プリンセス・クルセイド #3 【心の剣】 6

 翌朝、アンバーは馬小屋に居た。馬小屋といっても、王家専用の宿泊施設の裏手にある広々とした厩舎だ。中には王都を訪問中の来賓たちの馬がそれぞれに仕切られた小部屋の中に収まっている。

「よしよし、ルナ。良い子にしてましたか?」

 厩舎の中では、アンバーと一緒に来ていた茶髪の女性、イキシア王女が愛馬の顔を撫でている。

「ぶるぅ」 

 王女の愛馬である白馬のルナが、撫でられて満足気な声を出した。

「イキシア王女、ルナちゃんのことが心配なら昨日はどうしてうちに泊まったんですか?」

 アンバーは王女に歩み寄り、自分もルナを撫でながら話しかけた。昨日、王女はファムファンクのエリカ姫とプリンセス・クルセイドでの闘いを誓った後、何故かアンバーの家に泊まると言って聞かなかった。特に迷惑することもなかったのだが、この厩舎に馬を預けておけるということは、来賓用の宿に部屋があるということだ。その部屋を使わずに、わざわざ街の鍛冶屋で一夜を明かす理由がアンバーには理解できなかった。

「ええ……それはまあ……色々とあるんですのよ」

 王女の返答は不自然に曖昧だった。何かを隠しているのは明らかだったが、今のアンバーには皆目見当がつかない。

「そ、それよりも、エリカはいつ来るんですかね?」

 不必要なまでに馬を撫でながら、王女が話題を変えた。明らかに不自然な態度だったが、彼女の発言でアンバーは疑問は他に移った。

「……あれ、待ち合わせしてたんですか?」

「……待ち合わせ?」 

 話を自分から振っておきながら、王女の返答には妙な戸惑いが見え、アンバーは悪い予感がした。

「……えっと、つまり会う約束はしてたんですか?」

「……約束?」

 質問のオウム返しを二度続けた後、イキシア王女の表情が険しくなった。どうやら、アンバーの予感が的中したらしい。

「ひょっとして、決めてないんですか? もしかしたら、時間とかも……」

「……まあ、彼女もわたくしがここに来ると思っているでしょう。時間も……これだけ早い時間に来ていれば大丈夫です」

 王女はそう言うと、馬を撫でる手を止めて得意気に空を指差した。彼女の指の先にある太陽は、まだ東の空を登っている最中だ。確かに、今から待っていればいつかは姫に会えるかもしれない。それがいつになるかは分からないが。

「それにわたくしだって、根拠無くここに来たわけではありません。あそこの馬を御覧なさい」

 王女は得意気になったまま、畳みかけるように言葉を続け、今度は厩舎の奥を、手のひらを上に向けて示した。その先には、雄々しい栗毛の馬がいた。

「あちらはエリカの馬ですわ。名前はケンドール」

「へえ……かっこいい馬ですね」

 そう答えながら、アンバーはケンドールに近づいていき、その艶やかな栗毛に触れた。ケンドールはそれを嫌がる気配も無く、堂々としている。

「毛並みも綺麗だし……とっても立派です」

「ええ……彼女がよく面倒を見ていますから」

 王女が呟くように答えた。その声の響きは穏やかで一点の曇りも無く、エリカ姫に対する敬意さえ感じさせた。先程までの言い訳がましい口調とは明らかに違っている。そんな彼女に、アンバーは感じていた疑問を投げかけた。

「あの……王女とエリカ姫ってどんな関係なんですか?

