プリンセス・クルセイド #4 【戸惑いと友情】 3

 まだ日も登り切っていない早朝の石畳の道の上を、アンバーは後ろめたい思いをしながら歩いていた。目の前には先導する赤毛の少女の後ろ姿。彼女の足取りは早く、アンバーも自然と早足になる。まるで何かから逃げているようで、後ろめたい思いがさらに強くなる。

「……王女は君の所に泊まっているのか?」

 不意にメノウが背中越しに話しかけてきた。

「はい……そうですけど」

 アンバーは返事をしつつも、足を懸命に動かした。メノウは会話中もペースを緩めてはくれない。

「やはりな。あの宿泊施設は彼女の好みじゃないからな」

「それはなんとなく分かるんですけど……っていうか、やっぱり王女とお知り合いなんですね」

「……違う。私はただ……」

 そう言ったきり、メノウは押し黙った。機嫌を損ねたからなのか、王女の話を誤魔化そうとしてのことなのかは分からない。ただ、アンバーは彼女のこの態度に奇妙な感覚を抱いた。どこか納得がいかないというか、腹に据えかねるものがある。

「……着いたぞ」

「えっ? あっ……」

 余計なことを考えていたせいで、アンバーはメノウが止まっていたことに気が付かなかった。歩く勢いが止まらず、彼女の背中にぶつかってしまう。

「痛っ!」 

 メノウが声を上げ、わずかにつんのめる。

「すみません、メノウさん」

 アンバーはすかさず頭を下げた。その反動で、自らもよろめいてしまう。

「うわっ!」

「オイオイ、大丈夫か」

 振り返ったメノウが、アンバーの肩に触れて体を支えた。彼女の温もりが、掌を通してアンバーの体に伝わってくる。

「意外と抜けてるんだな、君は。注意力が足りないというか……」

「すみません……」

 アンバーはまた頭を下げた。

「いちいち頭を下げなくていい」

 メノウはアンバーの肩から手を離すと、後ろに回りこんた。そして今度は両手で頬に触れ、アンバーの顔を上げさせる。

「メノウさん……?」

「いいか、あそこの木を登ると、ちょうど街の外が見える」

 メノウの言葉どおり、目の前には大きな木が立っていた。木の傍らには、頑丈な石の壁が見える。

「えっ、あの壁って……?」

 アンバーはメノウの手に触れて顔から離れさせ、視線を下ろして正面を見た。そこにある壁は、王都を外敵から守る防壁に間違いない。いつの間にか、街の境界まで来てしまったようだ。

「どうした? 木登りは苦手か?」

「いえ、これぐらいはなんてことないんですけど」

 アンバーは事も無げに答えた。幼い頃、彼女は活発に外に出歩き、街中を探検して遊んでいた。木に登ったことなど、一度や二度ではない。それどころか、この木も何度か登ったことがある。

「でも、外出禁止って言われているじゃないですか。それをこんなところまで来るなんて……」

「別に街の外に出ようってわけじゃない。大丈夫だろう」

 そう答えるや否や、メノウは木に取り付いて軽々と登っていった。

「ちょっと、待ってくださいよ!」

 その後に続き、アンバーも慌てて木を登った。自分の言葉を証明するように、易々とメノウに追いついてみせる。

「ふふっ、君は見かけによらないな」

 丈夫な枝の上に立っていたメノウが、アンバーに手を貸す。

「私はプリンセスじゃなくて街娘ですから」

 その手を取り、アンバーは彼女の隣に座った。そして防壁の向こうに目をやった。

「これは……」

 そこに広がる光景に、アンバーは息を呑んだ。草原の上で、城の騎士たちが剣を手に、四本足の獣のような生き物と戦っていた。生き物の姿は獣の中でも狼に似ていた。鋭い牙に爪、血走った瞳。その迫力は、精鋭ぞろいの騎士たちが二人一組で対している程に恐ろしい。しかし、そんな騎士の中に場違いなまでに煌びやかな茶髪の女性が一人紛れていた。

「イキシア王女だな」

 アンバーの視線の先を察したかのように、メノウが呟いた。草原で戦う茶髪の女性は、演舞の様に華麗な動きで魔物を圧倒している。時折火や水の魔術を放つ聖剣の形状からしても、間違いなくイキシア王女だろう。

「一緒にいるのはガーネットか? だが、あの剣は彼女のものではないようだが……」

 王女の隣に立つ紺色の髪の女性騎士の姿を見て、メノウが訝るように呟いた。アンバーもガーネットの姿を確認する。しかしそれ以上に、メノウの口ぶりが気になった。

(ガーネット? 呼び捨てで……)

 メノウは城の騎士のことをかなり近い目線に立って話している。アンバーの疑念は確信に変わった。メノウはなんらかの形で王家に関わりのある人物だ。それも、限りなく中心に近いような位置にいる。

「……さて、アンバー。何が分かった?」

「えっ?」

 突然のメノウの問いかけに、アンバーは不意を突かれた。思わず彼女の秘密について問い質そうと口を開きかけたが、すぐに考え直した。今はそんな話をする時ではない。アンバーは改めて草原の様子を見下ろした。ちょうど、イキシア王女が魔物を斬り伏せたところだった。二つに裂かれたグロテスクな魔物の死体の中心から、宝石のように輝く結晶体が現出し、虚空へと飛んでいく。

「魔物はあの結晶体の中にバイタルを宿していると言われている。その命が失われると、あのようにどこかへ行ってしまうわけだ」

 メノウが誰に聞かせるともなく呟いた。

「やっぱり……天国に行くんでしょうか?」

「地獄かもしれないな。ただ、魂がどうのこうのというわけでもないようだ」

 また一つ飛んでいく結晶体を見ながら、メノウが解説を続ける。

「詳しいことは分かっていない。あの結晶体の目的地を突きとめた者もいない」

「でも……死んだのは間違いないんですよね」

 アンバーはそう呟いて目を伏せた。

「おそらくは。だが、生きていくためには他の命を奪わなければならないこともある。それは……分かるだろう?」

「私は今度19才になるんです。それぐらいは分かっています。でも……」

 アンバーは顔を上げてメノウを見つめた。

「何もかも全部そのとおりなんでしょうか? 本当に誰かの夢を奪わないと、自分の望みが叶わないんですか?」

「……プリンセス・クルセイドはそういうことになっている」

「それって……悲しいです」

「……」

 メノウの返事は無かった。彼女に聞いても仕方の無い問題だということは、アンバーも承知している。しかし、口に出さずにはいられない。

「王子は……どう思っているんでしょうか?」

「……彼は――」

「王女!」

 メノウが口を開いた時、ガーネットの声が響いた。声のしたほうを向くと、イキシア王女に魔物が襲い掛かるのが見えた。ガーネット自身は他の魔物に手こずっている。

「危ない!」

 アンバーが現状を認識して声を上げた時、脇から吹いた風がブロンドの髪を揺らした。

「ギャーッ!」

 そしておよそプリンセスらしくない悲鳴が、周りにこだまする。実際、それはイキシア王女でなく魔物の叫びだった。結晶体が、空高く舞い上がる。その下には、剣を構えた赤毛の少女が立っていた。

「危ないところだったな」

4へ続く


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