彷徨うおっさん21 嫌悪されるオタク(5/6) 自ら嫌悪される道を選び続ける
前回までは嫌なオタクが、コンテンツを隠れ蓑に利用し、自分はオタクだ、被差別者だ、そしてそのカミングアウトは勇気ある行為だ等と言い、非オタクの人たちから肩透かしを受けている一面について述べてきた。
今回は、嫌なオタクがそうした発想に至る理由の分析と、それでもオタクを辞めない(辞められない)結果どうなるかの末路について述べたいと思う。
<嫌なオタクの発想はスクールカーストの時代のまま?>
オタク趣味をカミングアウトする程度のことで、勇気だの、良し悪しだのの話になるのは、せいぜい中高生ぐらいまでではないだろうか。中学、高校ではスクールカーストというものが自然発生しがちである。その中で、オタク趣味はカーストを下げると言われている。その扱いの社会的良し悪しは別として。
だがスクールカースト自体は、大人になれば案外幻で、実態としての愚かないじめを除けば、未熟ゆえの単なる相互無理解に過ぎず、大人(社会人)のやる差別の卑劣さやえげつなさに比べれば何でもないものが多い。
とはいえ、多感なこの時期に、隠れキリシタン的なオタク活動をする人も珍しくないのはうなづける。
だが、いい大人がいつまでも、そんな中高生と同じ価値観でいるというのは如何なものだろうか。人間同士の当たり前の違いを認識し、周囲に自然な気遣いができる大人なら、大概の趣味に対しては距離を適切に保ち、過剰に気にしたりはしないだろう。
それにカミングアウトと言えば、性的マイノリティであることの表明などが一般的には話題になるが、そのレベルと比べると、そもそも論として、たかだか全国放送の深夜アニメの好き嫌いの表明など、カミングアウトでもなんでもない。単なる話題のチョイスミスだ。
社会人になって数年後の研修でそれをやる後輩Hも、それを「偉い」だの「評価する」だのいうズレたオタク上司も、考えが幼いのではないだろうか。
<嫌われて差別を受けているのに、尚もあえて嫌われる方向へと舵を切り続ける>
また、そうまでしてカミングアウトとやらをして、総スカンを喰らっても懲りなかったり、逆に「評価する」などと肯定してしまうのは、色々と理屈を言ってくるにしても、結局はあえて嫌われたがっているようにも見える。
被差別者が被差別者、被害者が被害者であえてあり続けようとする行為は、嫌なオタクに限らずよくある行動パターンでもある。その行動原理は、保護される存在としてのうまみを甘受するため、自己の主張を通すためなどであると思われる。
嫌なオタクの場合は同様に、そこに加えて長年に渡って先鋭化しすぎたため、依存状態となり、後に引けないという事情もあるのかもしれない。つまり、
① 沢山の労力と時間とお金を費やした、正に自分の半身となったコンテンツへの強烈な愛着
② ほぼそれしか知らない故のコンテンツないしオタクであることへの依存
③ 歳を重ねれば重ねるほど、脱オタクしづらくなる
こうした背景もあるのではないだろうか。
この点が深刻化すると、オタクでいることでなんとか当人の心の崩壊を防いでいる状態になる。傷つくことを異常に嫌う弱さがあるが、脱却は自己の崩壊につながる。結果その嫌われている理由は自分にあるわけではなく周囲の差別意識にあるのだと都合よく結論し、成長しなくなってしまうのだ。
<嫌なオタクはモラトリアムで終わらせるべし>
ややもすると、嫌なオタクは理屈っぽく、芝居がかっており、天邪鬼になるのはこの弱さのせいであろう。他者の意見に耳を貸さず、成長を拒否した結果、中学高校生あたりの過敏な思考回路も見られる。
こうした、他者を不快にさせる態度や考え方は、特に若い頃には多少は誰にでもあるだろう。 だが本来は、それは若い時代(特に学生の時分に)、5年、10年かけて、様々な経験を通じて恥をかいたり、涙をこぼしたり、周囲や大人の導きによって徐々に解消していくべき性質ではないだろうか。
若くて多感な時期は人生のモラトリアムでもある。他者との関係の中で、愛情の意味や、多様な価値観を学び、受け容れることで、だんだんと丸くなっていく。その過程を経ていけば、ディープな趣味を持っていても、あえて自分をオタクだなどと名乗ったりしないのではないだろうか。
嫌なオタクはモラトリアム時代だけに通用するペルソナにすぎないとおっさんは思う。
いい歳をして嫌なオタクが続いている人は、弱い自分と向き合うことができずに、いつまでもペルソナを脱ぐことができないのだろうが、とっくにその仮面は醜くひび割れている。
オタクという生き方に、徹底的に逃避し続け、年を重ねれば重ねるほど、未熟である事の恥が耐えがたいほどに拡大していく。嫌なオタクは、そんな後戻りが効かない状態にあるように思う。
嫌われても尚、嫌なオタクであり続ける意味は冷静に考えれば極めて非合理である。しかし嫌なオタクは、オタクであることに依存し続け、正しい判断力すら失っているように思う。
次回に続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?