プリンセス・クルセイド #1 【剣を持つ刻】2

 王都エアリッタの中心街は、毎日市場で賑わう。この日は国王の死後初めて大々的な営業が再開されることもあり、特に大勢の人が訪れていた。商人たちが店を構えて周辺地域の農場から集められた新鮮な野菜や果物を並べ、競うようにして自慢の品を買い物客に勧める。買い物客はそんな店主たちとの会話を楽しんだり、商品の品定めをしたり、あるいは辺りを駆けずり回る子供たちをなだめたりする。

 アンバーもそうした買い物客の一人だ。手にした買い物袋の中には、すでに色とりどりの野菜が詰められている。純白のエプロンドレスを身に纏い、歩く度に揺れるブロンドの長髪は、陽の光を反射して煌く。蒼色の瞳の見つめる先は、一軒の精肉店だ。店のカウンターに近づくと、店主に話しかける。

「おはようございます」

「おはよう、アンバーちゃん」

 店主が愛用の出刃包丁を磨きながら答える。

「今日もいつものやつでいいかな?」

「はい、お願いします」

「あいよ」

 店主が出刃包丁を振るい、肉を切っていく。その様子を眺めながら、アンバーは優しく微笑んだ。

「なんだかお久しぶりですね」

「ああ、王様が亡くなってからはしばらく店を閉めていたからな。ほら、掟にあるだろう」

「王様が亡くなってしばらくは、質素な食事を心がけることってやつですよね。でも、お肉ってそんなに贅沢品ですかね?」

「まあ、掟ができたのは昔の話だし、どっちかって言うと俺も店は閉めたくなかったんだ。でもな……」

 店主は包丁を動かす手を止めた。

「やっぱりショックでね。王様は本当に素晴らしい方だった……」

「元気を出してくださいよ。今日からはもう、新しい日々が始まっていくんですから」

 肩を落とす店主を励ますように、アンバーが笑いかける。

「笑顔が一番。そうでしょう?」

「ああ、その通りだ。悪い、今できるからな」

 店主はそう言うと包丁を再び動かし、肉を見事に切り分けた。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます!」

 店主が切り分けて包装した肉を受け取ると、アンバーは引き換えに代金を渡し、肉は袋の中に入れて店を後にする。

 市場を離れて石畳の通りを入っていった先には、民家が軒を連ねていた。その中には、所々に職人の工房も見受けられる。アンバーはしばらく歩いていった末に、一軒の鍛冶屋の前で足を止めた。

 鍛冶屋は母屋と工房とに分かれていた。通りから壁を隔てることなく面している工房では、一人の中年男性が簡素な椅子に座り、油と布とで剣を磨いているところだった。彼の名はロベルト。アンバーの父親だ。

 彼が手にしている剣はレイピアで、細長い刃の根元にある柄と彼の膝の上に置いてある鞘はどす黒い色をしていた。

「お父さん、ただいま」

「ああ、アンバー。おかえり」

 アンバーが声をかけると、ロベルトは一旦作業の手を止めた。そして剣を鞘に収めてから手近にあった台の上に置き、娘を出迎える。

「待ちわびたよ。もうお腹がペコペコでさ」

「すぐに準備するからね。今日のお昼はカレーだよ」

 アンバーはロベルトに答えながら、母屋の戸を開けて中へと入っていった。

「おおっ、久しぶりにいい物が食えるな」

 ロベルトは作業を再開する前に油を交換しようと、壁に備え付けられた棚の方へと向かった。しかしその時、工房に人影が現れた。

「いらっしゃいませ。御用は何でしょうか?」

 ロベルトは相手を客だと判断し、振り返って笑顔で出迎える。

 客は若い女性で、長い黒髪に片方の目が隠れていた。見えている方の目は黄色く輝いている。髪と同じように黒い衣服は曲線的な体のラインが浮き出るほどに薄着で、艶やかに露出された左の腕には赤い蠍の刺青が入っていた。体型としては小柄だか、どこか威圧感のある雰囲気を醸し出している。

「剣を取りに来たんだ。ある人間の代理でね」

 女性は低い声で答えると、小脇に抱えていた一通の書簡をロベルトに手渡した。

「これはご丁寧に。では、拝見いたします」

 ロベルトは書簡を受け取ると、封を破って広げ、書面を黙読した。

「……なるほど。つまり、貴女がジェダイトさんということですね」

「ああ。剣を見せてもらえるかい?」

「もちろん、いいですとも」

 ロベルトは先程まで磨いていたレイピアを、台から取り上げた。

「こんなところからすみません。先程まで磨いていたものですから」

 ロベルトは頭を下げながら、ジェダイトにレイピアを手渡した。

「ほう……あんた、良い腕をしてるな」

 レイピアを鞘から引き抜き、刃を眺めながらジェダイトが呟く。

「それはどうも。ですが、元々が良いんですよ。なにせ聖剣ですからね」

「これが聖剣だって分かるのかい?」

 ジェダイトが剣から視線を外し、ロベルトの顔を見る。その表情には、僅かに驚きの色が浮かんでいた。

「ええ。我が家にも一本あるもので」

「そうかい」

 ジェダイトはロベルトへの無関心を装うように再び剣へと視線を戻したが、眉間にはシワが寄せられていた。

「……ところで、一つ頼みがある」

 ジェダイトが出し抜けに呟く。

「何です?」

「タダにしてくれ」

 そう言うと、ジェダイトはいきなりレイピアを突き出した。幸い、多少の間合いがあったため、刃がロベルトを捉えることはなかった。しかし、先端から突如として突風が吹きすさび、ロベルトの体を巻き込む。ロベルトの体は強かに工房の壁に打ち付けられ、備え付けの棚に置かれた道具が、バラバラと音を立てて落ちていく。

「な、何を……」

 痛みと困惑でロベルトはかすれるような声しか出せなかった。

「なあに、ちょっとした用があるのさ……」

 ジェダイトが不敵な笑みを浮かべながら、地面にへたり込む鍛冶屋の主人へと近づいていく。

「お父さん、どうしたの!」

 その時、騒ぎを聞きつけたアンバーが工房へと姿を現した。

「一体何が……」

 戸惑うアンバーの目に映ったのは、床に座り込んだ父を抱え上げようとするジェダイトの姿だった。

「あ、貴女、何を……」

「安心しな、お父さんは無事だ。少なくとも今のところはな」

 ジェダイトはアンバーの方を振り返ることもせず、ロベルトを肩の上に担ぎ上げた。

「返して欲しかったら、丘の上の小屋まで聖剣を持ってこい。話はそれだけだ」

 そしてようやくアンバーの方へと向き直ると、嘲けるように冷笑してみせた。片方だけ覗く黄色の瞳が、妖しく光って見える。剣をひと振りすると、また突風が巻き起こる。

「じゃあな、おチビちゃん」

「くっ……」

 あまりの風の強さに、アンバーは目を閉じた。風が去り、再び目を開けた時には、工房にはジェダイトの姿も父の姿も無かった。

「お父さん……?」

 状況が飲み込めず、辺りを見回した。壁の棚は破壊され、父の仕事道具が散乱する工房は、不気味に沈黙している。

「どうして……?」

 アンバーは腰を抜かした。瞳からは、恐怖のあまり光が失われている。僅かに残った棚の上に踏みとどまっていた油壺が落下し、床に激突して静寂を破っても、彼女は微動だにしない。

 この時、彼女の闘いが始まった。

3へ続く


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