プリンセス・クルセイド 第2部「ザ・ナイト・オブ・ヴァンパイア」 #5 【恐怖の化身】 3
その巨大な脚は踏みしめる度に大地を揺らし、暴力的な尾は振り回される度に風を鳴らす。そして一度口を開けば、灼熱の炎が天を焦がす。ドラゴンとはそのような生き物だと言い伝えられている。
「ギギャーッッ!!」
その恐怖の化身、ドラゴンの叫びが、チャーミング・フィールド中にこだまし、アンバーの鼓膜を震わせる。ドラゴンの傍らでは、薄紫色の髪をした見目麗しいヴァンパイアが妖しく笑う。人々に原初的な恐怖をもたらす存在が並び立つ光景に、彼女は身動きが取れなくなっていた。
「ハーッ!!」
その隙を逃すほど、ヴァンパイアは慈悲深い生き物ではなかった。タンザナは勢いよく地面を蹴ると、倒れ伏すイキシアらの脇を駆け抜け、アンバーの元へと急接近した。
「! ハイ――」
「セイッ!」
反射的に斬撃波を放とうとするアンバーの胸元に、タンザナの掌底が過たず炸裂した。
「があっ!!」
強烈な一撃に耐え切れず、アンバーの体は宙を舞った。だが背中から激しく地面に叩きつけられるその直前、彼女は柔らかな感触に抱きとめられた。
「ふふっ、捕まえた」
「た、タンザナさん!?」
抱き止めたのは、アンバーを吹き飛ばしたタンザナであった。彼女は鋭く伸びた犬歯を煌めかせながら、アンバーの耳元で静かに囁いた。
「大丈夫……痛いのは貴女だけだから」
「じょ、冗談じゃ……」
胡乱な言葉使いも、今は癒しにならなかった。首筋に迫るタンザナの噛みつきを阻止しようと、アンバーは必死に聖剣を振ろうとした。だが羽交い締めにされた腕は容易には動かない。タンザナの牙から、軒先から滴る雨のように一筋の涎が落ちた。
「冗談じゃないっ!」
その瞬間、拒絶反応のようにアンバーの体からバイタルが迸った。手にした聖剣から、斬撃波が四方八方に乱れ飛ぶ。
「ぐうっ!」
衝撃を受け、タンザナはアンバーの拘束を解いた。アンバーはその隙に体勢を入れ替えると、聖剣を構え直してタンザナと対峙した。タンザナもすぐさま聖剣を構え、迎撃の準備に入る。
「セヤ―ッ!」
「ちっ!」
だがその剣に飛びかかったのは、アンバーではなかった。代わりにカーネリアが空中からその場に割り込み、流星のような飛び蹴りを放った。蹴りは剣で防がれたが、カーネリアはその反動を利用し、空中回転の後に両者の間に舞い降りる。
「アンバー、大丈夫!?」
「カーネリアちゃん!」
「この人は一旦私に任せて。アンバーはドラゴンを!」
「……分かった!」
決意に燃えるカーネリアの指示を聞くと、アンバーは構えを解き、ドラゴンを目指して踵を返した。
「逃がさないわよ!」
その背後を、タンザナの斬撃波が襲う。
「させないっ!」
だがカーネリアの斬撃波が、その追い打ちを撃ち落とした。
「……なかなかやるわね。でも、私に勝てると本気で思ってるの? おチビちゃん?」
「思ってるよ。なにせ私は……ヴァンパイアハンターだからね!」
お互いに挑発し合う声を背中に聞きながら、アンバーはその場を離れ、ドラゴンと対峙するイキシアとメノウに合流した。
「アンバー!」
「……ようやく来ましたのね」
「うん……遅れてごめんね」
アンバーは剣を構え、ドラゴンと対峙した。恐怖は相変わらずだが、身体の震えはない。辛くもタンザナの手を逃れたことが、彼女を奮い立たせていた。そして――
「作戦はさっき教えたままでいく。私と王女が奴の動きを止めるから、君が斬撃波を撃つんだ」
「期待してますわよ」
