プリンセス・クルセイド 第2部「ザ・ナイト・オブ・ヴァンパイア」 #4 【月夜に嘲う】 2
「……まだかなあ………」
工房の軒先でシャッターに寄りかかりながら、アンバーはタンザナの帰りを待っていた。空には満月を明日に控えた月が輝き、時折吹く夜風が髪を弄ぶ。まだまだ夜は冷える季節だ。アンバーはふと、家のドアを開け、リビングの様子を確認した。ソファーの上で横になるカーネリアの体から、掛け布団がずり落ちている。アンバーがリビングに戻ってそれを拾っていると、階段の上から声が聞こえてきた。
「……まだ帰っていらっしゃらないのですね」
「イキシア……」
イキシアは階段から降りてくると、カーネリアの寝ている反対側のソファーに座った。
「わたくし、あれから色々考えていたのですが……やはり、少々彼女に対して失礼だったと思いますわ」
「いやいや、気付くの遅いよ……」
カーネリアの体に布団を掛け直しながら、アンバーはイキシアに答えた。彼女としてはさほど責める気はなかったが、イキシアの捉え方は違っていたようで、やや神妙な面持ちで話を続ける。
「まったく仰るとおりですわ。わたくしとしたことが、あのようにはしたない真似を……」
「今ここで言っててもしょうがないよ。タンザナさんが帰ってきたら、皆でちゃんと謝ろう? それしかないよ」
「アンバー……」
イキシアは食卓のほうへ視線を走らせた。ダイニングテーブルの上に、タンザナのために用意された料理が大量に並んでいる。
「……そうまで言い切る割には、随分と準備がよろしいですわね」
「まあ、その……できることは何でもしておいたほうがいいと思ってさ」
「貴女も存外計算高いですわよね……っと、こんな話をするために起きてきたんじゃありませんわ」
「えっ、それって……どういう意味?」
それまで探るように話していた口調が急に変わり、アンバーは身構えた。イキシアは少し間を置いてから話を続けた。
「わたくし……あの方……タンザナの瞳を見ていると、何か言い知れない恐怖を感じることがありますの」
「恐怖……?」
戸惑いを見せるアンバーに構わず、イキシアは話し続ける。
「ジェダイトから貴女を救いだすためにあの屋敷に侵入した時、あの方は普段よりも一層様子がおかしくて……貴女も今日のメノウとの闘いでご覧になったでしょう?」
「うん、あれは確かに……おかしかった」
アンバーはプリンセス・クルセイドでメノウの超高速移動を破ったタンザナの姿を思い出した。あの時の彼女の異質さは、普段の胡乱な様子とは明らかに毛色が違っていた。
「でも……だからってまさか、タンザナさんがヴァンパイアだってことはないよね? 今日の感じだってきっと、聖剣の能力かなんかで……」
「……そうだといいですけども」
言葉とは裏腹に、イキシアのタンザナに対する疑いは晴れていないようだった。彼女の懸念が伝染したかのようにアンバーの背筋を悪寒が走る。その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「……帰ってきましたわね」
「うん、イキシアはカーネリアちゃんを起こしてあげて」
アンバーはソファーから立ち上がって玄関に向かい、ゆっくりとドアを開けた。やはり予想どおり、そこには薄紫色の髪をした見目麗しい女性が立っていた。
「タンザナさん! 帰ってきてくれたんですね!」
「いいえ、アンバー様。残念ながら違います」
「えっ……」
予想外の答えに、アンバーは思わず絶句した。こちらを見つめ返すタンザナの金色の瞳が妖しく光る。
「……やっぱり昼間のことをまだ怒っているんですか? あのことは本当にすみませんでした。イキシアもカーネリアちゃんも反省してるんです。晩ご飯も用意してますし、なんとか……」
「アンバー様、それはもう良いのです」
必死に説得を試みるアンバーを、タンザナは静かに制止した。
「昼間のことは、もう怒ってなどいません。過ぎたことはすべて過去ですから。そんなこととは関係なく、今夜はもう帰らないことにしたんですよ」
「帰らないって……ど、どうして?」
「どうしてもです。ちなみに、明日の朝も帰りません。お昼頃には帰ってくるかもしれませんが、夜になればまた出ていきます。そしておそらくそれが……」
畳みかけるように話していたタンザナが、そこで一旦言葉を切った。そしておもむろに月を仰ぎ見ると、呟くようにして話を続けた。
「おそらくそれが、お互いに最後となるでしょう。お別れの言葉はその時に言わせて頂きます。今は先に感謝を述べさせて下さい。短い間でしたが、今まで本当にありがとうございました」
タンザナはそう言うと、深々と頭を下げた。
「タンザナさん! そんな、最後だなんて……」
「晩ご飯の件は非常に残念です。ですがもう、他に方法がないのです。それでは、また明日」
「待って、タンザナさん!」
アンバーが止めるのも聞かず、タンザナはその場から足早に去っていった。アンバーはそれを呆然と見届けた後、膝から崩れ落ちた。タンザナの金色の瞳を見た瞬間生まれた言い知れぬ恐怖が、その瞬間彼女の体中を支配していた。
3へ続く