プリンセス・クルセイド #8 【決着の刻】 5
牢の柵がカチャリとしまる音を聞いて、アンバーはハッと我に帰った。どうやら、泣き疲れていつの間にか眠ってしまったようだ。
「あらあら、せっかくの可愛いお顔が台無しですわね」
続けて聞こえてきた声には聞き覚えがあった。薄ぼんやりする視界を数度の瞬きではっきりさせると、そこには見目麗しい茶髪の女性がこちらを見返していた。
「イキシア……」
「目もこんなに腫れて……泣いていましたのね?」
太陽のプリンセスに目元を優しく撫でられ、アンバーは感極まった。だが幸か不幸か、流す涙は枯れている。
「安心なさい。わたくしが来たからには、もう大丈夫ですわ」
イキシアはアンバーを勇気付けるようにそう言うと、服のポケットからヘアピンを取り出し、アンバーが吊られている手枷の錠前に差し込んだ。そして慣れた手つきでヘアピンを操り、枷を解錠した。
「イキシア……こんなこともできるの?」
「武芸十八般、隠術……最近は何かと役に立ってますわ」
驚愕するアンバーに答える最中も、イキシアは屈みこんで足枷の解錠に取りかかっていた。そして自由になった腕に感覚が戻りきる前に、足の拘束も手際良く解かれる。
「イキシア……ありがとう」
アンバーはイキシアに礼を言った。
「お礼は後で存分に聞きますわ。とにかく今はジェダイトに備えませんと……体に問題はありませんか?」
「すぐには動けないと思う……でもそれより、聖剣が……」
アンバーは答えながら俯き、唇を噛み締めた。視線の先にある腰には、いつもあるはずの聖剣が差されていない。たったそれだけで、言い知れぬ程の恐怖が心を支配する。しかしその時、イキシアの両手が頬に触れたかと思うと、アンバーは半ば強引に顔を上げさせられた。
「イキシア……?」
「体のほうはわたくしがおぶっていけます。最初からそのつもりでしたから、そこは問題ありませんわ。聖剣もそのうちどうにかなります。ですが、アンバー……」
イキシアは鋭い瞳でアンバーを見つめてきた。その瞳には、決然とした光が宿っている。
「貴女にはまだ、心の剣があります。そしてそこに誓った決意も、まだ失われてはいない。分かりますわね?」
「……」
アンバーは無言のままゆっくりと頷いた。本当に分かったかどうかは定かではない。だが少なくとも、今は泣いている場合ではない。それだけは理解できた。
「イキシア、ここから出よう」
「その意気ですわ。では、早速——」
イキシアが牢を出ようと後ろを振り向いたその瞬間、どこからともなく炎の魔術が牢の中に飛び込んでくるのが見えた。
「イキシア!」
アンバーは咄嗟に叫んだ。同時に、イキシアは素早く腰から聖剣を鞘走らせ、一振りでその炎をかき消した。
「……ほう、さすがだな」
「……いえいえ。貴女のほうこそ、聞きしに勝る悪党っぷりですわ」
聖剣を構えたまま、こちらに向かってくる人影——ジェダイトを見据え、イキシアが挑発的に答えた。ジェダイトの剣に残った火が、先程の魔術を放ったことを雄弁に物語っている。
「いやいや、そう買い被ってもらっても困るよ。現に今だって仕留め切れなかったじゃないか。おチビちゃんも解放されちまったことだし……」
妖艶に笑うジェダイトの握るその剣は、いつものレイピアではなく、白い柄に幅広の刃が付いた剣だった。腰を見ると、レイピアの収められた鞘の隣に白い鞘が差されている。
(あれは……)
「それはアンバーの聖剣ですわね。何故貴女が?」
ジェダイトの握る剣を手のひらで示しながら、イキシアがアンバーを代弁するかのように質問した。
「ん? ああ、まあ……少しな。何か文句でもあるのか?」
「いえ、探す手間が省けたなと思いまして」
互いに感情を逆なでするような言葉が飛び交っていたが、アンバーにはその話を聞く余裕がなかった。ジェダイトが自分の聖剣を持っている——もしこのままプリンセス・クルセイドに突入したら、イキシアに折られてしまう。それ以前に、ジェダイトのように悪辣な者の手に母の形見が握られている——そうした事実が、心を惑わせる。
「安心しな、おチビちゃん。別にこのまま闘いを始めようってわけじゃない」
そんな彼女の心情を見透かすようにして、不意にジェダイトが声をかけた。
「聖剣ってヤツは、最初に使ったヤツしかチャーミング・フィールドには突入できないんだよ。だがな……こういうことはできる」
ジェダイトは途中で話を切り上げると、不意にアンバー目掛けて炎の魔術を放った。
「なっ——」
アンバーは咄嗟の事態に対応できず、両目を固く閉じ、腕で顔を覆った。
「……ぐうっ!」
その直後、苦痛に耐えるイキシアの声が聞こえた。恐る恐る目を開け、腕を開くと、炎に背を向けて自分との間に割って入ったイキシアの姿が見えた。
「イキシア——」
「はあっ!」
アンバーが驚く間も与えず、イキシアは振り向きざまに聖剣を振るって風の魔術を放った。
「ちっ!」
風はジェダイトに直撃し、牢の壁に向かって吹き飛ばした。しかし、ぶつかる直前になって不自然に勢いが弱まり、ジェダイトは壁際の地面に流麗に着地した。
