
窓際のおっさん 役所技術系の縦割りな現状(4/4)
前回は、縦割りの弊害をなくすために
② Off J T が手厚い人を決定権者につける
③ 何を優先するかをもっと明確にする
について詳述した。
最終回の今回はその続きとして、以下の④を述べ、①~④が理想のままなかなか進まない大元の理由について私見を述べ締めくくりたい。
■ ではどうするか(続きの続き)
① いろいろな部署のやり方を経験した人を決定権者につける
② Off J T が手厚い人を決定権者につける
③ 何を優先するかをもっと明確にする
④ 型にとらわれず、批判から入らない
④ 型にとらわれず、批判から入らない
最後になるが、やはり型にとらわれない思考回路が必要に思う。そしてその基準で決定権者を決めるべきだろう。無論、好き勝手やって、何の基準も満たさず、安全も軽視していいという話をしているわけではない(すぐそういう極論を言っては、この意見に反発する人が多いのだが)。
どの基準が適切か、基準に無ければどうやって担保を取るのか、そしてその決定に周囲がついてこれるか、リソースは不足していないか、型にとらわれず総合的な判断が出来る人をもっと重用した方が良いように思うのだ。
例えば前回紹介した資格持ちの先輩は、結局課長級にすらなれずに引退を迎えた。電気主任技術者でもあったのだが、若い(といってもおっさんより4つ程度上)係長が、彼の資格証のコピーを公的書類手続きとはいえ勝手に配布したり、後任の電気主任技術者の育成枠を再三に渡って要望しているのに設けなかったり、一方で、後任になってくれそうな電気技師らを書類や態度など、あまり関係がないことで厳しく批判して、辞めさせてしまったり。
どうにも縦割り組織には、自分の価値観と立場を守ろうとするあまりに、型にはめようととしてくる人間ばかりに思う。そして批判から入って、柔軟な人を排斥するか、良いようにこき使うばかりの組織体制になっているように思う。これでは新しいアイデアが入り込む余地もなく、縦割りの弊害がさらに悪化する方向にしかならないように思う。
■ 解決ができない複合的な理由の大元
①~④について、繰り返しになるがやはり理想ではある。似たような方針で仕組みを作ることで回っている民間企業があるとなんとなく耳にはするが、役所という古い体質、大組織の縦割りでは、なかなか根付かない考えのようにも思う。
昭和平成ではこのような組織でも、専門家としてそれなりの現場経験も踏めて、民間でもつぶしが効く人材になれる余地は大きかったように思う。また、基準はうるさくともレトロな「改善」「効率化」といったもので、職員一人一人も、ある程度の達成感や溜飲が下がる経験は出来たように思う。
しかし、本noteのかなり初期の頃に述べたように。
現在はやりがいや成果は枯渇してしまって、サラリーマンにとっては、ひたすら評価基準の先鋭化した荒野が広がっている現状に思う。また、おっさんが述べるまでもなく、理屈では何が無駄でどうしたらいいかまでほぼ分かっているのだが、人間的な問題で解決困難であるとも思う。
こうした世の中になった複合的な理由の大元について、結論から言うと「ルール絶対主義」と「ご機嫌伺い」があるように思う。
ルールは大事である。まして安全第一とおっさんも前回述べたばかりであるが、ルールよりも上の概念である「方針」が蔑ろにされているように思う。
方針を維持するためのルールであるはずなのに、方針に反していてもルールが優先されることが多々ある。縦割り組織は、上位下達の官僚的組織でもあるから、上の言う事が絶対であり、上は保身のために僅かなルールの逸脱にも敏感になる。
都度公にすることと、立場をかけることが出来れば済むことなのだが、なんでか上に行きたがる人ほどそれを嫌がる。一方で、柔軟な考えの人や、組織の枠外の知識や経験を大事にする人は、組織内での栄達に拘っていない。結果、益々失敗に脆く、逸脱を嫌う人ばかりが上位を占める。
例えそういう人材が上に行っても、関係なく意見提案ができる内は良かったが、今のご時世のように丁度彼らの権力がピークになる時代だと、今度は「ご機嫌伺い」の世界になる。
方針に従って、立場に関わらず遠慮なく提案して最善を探れればいいのだが、ルールが先に立ち、上のご機嫌取りだけで毎年終わってしまっている。縦割り組織ここに極まれりという状態である。
原因ばかり指摘してしまい、なかなか解決が難しい問題であると、今やおっさんもある種達観して窓際に徹してしまっているが、それでもこうして、具体的な体験を交えて発信することで、少しでも何かが変わればと願う所である。