プリンセス・クルセイド #3 【心の剣】 3
日が傾き始めた午後、アンバーは街外れの丘の頂上で、聖剣を構えて立っていた。虚空を見つめ、精神を研ぎ澄ませるように息を細く長く吐く。目の前はなだらかな坂になっていて、街へと下る道は死角になっている。もう一度深呼吸をした時、その死角から突然、何か四角い物体が回転しながら飛び出してきた。
「ハアーッ!」
アンバーはその物体に狙いを定め、剣を一閃した。すると、刃の先から小さな光の球が飛び出し、物体が頂点で一瞬制止したところを過たず捉える。
「よしっ!」
物体が弾き飛ばされたのとほぼ同時に、アンバーは剣から片手を離して拳を握った。その直後、吐く息が一転して荒くなり、美しいブロンドの髪からは玉のような汗が落ちる。足元はおぼつかず、ついに片膝をついた。
「……ハア、ハア……まさか、こんなにかかるなんて」
「いえ。上出来ですわ、アンバー」
称賛の声と共に、坂の下からイキシア王女の姿が現れた。王女はこちらに登ってくる途中で進路を変え、アンバーが弾き飛ばした物体の落下点へと向かう。
「イキシア王女、私が……」
「いえいえ、構いませんよ」
駆け寄ろうとするアンバーを制止して、王女は足元に落ちていた四角い物体を拾い上げた。その金属でできた正方形の物体は、四つの頂点がそれぞれ鋭い刃になっており、中心には四角い穴が開けられている。
「ところで王女、それって何なんですか?」
ゆっくりと王女の隣に歩いてきたアンバーが尋ねる。
「これは手裏剣。忍びの武器ですわ」
「忍び……? もしかして、王女の武芸十八般に関係あるんですか?」
「……まあ、おおむねそんなところですわ。ちょうど手持ちがあって助かりました」
王女はそう言って、着ていた服の胸ポケットに手裏剣を収めた。彼女の煌びやかなドレスに入っているにしては、やや物騒な物だが、この太陽のプリンセスにはどこか相応しく見える。少なくとも、アンバーはそう思った。
「さて、それではもう一度おさらいしておきましょうか」
王女が腰に差していた聖剣を抜き、目の前に掲げてみせた。
「チャーミング・フィールドに限らず、闘いというものの鍵を握るのは魔力という力ですわ。魔力は大きく分けてエレメントとバイタルの二つに分かれます。そのうちのエレメントとは……」
王女は上空へ向けて剣を振った。すると刃の先から小さな炎が飛び出し、しばらく上昇したあとで消滅する。
「このように、自然の中に存在する火、水、風、土の力のことを指します。これに対し、バイタルとは――」
「……」
王女の力説をよそに、アンバーは炎が打ち上げられた空を眺めて沈黙していた。
「……アンバー? 聞いてます?」
「えっ……ああ! すみません、聞いていませんでした」
「集中して下さいな。貴女のために説明しているのですから」
王女が不満そうにアンバーの胸を手の甲で軽く叩いた。
「す、すみません……」
アンバーは申し訳なく思って俯いた。王女が剣から魔術を放つ姿を、思わずメノウの姿と重ねていたのだ。ちょうどこの丘で、アンバーを導いてくれたあの少女は、今どうしているのだろうか。そんなことを考えてしまった。
「……とにかく、もう一つの魔力の名前はバイタル。これは人間の中にある力のことですわ」
「知ってます。学校で習いましたから」
話を聞いている姿勢を見せたくて、アンバーは剣を構え直した。
「何かに精神を集中させて、バイタルを解き放つ。そうして、自然の中のエレメントに干渉する……」
アンバーは聖剣にバイタルを送って光り輝かせると、先程の王女と同じように上空に向かって振り抜いた。すると刃の先から水柱が上がり、天に上る龍のごとく伸びていく。
「それが魔術。ですよね?」
「ご名答。でも、少し下がった方がよろしいですわ」
「えっ……?」
呆気に取られるアンバーをよそに、王女は数歩後ろに下がった。その直後、上から勢いよく水が落ちてきて、アンバーはもろに頭から被ってしまった。
「ぶはっ!」
「ふふっ、アンバー。自分で打ち上げておきながら……」
「うう~……」
王女に笑われ、アンバーは少しみじめになった。そして、他の魔術を選べば良かったと後悔した。
「とまあ、コツさえ掴んでしまえば魔術そのものは別段難しくはありません。もちろん、使う魔術は慎重に選択する必要はありますが」
「……でも、チャーミング・フィールドには……」
アンバーは自分の失態がこれ以上責められるのを避けようと、話を前に進めた。
「そう。チャーミング・フィールドにはエレメントは存在しません。故に、己のバイタルを完全にコントロールして最大限発揮する必要があるのです」
「それでさっきの練習なんですよね。でも……」
アンバーは膝から崩れ落ち、その場にへたり込んだ。
「もう疲れましたよ……あの魔術、何だかバイタルを全部使ってしまう感じで……」
