プリンセス・クルセイド #2 【太陽のプリンセス】3

 翌朝、アンバーは竹箒を手に、毎日の日課である軒先の掃除をしていた。通りに立ち並ぶ民家や工房にまだ人の気配は無く、まだ穏やかな眠りについているようだ。それでも、彼女は手際良く軒先を履き終えてしまうと、そのまま流れるようにして工房のシャッターに手をかけた。

「……そっか、今日からは開けられないか……」

 アンバーはそう呟くと、シャッターから手を離した。父があの状態では、もう工房を営めない。幸か不幸か、請負中の仕事は無い。家にはまだ蓄えもあったはずなので、当面は何かに困ることはないだろう。だが確実に、昨日までとは違う生活が始まってしまう。そしてそれは、いつまで続くのだろうか。そこまで考えて、アンバーは背中に悪寒が走るのを感じた。

「そこの貴女、ちょっといいかしら?」

「うひゃあ!」

 不意に背後から声がしてアンバーは叫び声をあげた。そして半ば反射的に後方を振り返った。

「……あら、驚かせてしまいましたか?」

 目の前には見目麗しい茶髪の女性が立っていた。煌びやかなドレスを身に纏い、脇には馬を連れている。明らかにこの街の人間ではない上に、工房に用事があるわけでもなさそうだ。

「あ、いえ。え~っと……」

「初めまして。わたくしの名前はイキシア。マクスヤーデン国王女、イキシア・グリュックスです」

 アンバーが返す言葉に詰まっていると、女性は透き通るような声で堂々と名乗りを上げた。

「こちらは愛馬のルナです」

 隣の馬が誇らしげに頭を下げた。金のたてがみが麗しい白馬だ。

「どうぞよろしくお願いいたします」

 イキシア王女が手を差し出してきた。

「ど、どうも……私はアンバー・スミスです」

 アンバーは自らも名乗り、握手に応じた。

「……って、え? イキシア王女って……あの太陽のプリンセスですか?」

「そのとおり。貴女、なかなか勉強熱心なようですね」

 アンバーが尋ねると、イキシア王女は感心した表情を見せた。

「い、いえ……そんなことは……」

 しかしアンバーは、勉強していたから彼女のことを知っているわけではなかった。隣国のマクスヤーデンにはイキシアという個性的なプリンセスがいて、太陽のプリンセスの愛称で親しまれている。そんな話が、ここウィガーリー王国にも響き渡っているというだけのことだ。

「しかし、いかに隣国と言えど、この街までは遠い道のりでしたわ。馬でも存外時間がかかるものですね」

「は、はあ……」

 アンバーは呆気にとられていた。彼女はマクスヤーデンに行ったことがないので、実際の旅路がどんなものかはよく分からない。分からないが、一国の王女が馬に乗って、それもたった一人でやってくるような距離ではないはずだ。それを平然とやってのけるとは、やはり彼女は相当に個性的なプリンセスらしい。

「……そのプリンセスが、私に何の御用ですか?」

「わたくし、貴女にプリンセス・クルセイドを申し込みに参上仕りました」

 イキシアは静かにそう宣言すると、腰の剣を鞘ごと引き抜いた。そして鞘の中心を握り、斜めに持ってアンバーの前に突きつける。

「いざ、尋常に勝負!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 あまりに突然の宣言にアンバーは対処が間に合わず、咄嗟に手に持っていた竹箒を逆さに構えた。相手に向けた穂先から、砂埃が落ちる。失礼極まりない格好になってしまったが、それでも構わずイキシア王女の茶色の瞳がこちらを見つめてくる。アンバーも蒼色の瞳で見つめ返した。二人の視線が絡み合い、突如として風が吹く。両者の間に張り詰めた緊張の糸をつま弾くようにして、イキシアの隣でルナが一つ嘶いた。そして不気味な静寂。それを破るようにしてどこからか鳴る重低音。

