プリンセス・クルセイド #6 【悪意の足音】 3
ウィガーリーの王都エアリッタの市街地からやや離れた所にある職人街。その一角に位置する鍛冶屋の台所で、タンザナは思案に暮れていた。
「さて、どうしましょうか……」
彼女の目の前の戸棚には、蓋の付いた壺が置かれている。壺は透明ではなかったが、彼女の持つ類まれなる嗅覚で中身はクッキーだと判明していた。
「……いただきましょう」
タンザナは一言呟くと、壺に向かって手を伸ばした。壺はやや高い位置に置かれていたが、長身の彼女は難なく掴み取ることに成功した。一度胸に抱きかかえてから蓋を握って開くと、予想通り様々な形のクッキーがぎっしりと詰まっていた。
「さてさて……どれからいきましょうか」
しばらく迷うように人差し指を宙で動かした後、丸い形の一枚を繊細な手つきでつまみ取り、口に運ぼうとした。
「ダメ! それには手を出さないで!」
「えっ……?」
突如聞こえてきた声に驚き、タンザナは思わず壺を取り落とした。
「くっ……!」
タンザナはつまんでいたクッキーを宙に放り投げると、空いた手を壺にむかってかざした。すると壺が空中で制止し、ゆっくりと彼女の胸の中へと収まった。同時に、宙に放り投げていたクッキーが壺の中に落下する。
「アンバー様、いきなり大声を出しては危ないではないですか」
タンザナは台所に入り込んできていたブロンドの少女に注意した。
「すみません、いきなり叫んだのは悪かったですけど……」
アンバーはタンザナの抱えている壺に視線を落とした。
「それは父のものなんです。だから食べないでおいて下さい」
「あら、それは……」
タンザナは壺の蓋を閉めると、戸棚の上に戻した。
「申し訳ありません。ただ私、その……お腹が空いていたものですから」
「そんな……謝る必要は無いですよ」
アンバーはそう言うと、別の棚からバスケットに入ったリンゴを取り出し、タンザナに手渡した。
「あれは父のお気に入りのクッキーなんです。だから、取っておきたくて……」
アンバーの視線が2階の寝室の方角へと移った。
「……お父上のこと、教えて下さってありがとうございます」
タンザナがアンバーの肩に手を置いた。
「きっと元に戻せますよ。私も協力します」
「ありがとう、タンザナさん」
アンバーはタンザナの手に自分の手を重ね、振り向いて微笑んだ。タンザナは微笑み返す代わりに、空いている方の手でリンゴを手に取って一口かじってみせた。
「ふむ……甘美な味わいですね」
「何を騒いでいるのですか?」
台所に隣接するリビングのほうから声がして、イキシアが現れた。
「叫び声が聞こえたようですけど……」
「大丈夫だよ、イキシア。大したことじゃない」
「ええ。問題は何もありません……」
アンバーに続いてタンザナが答えを付け足した。
「ただちょっと、クッキー的な話をしていただけです」
「意味が分からないんですけど……」
イキシアは呆れながら台所に入ると、胸ポケットから杖を取り出し、タンザナのリンゴに向けた。すると、リンゴの実がきれいに剥け、皮は部屋の隅に置いてあったゴミ箱へと飛び込んだ。
「このほうが食べやすいですわよ」
「ありがとうございます」
タンザナはイキシアに頭を下げ、またリンゴを口にした。
「そういえば貴女、何故この街にいらっしゃったのですか? 何やら旅をしていたようですが」
「さあ? 何故でしょうか……」
タンザナは思案顔で呟くと、また一口リンゴをかじった。
「もしや……何か使命を帯びて?」
「……わたくしをからかっていますの?」
イキシアが顔をしかめたが、タンザナの視線はリンゴに注がれていた。
「でも、タンザナさん。やっぱり道で倒れているなんて変ですよ。何かあったんでしょう? 三日ぐらい食べてないって言ってましたし……」
「ええ。この街に来てすぐに財布を盗まれてしまったんです。おかげでその日は何も食べられず、行く当ても無いままに道の上に倒れてしまって……」
「……三日も食べていないと言ってませんでした? 三日間倒れていたんですの?」
イキシアが口を挟むと、タンザナは腕を組んで考え込んだ。
「それはちょっと不自然かもしれませんね。今考えると食べていないのはせいぜいが半日くらいかもしれません。まあでも、腹時計では三日と大差ないですよね」
タンザナはそう言ってまたリンゴをかじり、残り少ないことに気付くと芯ごと一気に飲み込んだ。
「あの……大分違うと思いますけど」
「ええ、アンバー。そのとおりですわ。ですが今は……」
イキシアはバスケットを掴むと、二個目を取ろうとしたタンザナの手を払いのけてそのままバスケットを戸棚にしまった。
「ああもう、何をするんですか!」
「しゃらくさいですわよ、タンザナ」
イキシアはタンザナを窘めると、台所を出て玄関へと向かった。
「イキシア、どこに行くの?」
「アンバー、貴女も準備をなさい。出かけますわよ」
「出かけるって……どこに?」
アンバーは尋ねながらリビングに向かい、聖剣を腰に差した。タンザナも台所を出てイキシアの隣に移動する。
「決まっていますわ。タンザナの財布を取り返すんですのよ」
イキシアはそう言うと、意気込んでドアに手をかけた。
「あらあら……随分と楽しそうですね」
タンザナはまるで他人事のように笑った。
「そんないきなり……冗談じゃない」
アンバーはため息交じりで呟いた。
4へ続く
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