「それはそうですわ。エレメントを使う場合、バイタルは干渉するために必要な最小限の力でいい。しかし、バイタルだけで魔術を成り立たせようとすれば、それ相応の力を消費いたしますの」
「それであんなに……」
アンバーは座ったまま立てなかった。魔術を使ってこんなに疲れたのは初めてだ。いや、確か子供の時にも同じ経験があった気がする。しかし、あれは単に魔術を習い始めたばかりだったからだ。今回練習した光の球を放つ魔術は、普段の魔術の十倍は疲れる気がする。
「……でも、どうしてこんなことを?」
「これは貴女の力になる。今日練習したのはバイタルを直接相手にぶつける技……斬撃波と同じなのですわ」
「斬撃波……」
アンバーは思わず自分の聖剣を見た。ジェダイトとの闘いでは勝利を導き、イキシア王女との戦いでは窮地を救ってくれた技、それが斬撃波だ。
「斬撃波はどんな聖剣も使うことの出来る技。さらに聖剣による物理攻撃以外では、唯一の相手の聖剣を折ることが出来る技なのですわ」
「でもイキシア王女……誰でも使える技を鍛えるよりも、自分だけの技を鍛えたほうがよくないですか? 王女の武芸十八般みたいに……」
「それは違いますわ、アンバー。貴女、そもそも自分の聖剣にどんな能力があるかご存知?」
「……いいえ、知りません……」
アンバーはそう答えた時、ある疑問が浮かんだ。
「そういえば、王女はどうして聖剣の能力を知っているんですか?」
「知っているのではありません。分かるのです」
「分かる……?」
アンバーが首を傾げるのを見て、王女は自らの頭を指差した。
「頭に浮かぶのです。自分の持つ聖剣は、どんなことが出来るのか。わたくしは剣が自在に変化することが分かりました。もっとも、どのような武器に変化させるかは自分で考えて決めていますけどね」
「私はそんなことありませんでした……」
アンバーはチャーミング・フィールドでの闘いを思い返した。
「斬撃波だって、ジェダイトが使っていたのを真似しただけで……」
「そのジェダイトという方のことも不思議ですわね。それほど魔力の高い方なら、聖剣の能力を知っていても問題ないはずなのに」
アンバーはイキシア王女にジェダイトとのことを話していた。王女はジェダイトの行動にひどく憤慨した。そしておそらくはアンバーの状況に同情してくれたからこそ、今こうして魔術の使い方を教えてくれているのだ。
「まあ、そっちは今考えても仕方ありませんわね。とにかく、お父様のためにも、貴女は勝ち抜かなければなりませんから。そのために、まず基本を磨いて欲しかったのです」
「そういうことだったんですね。ありがとうございます、イキシア王女。大切なことを教えてもらって……」
「いいんですのよ。わたくしも貴女にタダで闘い方を教える訳じゃありません……」
イキシア王女はそう言うと、アンバーの前に屈みこみ、肩に手を置いた。その顔には、怪しげな笑みが浮かんでいる。
「あの、それってどういう……」
「さあ、どういう意味でしょうね? ただ、わたくしの力を当てにしてはいけませんわ。お互い敵同士ですものね」
「ああ、はい……そうですね」
アンバーはそう言われて少し気が沈んだ。たった一人で自身の無い闘いに挑まなければならないという気持ちが、このイキシア王女との特訓で解消されるような気がしていた。だが、いくら王女が親身になってくれたところで、彼女は王子との結婚を勝ち取ろうとしている。アンバーの目的は結婚ではなく王室秘伝の杖だが、プリンセス・クルセイドを勝ち抜かなければならないのは変わりない。
「……そんな顔なさらないで。貴女に一つ、良いことを教えて差し上げますから」
王女はそう言って、優しくアンバーの胸に手を置いた。
「貴女の強さは常に、貴女自身の中にある」
「私の中に……?」
アンバーは自らの手のひらを王女の手の上に重ねた。王女の手の温もりが伝わってくる。
「心に誓ったひとふりの剣が力を与える。己こそ、己の寄る辺ということです」
「己こそ、己の寄る辺……」
アンバーは反芻するように繰り返した。不思議と勇気が湧いてくるような気がして、アンバーは立ち上がった。
「イキシア王女、私、頑張ります!」
高らかにそう宣言した時、声に被せるようにしてアンバーのお腹が鳴った。
「あ、あう……」
「寄る辺よりも夕食ですわね。さすがに長くかかりすぎましたわ……」
イキシア王女はそこで言葉を切ると、暮れ始めた夕日が照らす丘の下の街並みを眺め、しばし沈思黙考した。
「……どうしたんですか、王女?」
「……いいえ、なんでもありません。それよりも、夕食はわたくしがご馳走しますわ。今朝のお礼です」
「本当ですか……ありがとうございます!」
「構いませんよ、頑張りましたものね」
王女はそう言って歩き出し、アンバーも後に続いた。
その時、アンバーはまだ気付いていなかった。二人の向かう先に、彼女たちへの試練が待ち受けていることを。
4へ続く