「……分かった」
そして2人の友人が傍にいる。アンバーの心から、恐怖が徐々に取り除かれていった。
「ハッ! ヤ―ッ!」
「セイッ! ハーッ!」
背中からは、カーネリアとタンザナが打ち合う声が聞こえてくる。
(『できるかどうかではない。やるしかないのだ』)
アンバーは先程自分で言った言葉を心の中で復唱した。相手がヴァンパイアだろうがドラゴンだろうが関係ない。今彼女たちがすべきこと。それは目の前の敵を打ち倒すことだ。
「ギヤーッッ!!」
「行くぞ!」
ドラゴンの咆哮を合図に、メノウが剣を謹聴させ、超高速移動に入った。
「グオーッ!!」
ドラゴンが大きく息を吸い込み、残った2人目掛けて炎を吐こうとした。
「武芸十八般、鎖鎌術!」
だが、イキシアの投擲した鎖鎌がドラゴンの口に纏わりついた。炎が牙の間から漏れ出し、虚空へと消える。イキシアはおよそプリンセスらしからぬ膂力で鎖を引っ張り、ドラゴンの動きを止める。
「ギギャーッッ!!」
その間、超高速移動のメノウの斬撃が、ドラゴンを斬りつけていく。だがドラゴンの皮膚を覆う鱗は極端に固く、有効打を与えられずにいた。イキシアは足を踏ん張り、鎖鎌の拘束を維持していたが、ドラゴンは容赦なく首を振り回そうとする。アンバーは斬撃波の準備を急いでいたが、バイタルの充填が思うようにいかない。
「ギエーッ!!」
「くっ……があーっっ!!」
そしてついに、イキシアの身体がドラゴンの動きに持っていかれた。イキシアは握っていた鎖を手放す判断をし、受け身を取って着地したが、そこへ恐るべき尾が襲い掛かってきた。
「イキシア!」
アンバーはイキシアに飛びかかり、共に攻撃を避けようとした。その時、突風のような感触が彼女とイキシアの身体をさらった。直後、ドラゴンの尾が先程までアンバーたちのいたところを舐めるように通り過ぎていった。
「あ、危なかった――」
「と、いうことだな」
ドラゴンから間合いを取った位置で、メノウがアンバーの体を優しく地面に降ろした。
「うまくないな。あの鱗が固すぎて、手数の割にダメージが少ない」
「あの尻尾も、たちが悪いですわね」
同じくメノウに抱きかかえられていたイキシアが、苦々しげに呟いた。
「あの口は封じてますが、鎌をもっていかれましたわ」
そう言うイキシアの指差す先では、口に鎖を縛り付けられたドラゴンが鎌を振り回しながら暴れ狂っていた。
「まあ、背に腹は代えられないですけれども、このままではどうしようもありませんわね」
「だが、どうすればいい? 攻撃が通じないのでは……」
「……私に考えがあります」
思案するイキシアとメノウに、アンバーが割り込んだ。
「考え? 一体何だ?」
「話してみてください」
2人に促され、アンバーは思いついた作戦を話し出した。
「メノウさんは、聖剣の力を使ってイキシアの鎖を捕まえてください。イキシアはメノウさんから鎖を受け取ったら、さっきみたいに思いっきり引っ張ってドラゴンの動きを止めて」
「それならさっきと同じでは――」
反論しようとするメノウを目で制止し、アンバーは言葉を続けた。
「そうしたら私が鎖の上に飛び乗るから、イキシアは鎖を張り直して私を上空へ打ち上げて。あとは鎖を元の聖剣に戻してくれれば、そこからは私が決める」
「貴女が決めるって、どうやって――」
「来るよ!」
今度はイキシアを遮り、アンバーはドラゴンを指差した。恐怖の化身はようやくこちらに気付いたらしく、地響きを立てながら迫ってくる。
「戸惑ってる時間はないということか。先に行くぞ!」
