プリンセス・クルセイド #1 【剣を持つ刻】4

 丘の上に生い茂る草花が風に揺られる。その上を踏みしめるようにして、アンバーとメノウが登っていく。目指すは頂上に立つ一軒の小屋。ふと、アンバーが足を止めて振り返る。眼下に広がる街並みは、不気味に沈黙して見えた。

「……不安か?」

 先行していたメノウが隣に立つ。

「はい……分からないことだらけで……」

 アンバーはメノウに向き直り、伏し目がちに呟いた。

「あの女の人は、何者なんですか?」

「彼女は……ジェダイトは魔術師だ」

 メノウが無表情に答えた。声の調子から、妙に冷たいものが感じられた。

「魔術師? でも、杖じゃなく剣を使って魔術を使っていました」

「魔術を使うのに、必ず杖が必要だというわけではない」

 メノウはおもむろに剣を鞘から抜くと、空に向かってひと振りしてみせた。すると剣から小さな光が飛び出し、しばらく上昇したあと花火のように破裂した。

「……このように、聖剣からでも魔術は放てる」

 一部始終を見届けてから、メノウが剣を収める。

「じゃあ、あれも聖剣だったんですね。でも、もう自分の剣があるのに、どうしてジェダイトはこれを欲しがっているんでしょうか?」

 アンバーが左手に持っていた白い鞘の剣を見つめる。

「聖剣を集めているんだろう」

 メノウの返答に、アンバーは首を傾げた。

「集めてどうしようっていうんです? 『聖剣は珍しいけど、それ程高く売れるわけでもない』って父も言っていましたよ?」

「今となっては事情が違う。プリンセスクルセイドが始まったからな」

「プリンセスクルセイド? でも、あれは何百年も前の伝説じゃ……」

 アンバーの顔に驚きが広がった。彼女の記憶では、プリンセス・クルセイドなんて言葉は学校の教科書の片隅に載っているのを目にしたきりだ。実際に口にしたのは、これが初めてかも知れない。

「お触れが出たんだ。王が死に、王子に伴侶が居ない今、妻となる者を闘いで決するプリンセスクルセイドが始まる。」

「お触れ……そんなの知らない」

「先ほど市場に張り出されたばかりだからな。まだ闘いも始まっていないはずだ」

 メノウはそう言うと、それまでと同じように先行して歩き出し、アンバーもそれに続いた。左手で持っていた剣は、胸に抱き抱えるように持ち替えた。二人はしばらく無言のまま歩き続けた。やがて二人は丘を登り切り、小屋のドアの前で足を止める。

「……準備はいいか?」

「はい……」

 メノウに返答するアンバーの声はかすかに震えていた。

「大丈夫だ。お父上も聖剣も、ジェダイトに渡したりはしない」

 メノウが勇気づけるようにアンバーの手に肩を置いた。アンバーはその手が微かに震えているのを感じた。

「メノウさんも……怖いんですね」

「ああ、怖いよ。でも……やるしかないんだ」

 メノウは意を決したように呟くと、アンバーを隠すようにして前に進み出た。そのままドアへと近づき、ノブを回すと同時に勢いよく蹴破った。

「邪魔するぞ」

 小屋の中は、小さな部屋が一つあるだけだった。その中でまず目に付くのは、大人の身の丈ほどもあろうかという高さの、円柱のような形をした不気味な水晶体。その前面を覆い隠すようにして、ジェダイトが木製の椅子に足を組んで腰掛けている。

「おやおや……これは思わぬ来客だね?」

 彼女はドアが蹴破られたことにはいささかも驚いた様子が無いが、目の前に立つ赤毛の少女には興味を惹かれたらしく、不敵な笑みを浮かべている。

「オチビちゃんは……ちゃんと来てるね。よしよし、言いつけもちゃんと守ってるじゃないか」

 ジェダイトはメノウの背中から半身だけ見えるアンバーの姿を確認すると、椅子から立ち上がった。

「……で、アンタの方は何故ここに?」

 ジェダイトの赤黒い瞳が、メノウを突き刺すように睨む。

「それはこちらの台詞だ」

 メノウの緑の瞳が睨み返す。

「馬鹿な真似はやめるんだ。今ならまだ間に合う」

「そういうわけにはいかないんだよ。分かってるだろ?」

 ジェダイドはメノウを睨めつけたまま、口だけを緩めて器用に笑う。

「パパはどうしたの?」

 メノウの背中から、アンバーが会話に割って入った。

「焦るなよ、オチビちゃん。パパならここさ」

 ジェダイトはアンバーを一瞥すると、視線はそのままにゆっくりと横へ移動した。椅子の後ろにあった不気味な水晶体が、その全貌を現す。

「……お父さん!」

 アンバーの叫びが小屋の中に響いた。水晶体の中には、ロベルトの体が閉じ込められていたのだ。その顔はまるで遺体のように生気が感じられず、両目は固く閉じられている。体は五体満足だが、まるで動く気配が無い。

