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彷徨うおっさん35 書くことが無い? おっさん流執筆を継続させる考え方(前編)

 noteの連続投稿を始めて既に投稿数は120回を超えた(4ヶ月以上連投に)なった。また、それ以前にも長文によるコラムや、こまごまとしたレビュー、意見表明などの記事を、SNS他でそれなりに高頻度で書いてきたつもりである。
 そういうおっさんを知るリアルでの友人らは「よくそんなにネタがあるね」と驚きを見せることがある。

 定期的に書き続けるだけならだれでも余裕なのではと、おっさんは思っていたのだが、案外そうでもないのかなと最近は思う。。。? 

 ならば今回はそんなnoterのおっさんが、何故ネタが尽きないのかについて語れば知見になるやもしれないと、自分で考察してみたいと思う。

<基本なんでも書くつもりでいる>


 本noteは一応、読了シリーズ、彷徨シリーズ、窓際シリーズなどで構成されているが、それ以外にも雑多に書くつもりでいるので、恐らく、だらだらでよければ一生続けられるとおっさんは考えている。

 なんでもというと具体的ではないが、いうなれば以下のような欠点のある投稿に躊躇が無いのがおっさんの特徴でもある。

① ネガティブな内容
② 誰にも刺さらないであろうテーマ
③ みんながとっくの昔に綺麗にまとめてやりつくしていること
④ 自己満足の感想
⑤ データによる裏打ちのない考察
⑥ 繰り返しのネタ

①ネガティブな内容
 ネガティブというだけで忌避される世の風潮である。昨今のポジティブ信仰が一番の原因であると思うが、そうでなくとも批判的な記事は敵を作るし、例えばいい塩梅や足るを知ることの大事さを訴えても、例えばドリームキラーだのエナジーヴァンパイアだのと、今風のキラキラした用語で反撃されることなどがある。
 だがおっさんは、裏も表も書きたい。清濁併せ吞むのが人間という存在であり、ネガティブな一面もあって、それを躊躇なく表明するからこそ、人間は他者を正確に理解することができ、自身も理解してもらえるのではと考えている。

②誰にも刺さらないであろうテーマ
 どうせゼロいいねだろうなと思って本当にそのとおりである記事も多いのだが、それでも書くようにしている。低俗な暴露記事ならともかく、友達が気に入っていて自分も読んでいいなと思った漫画のレビューまで自由に書いたが、見事にゼロいいね(noteではスキ)だったこともある。
 そんな時は残念に思ったり、いいねを貰える記事に修正する気持ちよりも、むしろ、貴重な意見を投稿できたとおっさんは思うに至っている。また、そもそも誰かに評価されたいのではなく自分のために書いている。歳がそうさせたようにも思うが、そう思えるようになれば無敵なのかもしれない(単に節操がないとも言えるのだが)。

③みんながとっくの昔に綺麗にまとめてやりつくしていること
 世の中にはまとめサイトが沢山ある。すごくよくできた動画もある。本noteの「資格いおっさん」も、例えば資格対策のホームページや、先人の資格マニア、特に視聴閲覧数をガンガン稼ぐ仕組みに乗っかているような人の特設動画サイトには遠く及ばない内容である。
 だが、講習で経験した内容や、シンプルに勉強で苦労した部分についてなど、経験したものは全て、独自の切り口が必ずあるとおっさんは思っている。

 大事なのは、やりつくされているかどうかよりも、改めて自分でイチから書いてみて、自他ともに気づきを与えることなのではないかと思う。

 昔はよくやってしまったが、似た内容の記事と比べながら書いてしまうと、むしろ書く意義が薄れてきてしまうように思うことがある。書く意義が薄れるから躊躇もあり、投稿が減る気もする。
 書類仕事は前例を大事にして当たり前だが、創作については、独自性が必要なものである。評価自体はまた別だが、独自の経験を重視すれば、書く価値はいくらでも残っているように思う。

④自己満足の感想
 自己満足は否定的に捉えられるが、所詮どう思うかは人それぞれであるし、その人の勝手である。

 大概のことは言論の自由でもある。自己満足の感想だからこそ、躊躇なく思うまま自由に表現して見せることで、そこにのっかて来る反応や意見も本音に近くなるように思うので楽しみでもある。
 
 今のところ、リアルの友人以外からは感想を貰えてないのだが、それでも賛否両論、不足や異なる視点を得られて、より考えが深まることも多い。

 普段、会社組織などでは、気を遣わなければならない相手やグループばかりで、言動は非常に無難なところを貫く普段のおっさん。
 社会性を保つために、そして自分を守るために、自己満足であるかどうかも常に俯瞰しつつ、遠慮して発言する公人(大袈裟だな)としてのおっさん。
 そのせいで執筆以外の世界では、割と本音から大きく遠ざかり、煮え切らない事ばかりでもある。

 だからこそnoteでは、「愚か」と言われようが、「的外れ」と言われようが、臆せず、遠慮せず自己満足の感想を述べ続けたいと考えて執筆している。

次回に続く

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