プリンセス・クルセイド #4 【戸惑いと友情】 6
チャーミングフィールドから帰還したイキシアは、しばらく立つことが出来なかった。片膝を突いたまま、無言で自らの足元を見つめる。
「王女、立てますか?」
「……放っておいてください」
視界に割り込んできたメノウの手から、イキシアは顔を背けた。敗者として潔くないことは分かっている。しかしそれでも、その手を取ることはできなかった。彼女はそのまま頭を項垂れるに任せ、敗北の味を噛み締め続ける。
「……悔しいのですか?」
手を引いたメノウが、深刻な口調で尋ねてきた。
「ええ……当然ですわ」
視線を伏せたまま、イキシアは素直に認めた。鉛のように重い何かが胸の奥にのしかかる。この数年間忘れていた感覚だ。
「当然? おかしなことをおっしゃいますね」
そう言ってメノウがイキシアの前に屈みこむ。
「一体何が悔しいと言うのです。心の剣がある限り、敗北は存在しません」
「えっ……」
メノウの言葉を聞いて、イキシアは咄嗟に顔を上げた。その時、ほんの一瞬だけ彼女の目に別人の顔が映った。心の剣。自分にその言葉を授けてくれた人の顔に見えた。
「なっ……どうして……?」
「王女、あなたはまだ立ち上がれるはずだ」
メノウはイキシアの動揺には気付かず、ただ微笑んでいた。彼女の瞳には、イキシアがどのように映っていたのかは分からない。しかし、彼女のイキシアを見る目にも、確かに何かの変化があった。
「メノウ、貴女は一体……何者なのですか?」
「さあ……何者なのでしょうか?」
イキシアの問いに、メノウは曖昧に答えた。それは答えというより、彼女も自らに尋ねているかのようだった。そして訝るイキシアの視線を避けるようにして、そのままメノウは周囲を見回した。その目に、こちらに向かってくる人影が目に留まる。
「……王女、少し失礼を」
メノウはその人影を特定すると、おもむろにイキシアの手を取った。
「何を……?」
「あまり動かないように」
メノウはそのまま剣から風を起こし、イキシアもろともその風に包まれた。
「王女!」
傍らで様子を見ていたガーネットが、二人を止めようとする。
「ガーネットさん、ご心配なく。王女は私が責任を持って送り帰しますので」
ガーネットの制止を振り切り、メノウとイキシアは風と共に飛び立った。その直後、防壁の向こう側に立つ大木の枝に、二人の姿が現れる。
「いつの間に……?」
ガーネットは呆気に取られた。それは木の枝の上から様子を窺っていたアンバーも同じだった。突然目の前に移動してきた二人を見て、驚愕に目を見開く。
「メノウさん……イキシア王女も?」
「アンバー、王女を頼む」
メノウはそう告げると、イキシアをアンバーの隣の枝の上に座らせ、自らは再び風に包まれた。
「頼むって……メノウさんは?」
「私は急用ができた。今日はもう会えないが……君は王女と一緒に居てくれ」
やがて突風が吹きすさぶと、すでにメノウの姿は消えていた。
「……行っちゃった……」
アンバーはしばらくメノウの立っていた位置を眺めたあと、未だに苦い顔をしている王女を見た。
「王女……残念でしたね」
チャーミング・フィールドから戻った直後のメノウとの会話は聞き取れなかったが、アンバーにも彼女の様子から闘いの結果は予測できていた。
「……」
王女は無言だった。押し黙ったまま、眉根を寄せている。アンバーは慰める言葉をかけようと口を開いた。
「王女……」
しかし、何を言えばいいのか分からなかった。思えば、前の闘いでミーシャに勝った時にも何もできなかった。しかし、同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
「……イキシア、もう帰ろうよ」
なんとか口を突いて出た言葉は、ミーシャと同じく敗北に耐えていたエリカ姫に、彼女の兄のエイドリアン王子が掛けた言葉と同じだった。
「帰るって……どこにですの?」
「決まってるよ」
アンバーはイキシアに微笑みかけた。
「私の家だよ。一緒に帰ろう」
「……よろしいですわ」
イキシアは不敵に微笑み、アンバーに手を差しだしてきた。アンバーはその手を握った。結局今日のところは、闘いへの葛藤は消えることは無かった。しかしその代わりに、確かに得るものがあった。イキシアの手から伝わってくる温もりを感じながら、アンバーはそう確信した。
#4 【戸惑いと友情】完
次回 #5 魅惑のプリンセス