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彷徨うおっさん116 ネガティブキャンペーンに見る選挙分析(4/4) 政治制度と有権者のすべきこと

 前回は、令和6年7月に実施された都知事選の、当時の候補者に対するネガティブキャンペーンが出そろった頃だろうということで、それらを踏まえながら、おっさんの見解として、1位、2位、3位につづき、4位の田母神氏への周囲の批判と、おっさんが思う所を述べた。

 最終回の今回は、有権者に思う事等について、雑多に述べ、締めくくりたい。


<有権者に思う事等>

 今回の投票率は60.62パーセントと、前回55.00パーセントよりも多く、前々回の59.73パーセントと大差ない結果になったように思う。40パーセント台の年もあるので、関心度は高かったように見える。まあこの点は良かった。 

一方で結果はやはり現職であった。


 大方の予想通りではあったが、それにしても圧勝だった。前回よりも圧勝の度合いは大分マシだったとはいえ、さすがに何とも言えない絶望感を感じる結果だ。

 圧勝になってしまうのは冒頭でも述べたが、メディアの情報操作の影響も大きいだろう。そして、その報道を信じて真実を読み取れない(またはきちんと考えて決断しようとしない)有権者も多いのかもしれない。

 また「現職」で「ハッキリと意見表明しない」人が「大半の支持を得て」再選を果たしているところを見ると、やはり多くの都民が「変革に二の足を踏む」或いは「変わって欲しくない」と考えているのではないかとも、おっさんは思うに至る。

結果として都民はバカなのかと全国から言われるのも無理はなかろう。


 一方で、N党など、候補者全体で見れば、案外とんでもない得票数を誇っている一団もある。

 実際に都知事になることを狙っているわけではないと、N党の代表も述べてはいるものの、こちらに随分と票が行ってしまうという、現状の政治制度、市民の政治的無関心、そして今後の政治の行く末への怖さも感じられる。

 これは、人気のあるコメンテータや著名人も大筋は同じ分析である。

 ならばあえておっさんが言うまでもないだろうが、それでも、一応、有権者の一人として、真面目に政策の中身を評価し、実際に都知事選に投票したおっさんからすると「痛感」とも言える結果であるので、あえて言いたいと思う。

そもそも一説によると、現職が必ず勝つのが都知事選であるとされている。


 過去の統計データ上でも、高確率で再選予測がつくものであるが、現職に係る利権が数多く存在し、再選が叶わなくなると商売が白紙になる企業や個人が多くいて、結果として現職へ組織票が入るというカラクリらしい。

 これらの詳細は知る由もないが、疑う理由もないことだ。だが有権者(おっさん)としては、可能な限り考えて選んだつもりではある。
 なぜそうしたかというと、現職続投の見込みが大きかったとしても、100%ではないし、誰が立ってどれだけ得票したかは、一回一回が大事と思うからだ。

 今回も、石丸氏の猛追、蓮舫氏の予想外の苦戦、一定の支持を集めた田母神氏。
 それ以外の候補であっても、選挙活動を行い、ある程度得票して存在感を示したり、選挙活動を通じて、思想や真実の表明を成し遂げた人も居る。


 結局は現職が強く、そのカラクリも方々で考察され、あるいは選挙の問題点がいくつも露呈してきたことで、次につながる何かも見えてきた側面もある。

 だがそれでも、どうにも気に入らないとおっさんが思う事がある。

 それは結局、決断したり判断したりを、今の多くの有権者が嫌っているのではないかと感じるところである。
 さもなければ、公約が現実的かどうかの吟味、リスクとリターン、過去の実績や人柄による判断、裏の事情など、難しいことを総合的に考察すること自体が、みんな嫌なのかもしれない。

 おっさんも疲れるし、結果が分かっているならば受け入れて、それよりも自分のささやかな利益の拡大を図ろうと考えなくもない。しかし何度も言うが、結果はどうあれ、一回一回どういった情勢になり、選挙や政治の何が問題なのか、真剣に考える事が大事なのではないだろうか。

考えなけば、投票しなければ、衆愚政治ではないか。


 現状がこのまま4年継続するのか、そうでないかはまだ分からないが、判断すべきことに対してハッキリと意見表明せず、人々のためではなく自分のために権力を使う人がトップというのは不幸でしかない。

 惰性ではなく、結果がある程度分かっていたとしても、有権者はもっと、真剣に政治を考えて欲しいと思っている。

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