見出し画像

プリンセス・クルセイド #8 【決着の刻】 6

 横倒しになった酒樽の陰にメノウが飛び込んだ直後、宙を飛ぶ刃の破片の塊が、一気に背後の棚へとなだれ込んだ。その衝撃で、棚に陳列されていた酒瓶が次々と破壊され、その中身が棚を伝って流れ出し、強烈に鼻を突く匂いを部屋中に蔓延させる。

「あぁ……もったいない……」

 その惨状を見て嘆きながら、ラリアが手にしていた柄だけの剣を振ると、刃が彼女のもとへと舞い戻っていく。酒樽の陰からその様子を伺っていたメノウは、咄嗟に剣を謹聴させた。その刹那、彼女の体に強烈な疾走感がみなぎる。体感時間が鈍化した世界の中で、はち切れそうなその感覚を必死に制御しながら、メノウはラリアとの間合いを瞬時に詰め、超高速で剣を振るった。

(行けるか……!?)

 祈りを込めた斬撃は、甲高い金属音を響かせた。

「……くそっ!」

 メノウは悪態をつきながら、剣を弾かれた反動を利用し、バックステップで間合いを取った。またしても失敗だ。棚まで後退したメノウは、腹立ち紛れに棚から無事な酒瓶を投げつけた。瓶はラリアに当たる直前、彼女の周りを竜巻のように旋回していた刃に呑み込まれて四散し、中身を辺りに飛び散らせた。

「あぁ~……なんでそういうことするんだよぉ……」

 ラリアは再び嘆きながらも、口を開いて酒の滴を飲もうとしていた。一方、刃の破片の塊は旋回を止めると、主人の両脇を締める形で、あたかも敵を威嚇するように空中で静止した。これは先程のような突撃の予備動作だ。メノウにはそれが分かっている。

(これで何度目だ……)

 メノウは自らの不甲斐なさに腹を立てながら部屋を見渡した。地下に隠された秘密の酒蔵じみたこの部屋には、壁一面に備えられた棚に無数の酒が整然と並べられているが、その棚は所々で無残に破壊されている。この被害は棚の酒に留まらず、部屋の隅にあるワインセラー、そして横倒しに置かれた酒樽にまで及んでいた。これらの破壊はすべて、今にも襲いかかろうとしている刃の破片の塊、すなわちラリアの聖剣の仕業だ。

「さっきからぁ……ちょろちょろするからぁ……酒がどんどん無くなるじゃないかぁ……」

 ラリアの非難の声が室内に響く。そのストレートな欲望が如実に現れたこのチャーミング・フィールドに於いて、彼女はまだ一杯も楽しめていない。メノウとの攻防が、彼女にもそれなりの緊張を強いているからだ。

「えへへ……でもぉ、お前を倒せばジェダイトがお酒を買ってくれるよねぇ……」

 ラリアは気を取り直したかのようにそう呟くと、薄気味悪く笑いながら右手を高く掲げた。繰り出される攻撃の気配を察し、メノウは身構える。

「それならぁ……そろそろ決めちゃおうかぁ!」

 ラリアが息巻いて腕を振り下ろすと、刃がメノウに襲い掛かった。同時に、メノウも高速移動に入り、ラリアに斬りかかる。先程までと同じ展開だが、どちらかの失策、あるいは偶然の要素に賭けるしかないーー少なくともメノウはそう考えていた。

「……ぐはぁっ!」

 しかし、斬撃を刃の竜巻に弾かれた直後、メノウの背後を謎の攻撃が襲った。あたかも無数の細かい破片が突き刺さったかのような痛みが、彼女の背中に走る。

「くっ、なぜ……」

 メノウは咄嗟に横に飛び離れ、目の前の竜巻と正体不明の背後の攻撃との射線から逃れた。その直後、竜巻の中に別の刃の破片が戻るのが見えた。

「……別々に動かしていたのか……」

 高速移動から復帰したメノウは、状況を確認するように呟いた。

「そうだよぉ。お前、すばしっこいからさぁ……えへへ、こーやって逃げられなくするんだぁ……」

「とんだ小細工だな……」

 得意気になるラリアに毒づきながらも、完全に不意を突かれたメノウは内心焦っていた。状況を変えられてしまった。

「ほらぁ……まだまだ行くよ!」

 間髪入れず、ラリアの声と共に、刃の第二波が飛び出した。今度は一度に二つの塊が飛び出し、メノウを追い詰めようとする。

「ちっ……」

 メノウは剣を謹聴させ、高速移動に入った。宙を自在に舞う刃の破片の一つひとつが視認できるその世界で、彼女はそつなく攻撃を躱していく。だが、やはり直接ラリアを狙っての反撃に打って出ることはできなかった。そのまま酒樽の陰へと移動し、身を隠しながら刃の破片がラリアのもとへ戻るのを確認すると、メノウは高速移動を解いて一つ息を吐いた。

(クソ……どうする?)