「……失礼」

 それはイキシアの腹の虫だった。その音を聞いて、アンバーも自分が朝食を摂っていないことを思い出す。途端に、こちらも腹が鳴る。

「……先に朝ごはんをお召し上がりになりませんか? ルナちゃんはそこの柱に繋いでおけばいいですから」

 アンバーは箒を構えたまま提案した。

「いただきます」

 二人はほぼ同時に己の得物を収めた。そして軒先の柱にルナを繋いでおくと、連れ立って母屋の中へと入っていく。

「……えっと……ひと晩寝かせたカレーがありますけど、それでいいですか?」

 アンバーは台所に立ち、イキシア王女に声をかけた。

「問題ありません。わたくし、振舞われる料理にケチを付けるほど不躾ではありませんゆえ」

 イキシアはもったいぶったように答えると、自ら食卓の席に着いた。アンバーは台所から昨日の余り物のカレーを皿に盛り、食器を用意して持っていった。

「……どうぞ、召し上がってください」

「良い香りですね。では改めて、いただきます」

「……いただきます」

 二人は向かい合わせに座り、しめやかに手を合わせた。

「……ほう、貴女は良い腕をしていますね」

「ありがとうございます。太陽のプリンセスに褒められるとは光栄です」

 食事を始めながら、アンバーは奇妙な感覚を覚える。思えば、昨日はメノウ、今日は太陽のプリンセスことイキシア王女と、二日続けて客に料理を振舞っていることになる。

(……うちはレストランじゃなくて鍛冶屋なんだけどな)

 そんなことを考えてはいたものの、アンバーにとってはありがたい部分もあった。父が水晶の中に閉じ込められてしまったが、未だに独りで食事はしていない。

「……ごちそうさまでした」

「……ごちそうさまでした」

 やがて朝食を食べ終わり、二人はまたしめやかに手を合わせた。アンバーが二人分の食器を片付け、再び食卓に戻ってきたのを確かめてから、イキシア王女はおもむろに立ち上がった。

「……さて、改めて試合開始と致しましょうか?」

 イキシア王女が再び腰から鞘ごと剣を引き抜いた。

「あの、私はまだ……」

 アンバーもまた、咄嗟に反応しようとしたが、今度は構えるべき得物が手元になかった。仕方がないので、両手を胸の前で振ってみせる。

「覚悟が出来ていないとでも? 貴女は昨日、ご立派に一番槍をあげたではありませんか」

「あれは事故と言うか……っていうか、何で知ってるんですか?」

 イキシア王女の発言に、アンバーは訝った。昨日の闘いの場所であったチャーミング・フィールドに、第三者が紛れていた感覚はなかった。彼女はどこでジェダイトとの闘いを見ていたというのだろう。

「それはどうでもいいですわ。では、貴女の準備が終わるまで、わたくしは外で待っていることにいたしましょう」

「あの、話を……」

 しかしイキシアは一方的に話を切り上げると、アンバーの静止も聞かずに家の外へと出てしまった。

(勝手な人だな……)

 そう思いつつも、アンバーは階段を昇って二階にある自室へと向かった。そして部屋に入り、ベッドの脇に立てかけられた白い鞘に白い柄をした聖剣を手に取った。家宝の聖剣だ。

(……これで闘うんだよね……)

 そう思った瞬間、下腹部の辺りからふつふつと沸き上がってくるものを感じた。いつの間にか、プリンセス・クルセイドを闘う気になっている。メノウに弱気になるなと言われたものの、闘いを勝ち抜いていけるのだろうか。

(……分からないよ)

 アンバーは頭を振り、剣を腰に差して部屋を後にした。そして、階段に足を掛ける。

(……やっぱり言っておこうか)

、しかし思い直し、踵を返して自分の部屋の隣にある父の寝室へと向かった。部屋の隅にあるベッドの上に横たえられているのは、柱のような形をした水晶。昨日の夜、彼女がリビングからここまで運び込んだものだ。

「……行ってきます」

 一言呟くと、また下腹部に異変を感じた。しかし今沸き上がってくるものは、わだかまりではなく何か暖かいものだった。その何かに押されるようにして、アンバーは部屋を出て階段を降りた。リビングを横切り、玄関扉を開け、外へ出る。その先では、イキシア王女が腕を組んで仁王立ちしていた。

「ようやくお出ましね」

 そう言ってイキシア王女は不敵に笑った。

「戦わなければ、帰ってくれないんでしょう?」

 アンバーは腰に差した剣の柄に手をかけた。不安が無いと言えば嘘になる。満足に闘えるかどうかは分からない。だが父を取り戻すためにも、とにかく今はやるしかない。

「一番槍を取られたんですもの。当然ですわ」

 イキシア王女も自らの剣の柄に手をかけた。その発言の真意はアンバーには分からなかったが、相当の決意があることは見て取れる。

「いきますわよ。いざ。尋常に……」

「勝負!」

 両者はほぼ同時に剣を抜き、駆け寄って切り結んだ。その直後、刃が交差する一点から強烈な光が発生し、二人を包み込んでいく。やがて光が収まると、二人の姿も消えていた。静寂の中、柱に繋がれたままのルナがまた一つ嘶いたが、何も応えるものは無かった。

4へ続く


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