は、今や金具だけでなく、石造りの床全体に広がっていた。
3へ続く