 先程までのラリアの戦法は、攻撃と防御がはっきりと分かれていた。故に、同じことを繰り返していけば、いつかは綻びが見え、そこを突ける——はずだった。しかし、今やラリアは防御に徹しつつ、メノウを迎撃する術を編み出してしまっている。攻撃に使用する刃は少ないため、迫力はいくらか減退したが、多段的な攻撃を避けるために、結局は高速移動を使用しなければならない。しかも、今回は攻撃ではなく回避にだ。このままいけば、いずれ魔力を使い果たし、闘いに敗れてしまうだろう。

「えへへ……隠れてないで出てきなよぉ……」

 ラリアが刃の竜巻の中から、余裕の表情で挑発する。その様子を陰から窺い、メノウは歯噛みした。もしここから打開策があるとしたら、あの刃に直接斬りかかり、へし折ってしまうという戦法だ。だが、すでにバラバラの破片になっている聖剣をどうやったら折れるというのだろうか。それも斬撃波で跡形もなく消し飛ばせばいいのだろうが、メノウの聖剣でそれを行うには、余程の至近距離から試みなければなるまい。

(こんな時、アンバーなら……)

 メノウの頭の中に、囚われの友人の姿が思い浮かんだ。アンバーならば、強力な斬撃波で竜巻を丸ごと飲み込み、刃を粉々に砕いてしまうだろう。あるいはイキシアなら、あの恐れ知らずの太陽のプリンセスならば、鎖鎌で刃を捉えたのち、即座に破壊してしまうだろう。そしてタンザナなら——そこまできて、メノウはあることに気が付いた。想像の中で戦う彼女たちは、自分の能力を信じ、果敢に攻め出ている。対して自分はどうか。高速移動を逃げる手段に使っているばかりか、こうして相手の能力の様子を窺い、隙を突くことに躍起になっている。そんなことで勝ちを拾えると思っているのか。自分も攻めに出て勝ってきたのではないのか。前の闘いでアレクサンドラに遅れを取ったのは、そうした気持ちを失ってしまったからではないのか。

「だが……できるのか?」

 メノウは思わず独りごちた。実際のところ、彼女の友人たちが思い描いたとおりにこの場を脱するとは限らない。たが、いずれにせよ彼女のやるべきことは決まっている。この闘いに必ず勝利し、アンバーを救い出すのだ。答えはすでに決まっている。やるしかないのだ。メノウは意を決すると、酒樽の陰から勢いよく飛び出した。

「おぉ……出てきたぁ!」

 それを見て、ラリアが宙を舞う刃の破片を放った。今度は三段攻撃だ。メノウは剣を謹聴させ、それらを瞬時に躱し、ラリアに肉薄する。

「はあーーーっ!」

 そして斬撃を繰り出した。当然、弾かれる。ラリアの顔に笑みが浮かぶ。だが、メノウはそこで引かなかった。

「はあーっ、セイセイセイセイセイセイ!」

 メノウはその場で足を止沸き上がる疾走感を両腕にのみみなぎらせると、高速状態のまま一心不乱に剣を振り続けた。そうして十発、二十発と繰り出される斬撃が、刃の竜巻と衝突する。

「ど……どうしてぇ……」

 ラリアの眼が驚愕で見開かれた。彼女にメノウの斬撃は認識できず、その鬼気迫る表情しか捉えられていない。だが、竜巻がなんらかの影響を受けているのは分かっていた。そして時間が経つにつれ、ある事実に気が付いた——竜巻の層が薄くなってきているのだ。メノウの絶え間ない斬撃によって、刃が撃ち落とされている。

「や、やめろーっ!」

 ラリアは恐怖のあまり叫んだ。そうすることしかできなかった。このまま竜巻を解放すれば、メノウを一気に飲み込める可能性はある。だが、彼女のここまでの優位性がそれを選択させなかった。放っておけば勝てたはずの闘いで、今さら一か八かの賭けに打って出られるわけがない。しかし、そうしている間にも、竜巻がみるみる薄くなり、ついに刃は目視で数えられるほどの数になった。

「はあっ!」

 メノウが最後の一撃を振り終えると、二者の間の地面は刃の破片で満たされた。同時に、ラリアにもメノウの姿がはっきりと捉えられるようになった。その瞳には、決断的な闘志が宿っていた。

「ま、まだだ……」

 その視線に怯えながらも、ラリアは刃を柄に戻そうとした。しかし、そのような隙を与えるメノウではない。

「だありゃあ!」

 王子が叫んだのであれば耳を疑うような叫びと共に、メノウは至近距離での斬撃波を足下の刃に放った。同時に彼女の背中を攻撃担当の刃が襲ったが、最早手遅れだった。聖剣の刃の大半を破壊されたことで、ラリアのチャーミング・フィールドは徐々に光に包まれていくところだった。

「あ……酒……」

 ラリアが消えいく夢の世界へ必死に手を伸ばすのを横目に、メノウは剣を厳かに鞘に収めると、一言だけ呟いた。

「……今日からはお前は禁酒しろ」

7へ続く

サポートなどいただけると非常に喜びます。