「何故そのようなことを?」

 王女は少し驚いた表情を見せた。

「いえ、あの……何て言いますか、昨日はただならない雰囲気だったので。その……もしかしたら、エリカ姫の事をお嫌いなのかなって」

「わたくしが彼女を? ふふっ、まさか……」

 イキシア王女は吹き出すようにして笑った。

「わたくしが彼女を嫌うなどありえませんわ。確かに、多少ぶつかり合う機会が多いのかもしれませんけど……」

 王女はそう言うとケンドールに歩み寄り、アンバーの隣で優しく頭を撫でた。

「彼女はわたくしの大切な友人です」

 その言葉に嘘や建前は感じられなかった。ケンドールを撫でる仕草からも、それは伝わってくる。しかし、だからこそ余計に気になることがあった。

「それなら、昨日の事は何だったんですか? やっぱり、王子の事が原因ですか?」

 イキシア王女は王子との結婚、すなわちプリンセス・クルセイドのこととなると、相手が誰であろうと情け容赦が無い。アンバーは身をもって知っていた。

「それは関係ないような気がします。ただ、わたくしは何故か昔から彼女の顔を見ると――」

「もういらしてたのですね、イキシア」 

 突然声が聞こえ、王女は言葉を切った。アンバーが声のした方を向くと、エリカ姫が厩舎の入口に立ち、こちらを見据えているのが見えた。

「ええ。お互い闘う場所を決めていませんでしたので。取り敢えずこちらから出向いたという訳です」

 馬を撫でる手を止め、イキシア王女が淡々と答えた。こちらもエリカ姫に向き合い、その姿を見据えている。

「ええ。私はどうもいけません……」

 エリカ姫は自嘲するように頭を横に振った。そして腰に差していた聖剣に手を掛け、勢いよく引き抜く。

「貴女の顔を見ると、どうしても熱くなってしまう……」

「それはこちらもですわ」

 王女が不敵な笑みを浮かべ、こちらも腰の聖剣に手を掛けて一気に引き抜こうとした。

「……ちょっと待ったー!」

 しかしそこへ、幼い少女の声が割り込んできた。その場にいた全員が声の聞こえた方向、エリカ姫の後ろを向いた。

「エリカ姫、私も闘わせてもらいます!」

 声の主は、厩舎に駆けこんでくるなりそう宣言した。

「ミーシャ!? 何故ここに……?」 

 エリカの声が驚きで裏返った。声の主は、まだ幼い少女だった。アンバーには、彼女に見覚えがある。昨日、来賓用レストランで会った少女だ。彼女はこの王都エアリッタに住んでいて、それまでにも何度か姿を見たことがあった。

「闘うって、誰と……?」

 アンバーはミーシャの手元を見て、戸惑いながら尋ねた。小さな彼女の手には、不釣り合いなほどに見事な聖剣が握られている。

「エリカ姫がイキシア王女と戦うなら……」

 ミーシャはイキシア王女を僅かに窺った後、剣から片手を離してアンバーを指差した。

「私は貴女と戦う!」

「えっ! な、何で……?」

 突然の指名に、アンバーは動揺した。自分より幼い少女が聖剣を手にしているだけでも驚きなのに、その彼女が初対面の自分と闘いたがっているのだ。

「何でもいいから! 貴女は私と闘うの!」

 片手で支えていたがために取り落としそうになった剣を両手で支えつつ、ミーシャが続けた。

「いや、そんなメチャクチャな……イキシア?」

 アンバーは状況についていけず、王女に助けを求めた。

「アンバー、理由はどうあれ挑戦されたら受けて立たねばなりません……それが闘いのマナーというものです」

 王女の返答は取り付く島も無いものだった。彼女はミーシャには目もくれず、未だエリカ姫を見据えている。そして、まるで何事も無かったかのように今度こそ静かに剣を抜いた。

「でも、だからって……」

「……わたくしは先にやっていますわ」

 王女は最早アンバーに耳を貸さなかった。視線は完全にエリカに釘付けになっていて、完全な戦闘態勢で剣を構えている。

「……さあ、エリカ。覚悟はできていまして?」

「それはこちらの台詞です!」

 イキシア王女の呼びかけにエリカ姫が応じ、二人はお互いに駆け寄った。そしてほぼ同時に切りかかり、剣が刃を交える。その交差点から強烈な光が生まれ、やがて二人を包み込むようにして消えていった。

「さあ、今度はこっちの番だよ! 早く構えて!」

「わ、分かった……」

 何か得体の知れない迫力に気圧されるようにして、アンバーは流されるまま剣を抜いた。すかさず、ミーシャが突進してくる。そのまま何も考える間もなく剣が触れあうと、刃の先から光が生まれ、アンバー達もまた、光に包まれて消えた。




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