「貴様、何をした!」

「落ち着きなって。こいつは無事さ」

 身構えるメノウを、ジェダイトがたしなめる。

「……だが、これからどうなるかはアンタしだいだ」

 ジェダイトがアンバーを指差した。

「どういうこと?」

 戸惑うアンバーを見て、ジェダイトの顔に笑みが広がる。しかし、その赤黒の瞳からの射るような視線が消えることはなかった。

「アンタ、その剣でプリンセス・クルセイドに参加しな。そうすればパパは返してあげる」

「私が? プリンセス・クルセイドに?」

 アンバーは反射的に自らが抱えている聖剣を見た。白い鞘に納まる白い柄の剣。今は亡き母の形見だ。

「そう。そして私の下僕になって、他の仔猫ちゃんどもと戦うんだ」

「それが貴様の狙いか。思っていたよりも下衆な奴だな」

メノウがアンバーを隠すように動き、ジェダイトを牽制する。

「そんな要求を呑むとでも思ったか?」

「それはオチビちゃん次第だろ?」

 ジェダイトはアンバーの返事を待つように、再び椅子へと腰掛けた。先程までの鋭い視線は消え失せ、ひと仕事終えたかのように落ち着き払っている。

「……こんな奴の言うことを聞く必要は無いぞ。どうせ約束なんて守りはしない」

「まあでも、パパがこのままじゃ嫌だよねえ?」

 緊迫感のあるメノウの忠告と、砕けた調子のジェダイトの挑発とを聞き、アンバーは沈黙した。そして水晶体の中で眠る父に視線を飛ばす。凍ったような表情で目を閉じるその姿に、遠い日の記憶が脳裏をかすめる。アンバーは剣を胸に抱く力を強めた。そして、静かに口を開く。

「……分かった。貴女のために闘うわ」

「……良い子だ」

 ジェダイトが猫なで声で呟く。

「ちょっと待て! あいつは君を利用しようとしているんだぞ?」

 メノウが叫び、振り返ってアンバーを見る。

「でも、お父さんには代えられない……そうでしょう?」

 アンバーの目には涙が浮かんでいた。胸に抱かれた聖剣が、ほとんど体に食い込むほどに密着している。

「……」

 その姿に、メノウは言葉を発することが出来なくなった。

「いい判断だ。さてと……」

 ジェダイトはおもむろに立ち上がると、腰に差していた剣を抜いた。鍛冶屋の一件でも使っていたレイピアだ。そしてその細長い刃の先を、沈黙するメノウに向ける。

「アンタは無事に返さないよ。色々面倒だからね」

「……やはりそうくるか」

 メノウが自らも剣を抜き、静かに構える。

「アンバー、離れていろ。私がこの女を倒す。そうすれば、君が戦うこともない」

 ジェダイトとにらみ合ったまま、メノウが後ろにいるアンバーに声をかける。

「でも……」

「いいから早く!」

「わ、分かりました……」

 メノウに従い、アンバーは小屋の隅へと避難した。

「気が利くじゃないかい!」

 ジェダイトが足を踏み込み、剣を力強く突き刺した。すると、刃の先から突風が発生し、メノウを吹き飛ばす。

「……くっ!」

 屋外に飛ばされるメノウ。だが頭から地面に激突する瞬間、柄を握る力を強め、刃を光らせた。すると、宙に浮いたまま体が反転し、足から草の上に降り立った。

「やるねえ、地の魔術かい!」

 ジェダイトが小屋から飛び出し、追撃をかけるべくメノウに迫る。

「はあっ!」

 ジェダイトの鼻先に向けて、メノウが剣を振った。剣から火の玉が数発放たれ、ジェダイトを迎え撃つ。

「甘いんだよ!」

 走る勢いを緩めぬまま、メノウが剣を顔の前に構えて光らせた。刃から水が飛び出し、襲い来る火の玉を鎮火する。

「炎の魔術は……こう使うんだ!」

 反撃とばかりに、ジェダイトが剣を突き出した。渦巻いた巨大な炎が蛇のようにメノウへと襲いかかる。

「ちっ……」

 メノウは剣を光らせると、大地を蹴って跳躍し、さらに炎へ向かって空中から水を放った。炎は瞬時に消化され、メノウは放水の勢いに乗ってジェダイトの上を大きく飛び越え、小屋の前に軟着陸する。

「少しは出来るみたいだね! 魔術のエレメントってヤツがちゃんと分かってるじゃないか」

 ジェダイトが後方を振り返り、賞賛の声を上げる。

「……さて、誰に教わったのかな?」

「ぎ、欺瞞だな……」

 体勢を立て直したメノウだったが、今や肩で息をしていた。体の前に構えた剣が、呼吸のたびに上下に揺れる。

「無茶しすぎだね。もうフラフラじゃないか」

「うるさい……」

「おやおや……」

 気を吐くメノウに対し、ジェダイトは剣を一突きした。瞬間的な突風が、メノウの手から剣を吹き飛ばす。

「なっ……」

 驚愕したメノウが振り向いた時には、剣ははるか後方に転がっていた。

「ほら、よそ見するんじゃない!」

 ジェダイトがもう一度剣を突き、再び突風を発生させた。巻き込まれたメノウの体が吹き飛び、小屋の壁に激突する。

「……さすがの……魔力だな……」

 メノウが痛みに呻きながら呟いた。腰を強打したのか、すぐに立ち上がることができない。

「知ってる」

 ジェダイトが勿体ぶるように、一歩ずつ踏みしめるようにして、座り込むメノウへと歩み寄る。手にした剣は妖しく光り、その輝きが徐々に増していく。

「じゃあ、この辺でトドメにしようか?」

「……」

 メノウは答える代わりに固く目を閉じた。ジェダイトが剣を大仰に振りかぶり、処刑人のように打ち下ろそうとする。

「……やめてーーっ!!」

 その時、アンバーが小屋の中から飛び出した。彼女の手にした白い柄の剣が、振り下ろされた剣と交わる。

「しまった……!」

 驚愕するジェダイトの声と同時に、刃が交差する一点から強烈な光が発生し、二人を包み込んでいく。やがて光が消えたとき、そこに二人の姿は無かった。

5へと続く


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