メノウは剣を謹聴させ、超高速移動に入った。
「行くよ、イキシア!」
「……分かりましたわ!」
次いでアンバーとイキシアがドラゴンへと走り込む。口を封じられたまま叫ぶドラゴンの尾が、2人を阻止しようと迫ってきた。
「イキシア、散って!」
「ええ!」
アンバーとイキシアは互いにサイドステップを踏み、ドラゴンの尾の射程範囲から飛び離れた。着地直後、イキシアの手にメノウが掴んだ鎖が手渡される。
「……頼んだぞ」
「任せておきなさい――でえりゃあ!」
鎖を受け取ったイキシアは、およそプリンセスらしからぬ叫びを発しながら、およそプリンセスらしからぬ膂力を発揮し、ドラゴンの口に縛り付けられた鎖を全力で引っ張った。鎖は一直線にピンと張られ、あたかもドラゴンとイキシアの間のかけ橋のようになった。アンバーはその橋目掛け、全速力で駆けこんだ。振り抜いた聖剣からはバイタルが迸り、今にも発射の時を待っている。アンバーはそのままの勢いで鎖の端へと飛び乗った。
「イキシア、いいね!」
「ええ……思い切りやりなさい!」
イキシアは一旦力を弱めて鎖を緩めると、直後に力を強め、アンバーを上空目掛けて勢い良く撃ち出した。そしてアンバーの指示どおり、鎖を剣へと戻し、静かに構えた。
「はーっ!!」
上空のアンバーは、剣を振りかぶって斬撃波の構えに入った。そして彼女の狙いどおり、鎖から解放されたドラゴンの大口がこちらに向かって開かれる。アンバーはその口目掛け、強烈な斬撃波を叩き込もうとした。
「グオーッ!!」
だがドラゴンの反応は、アンバーの予測を超えていた。その口から、灼熱の火炎が放たれ、アンバーを呑み込もうとする。万事休す――アンバーは己の読みの甘さを悔いた。
「でえええりゃあああ!!」
だがその時、地上のイキシアが、最早プリンセスであるのかどうかすら怪しまれる程の声を上げながら、赤く燃え上がる剣を一閃した。すると、剣の先から炎が飛び出し、アンバーとドラゴンとの炎に壁のように立ち塞がった。
「詰めが甘いですわよ、アンバー! 決めるところはしっかり決めなさい!!」
地上から、イキシアの叱咤激励が飛ぶ。アンバーはその声を勇気に代え、最大威力の斬撃波を放った。
「ハイヤーッ!!」
剣の先から飛び出した太く長い光の束が、二重の炎を突き抜け、ドラゴンの口内へと一気に飛び込んだ。
「ギ……ギギャーッッ!!」
天を突くような断末魔の叫びが、チャーミング・フィールド中にこだました。その直後、ドラゴンの中から、注ぎ込まれたアンバーのバイタルが溢れ出し、身体を爆発四散させた。
「や……やった!」
アンバーは片手を握ってガッツポーズをしながら、身体を落ちるままに任せた。固い地面にぶつかる直前、またしても何かに抱きとめられたが、今度は逞しい腕の上だった。
「メノウさん……」
「まったく君には……本当に叶わないな」
メノウはエメラルド色の目を細めながら、優しく微笑んだ。
「今度は……もっと抜け目ない作戦を考えてほしいですけどね」
イキシアがゆっくりとした足取りで、その隣に歩み寄ってくる。
「ごめんね、イキシア。助かったよ」
「まあ、この程度はどうということもありませんわ。わたくしは太陽のプリンセスですもの」
「2人とも、まだ闘いは終わってないぞ。ここからが本番だ」
和やかに話すアンバーとイキシアを諌めるように、メノウは遥か前方を指差した。その視線の先では、カーネリアとタンザナが、己の存在意義を懸けて激しい攻防を繰り広げていた。
4へ続く