「地の魔術ですわね……」
それを見て、イキシアが苦々しげに呟いた。
「そうだ。見てのとおり、他人の聖剣でも魔術を放つぐらいのことはできる」
ジェダイトは戦闘態勢を整え直しながら、魔術の講義でもしているかのような口調で話し出した。
「まあ、そもそも魔術なんてのは、集中できる物さえあれば、媒体は何でもいいんだけどな」
そこまで言って、ジェダイトはわざとらしく大きくため息を吐いた。
「最近はそれが分かっていないヤツが多すぎる。まったく嘆かわしい」
「何を突然分かりきったことを……しゃらくさいですわ」
返答するイキシアの辛辣な口調は、ただの強がりだった。アンバーにはそれが分かる。彼女の目の前には、炎で焼けただれたイキシアのむき出しの背中が見えていた。チャーミング・フィールドの闘いを経験してきたアンバーだったが、女性の体がここまで傷付いているのを見るのは初めてだ。当然、ダメージも深刻な物であることは想像に難くない。
「イキシア、貴女——」
「先程の魔術も蚊に刺された程度の痛み。分かっていないのは貴女のほうでなくて!?」
イキシアはアンバーの声を遮ると、ジェダイトに向かって突進した。
「接近戦かい? 意外と短気な子だね」
イキシアは呆れるジェダイトに掴みかかると、そのまま投げの姿勢に入った。
「武芸十八般、柔術!」
「待てっての」
投げられる直前、ジェダイトがイキシアとの間に剣を滑り込ませた。
「ちょっと眩しいぞ」
ジェダイトは剣を瞬時に光らせた。すると、その光が牢の中いっぱいに広がり、その場にいた人間すべての目を眩ませた。
「くっ……」
視界を奪われたアンバーの耳に、イキシアがステップを踏む音が聞こえた。おそらくは間合いを取った音だろう。
「ほらよ!」
反撃と思われるジェダイトの声が聞こえた直後、視界が回復した。その瞬間に目にした光景は、鋭く振り抜かれた剣から放たれた炎の魔術が、再びイキシアに直撃するところだった。
「があっ!」
攻撃を受け、ここまで耐えていたイキシアの膝が、遂に牢の床に着いた。
「ふう……なかなか手こずらせるな、太陽のプリンセス。思ったよりこっちもいっぱいいっぱいだ」
それを見て、ジェダイトが熱を冷ますように大きく息を吐く。
「だが、これで終わりだ。ケリをつけてやる」
ジェダイトは妖艶な笑みを浮かべると、至近距離での魔術を見舞うべく一気に間合いを詰めた。
「でえりゃあ!」
しかし、今度はイキシアが不意を突く番だった。接近するジェダイト目掛けて足払いを放つ。
「……おっと!」
ジェダイトは軽やかに跳躍し、攻撃を躱した。しかし、イキシアの攻撃はこれで終わりではなかった。
「武芸十八般、手裏剣術!」
イキシアは懐から十字型の鉄板を数枚取り出すと、ジェダイト目掛けて同時に投擲した。
「何っ……!?」
着地後の反応が遅れたジェダイトは、咄嗟に聖剣で攻撃を防ごうとした。しかし、一枚の手裏剣がジェダイトの手に直撃し、剣は手を離れてその場に落下した。
「ごめんあそばせ!」
イキシアが落ちた聖剣を強引に蹴飛ばし、アンバーの足下へと移動させた。
「ちっ……ふざけやがって!」
ジェダイトはすぐさまレイピアを抜き放ち、反撃に出ようとした。イキシアも聖剣を構え直し、立ち上がって迎え撃つ体勢に入る。
「ぐうっ……」
しかし、二度に渡る魔術のダメージをこらえきれず、イキシアは再び地面に膝をついた。それを見て、ジェダイトが勝ち誇る。
「ははっ! 作戦どおりだね!」
「何を……」
イキシアの射るような視線を意にも介さず、ジェダイトは妖艶に微笑んでみせた。
「ハナからコイツが狙いさ。アンタにあのおチビちゃんを庇わせて、弱ったところでプリンセス・クルセイドに持ち込む。うまくいったよ」
「しゃらくさいですわ……」
言い返すイキシアだったが、その言葉ほどの余裕は無いことは明らかだ。このままではジェダイトの狙いどおりに闘いに持ち込まれ、彼女は敗北してしまう。そう考えたアンバーは、足下に転がる自らの聖剣を見た。剣は二つ揃った。もうやるしかない。アンバーは心を決めた。初めてプリンセス・クルセイドに挑んだ時と、同じことをすればいい。
「さあ、決着といこうかい!」
「——冗談じゃない!」
ジェダイトが叫びながらイキシアの聖剣と切り結ぶ直前、アンバーは間に割り込み、振り抜いた聖剣で刃を受け止めた。その瞬間、切り結んだ一点から光が広がり、両者を包み込んでいく。
「……アンバー!」
光に包まれながら、アンバーはイキシアの声を聞いた。
「やるなら必ず勝ちなさい! 心の剣と共に!」
すでに姿は見えないが、その声に心が振るい立つのを感じた。アンバーはまなじりを上げ、目の前のジェダイトを見据える。
「ちっ……小娘が!」
ジェダイトは怒りの形相を見せていた。そんな彼女に向かって、アンバーは凛として言い放った。
「さあ、ジェダイト。決着をつけましょう」
6へ続く
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