プリンセス・クルセイド #1 【剣を持つ刻】1
空には星の海が広がっていた。その星々の広がる下に、一つの大きな都市がある。都市の周りは堅牢な城壁で囲まれ、その中心部には堀に囲まれた城がそびえ立つ。城内には、石造りの塔や館が立ち並び、その中でも最も高い塔のバルコニーの中に、人影が一つ。手すりに寄りかかって頬杖をかきながら、星を眺める青年の姿があった。城の灯りはほとんど消されている。青年の姿を照らすのは、一面の星空と月の明かり、そして背後の部屋から夜風に揺れるカーテンを通して漏れ出てくる光だけだ。街ではまだ酒場などが賑わいを見せてはいるものの、そろそろ民衆も眠りにつくことだろう。
ここはウィガーリー王国。その王都であるここエアリッタは、国王の死という不幸に見舞われていた。国民に愛され、他国の王からも一目置かれる存在として君臨していた王が、病のために急逝したのだ。王妃は彼の旅立つ数年前に他界しており、残された王家の者は若き王子ただ一人。城のバルコニーから星を眺めている青年その人だ。名をアキレアという。
アキレアは星を眺めながら、この数日に起こった出来事を反芻していた。まず初めに父が死んだ。これは覚悟していた。父はもう何ヶ月も病床に伏していたから、時間の問題だとは思っていた。次に国葬がしめやかに執り行われた。国民は王の死を悼み、涙を流す者さえ少なくなかったようだが、アキレアには王子として式を円滑に進める役目があった。そして、その後も引き続いた諸々の業務を全て終えた頃には、国全体が王の死を乗り越えて新たな生活を始めようという決意に満ちていた。悲しみに暮れる時間があるとしたら、それは今夜までの話だ。
だがアキレアは、星空を眺めたまま動けずにいた。その茶色の瞳に光るものが見えるのは、星の輝きを映しているからではない。夜風が黒色の短髪を揺らすたび、背中を悪寒が走る。
「王子、こちらにおられましたか」
背後からの声にアキレアが振り返ると、カーテンが左右に開き、宮廷魔術師の姿が現れた。
「何をなさっておいでです?」
魔術師は黒いローブを着込んでおり、頭にはフードを被っている。右手には装飾が施された胸の高さほどの木の杖を持っていた。眼は赤黒で、その眼光は鷹のように鋭い。しわの目立つ顔には、一分の感情も浮かんでいない。不気味な雰囲気を醸し出す男だが、王の死後、アキレアが王子としての責務を全うできているのは、この沈着冷静な彼の存在によるところが大きい。
「父上を探していた。人は死ぬと星になるんだろう?」
アキレアは魔術師の顔を捉えようとしたが、視界が滲んでよく見えないことに気づき、服の袖で目を拭った。
「……ジュリアン、今になって父が恋しい」
魔術師を呼ぶアキレアの声は震えていた。彼はそんな自分を恥じた。子供じみた感傷に浸っていると思われたくはなかったからだ。
「そうでしょうとも。たった一人の国王。たった一人のお父上です」
ジュリアンは一歩ずつ歩を進めてバルコニーへ出ると、アキレアの隣に並んだ。そして、自分よりも頭一つ小さい若き主君の前に跪く。
「ですが王子。悲しんでばかりもいられません。我々にはまだ、為すべきことが残っているのです」
そう語る彼の顔には、主君の感傷を揶揄する気配などまるで見られない。
「為すべきことか……」
それでもアキレアは一言呟いたあと、ジュリアンに背を向けて、また星空を見上げた。星々の輝きは、今もバルコニーを照らし続けている。
「本当に今やるのか?」
背中越しにアキレアが漠然と尋ねた。
「こういうことは、早いほうが良いのです」
「そう言っているのではない。そもそもやらねばならないことなのか?」
「掟ですので……」
ジュリアンの言葉には多少の含みがあったものの、そこに交渉の余地が無いことは明らかだった。
「分かった。全ては私の責任だ」
「王子、このようなことは縁であります。責任の問題ではございません」
「……始めてくれ」
自身の発言を遮られる様に告げられたアキレアの命に応えるようにして、ジュリアンはローブのフードを脱いだ。その豊かな銀髪が、波打つように夜風にさらされる。手にした杖には光が宿り、バルコニーを眩く照らす。ジュリアンは腕を突き上げるようにして、杖を上空へとかざした。すると、杖から光が飛び出し、幾束もの筋となって分散しながら地上へと降り注いでいった。光の中には、町を囲む城壁を遥かに飛び越えていくものさえあり、数も一つや二つではない。
「戦いが……始まる」
王子は独りごちた。そして己の運命を呪った。自分のせいで、いつ終わるとも知れぬ戦いが始まってしまうという運命を。
こうしてその夜、闘いの幕が上がった。
2へ続く
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