彷徨うおっさん95 食べたくないおっさんの悩み、一日三食は食べすぎだと思うけど?(後編)
前回は、三食食え食えと無考えで言うのは馬鹿の一つ覚えであるという事。そして、週に三食という強者まで現れた現在は、よもや三食神話は過去のものである可能性を述べた。
後編の今回は、断食=宗教・スピリチュアル と短絡して騒ぐなという話と、一食というのは雑な単位であることを指摘し、もっと食について、きちんと考えてもらいたい旨を述べたい。
<食べないのは宗教的なものでも、スピリチュアルでもない>
食事量の話をすると、しばしば宗教的な話になることがある。単なる話題や、科学的考察においての宗教(断食)の話なら歓迎だが、
「変な宗教に入っているのか?」「やめなよ~! 絶対おかしいよ~!」
こんな風に勘違いしたり過剰な反応をする人がまだまだ居る。
おっさんは宗教に興味があるが、今のところ特定の宗教への信仰はない(神仏に対する独自の見解は持っている)。
また、宗教儀式や修行としての断食の意味については、色々な宗教のそれを比較しながら興味深く調べてはいるが、神に近づけるとか、こうすることで厄が落ちるなどといった、超常的な発想は一切ない。
単に空腹を楽しみ、節約になると喜んだり、自分の体の変化を客観的に観察して、健康への影響を研究し続けているだけだ。
この手の勘違いや過剰反応をする人ほど、むしろ非科学的な何かを信奉していたり、冷静な判断ができない人が多いようにも思う。三食食べることを是とする考えを、三食「神話」と呼ぶのは、判断力に乏しい感情的な信者に対する揶揄ではなかろうか?
多くの神話は真剣に信じるに値しない。歴史や物語として楽しむなら良いが。
<体重が倍も違っているのに一食は一食? 雑な単位にこだわっていったい何が分かるのか?>
他にも、ダイエットだなんだと食事量を減らしたり、人によって量が違う事実は平気で認めるくせに、なぜか食事の回数を減らすとなると「おかしい、あり得ない。」と騒ぐ人がいる。
例えば、三食だけどあまり食べないと言う小柄な女性の友人がいる。その人は40キロ台である。
一方で、90キロを超える巨漢の友人もいて、その人は三食キッチリと、昔の医学書が説くような王道の食事方法を取っている。
両者には倍の体重差があって、別に悪い意味で言うわけではないが、よもや別の生き物である。にもかかわらず、飲食店で食事をするときは、定食などは基本的に同じ量が出てくるようになっている。しかしこの様子を見て、三食神話論者は、問題なしとうなづいている節がないだろうか?
一食という単位はあまりにも大雑把である。故に実際は一食といっても色々と調整が入っていることに気がつかなければならないだろう。
前者の小柄な女性は
「ご飯半分にしてください」「コンゾーさんこれ一切れ食べる?」などと言いながら適度に食事量が減っていく。
一方の後者の巨漢は
「大盛にしてください!」「コンチャンこれ一切れもらって良いの? ありがと~!」とか言いながら生ビールも追加で頼んでいたりする。
ごく普通の光景過ぎて誰も突っ込まないだろう。女性に対して「もっと食べようよ」とか、巨漢に対して「お前食べすぎじゃね?」なんてツッコミを入れる大人はあまり居ない。気にならないのが普通だし、一瞬気になったとしても体を見れば、その人の必要量は一目瞭然ですぐ納得できるだろう。
ところが、この小柄の女性が一日一食で夕飯を多めにしましたと言い出すと、途端に批判される現象がしばしば見られる。単に巨漢の通常の一食が、小柄な女性の一日一回の大御馳走と同じ必要量であるだけなのが、三食三食と煩い人は急に、一食のまとめ食いを選択する人を捕まえて騒ぎ出すのである。
あえて詳しく話を聞くと、一度の量ではなく、三食という頻度が大事だと思っているようだ。だがその根拠はうまく説明できる人は少ない。例えば
「食べないと保たないよ」 → むしろ快活になっているのに
「三食バランスよく食べないと」 → バランスは回数とは関係ない
「一食じゃ足らないでしょ」 → いつも少食だよこの人
「冷え性の原因だ」 → 冷え性は元からだよ
食事の頻度とあまり関係なことばかり主張している。そして一食で済ませるという、マイノリテイな食事方法に、ただただ動揺している。
最近は16時間断食ダイエットなどという考え方もあって、むしろまとめて食べた方が良いと言う研究結果すらある。
太りにくいし、消化器官を適度に休めるられるのだという。被検データもあり、こっちの方がおっさんは信用できるし、感覚的にも理解できる。
一食などと言う雑な単位に囚われ、三食が当たり前と考えると、それ以外はとにかくおかしいのだという結論しか無くなる。
おっさんは本当にこう言う考えていない人に一番うんざりする。むしろあんたの言う通りにしたら不健康まっしぐらなんだよといつも思う。
皆、一旦一般論から離れて、どうやって食べたらその人にとって一番体に優しいか、「個別に」見極める癖をつけて欲しいものである。
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