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最近の人々の読書傾向と本について思う事(1/3)

 最近は良書を求めて「友人にオススメの小説を紹介してもらう」ことを繰り返している。何とも図々しい話で、自分で調べて、飛び込んで、苦労して良書を発見せよという考えの人からすると、姑息な話であるが、これから述べる自論の説得力たるや、いぶし銀の読書家と比べると乏しくならないかと心配である。
 だが、そんな調子のいい読書スタイルの筆者からしても、最近はどうにも首をかしげたくなる読書傾向や本が多いように思うがどうだろうか。

■ 速読を是とする風潮

 まず一つが効率の良い読書、数をこなす読書を是とする考え方である。そしてそのために各所で推奨されている「速読」メソッドの台頭が目立つ。

 速読の技術というものは昔からあるようで、ある程度の地頭とトレーニングによって読書の速度を上げること自体は可能なようだ。しかし、速読をするかしないかは、状況に応じてではなかろうか。例えばビジネスにおいて、要点を抑えて文章を把握する能力は、迅速な業務と情報収集において有利ではある。また、くだらない、興味がないと感じながらも、何らかの都合でどうしても読まなければならない
一冊があったとして、それは速読で無難にこなしてレビューして、お金を貰ってさようならで構わないだろう。

 だが、万事それで良いとは思えない。

 例えば小説には映画ほどではないがやはり「間」があるように思う。また、周囲の細かい描写や時代背景などは、じっくり読んで確認することで、物語や人物に奥行きが出てより楽しむこともできる。速読メソッドの殆どは、所謂「斜め読み」を推奨しており、そんな読み方では何も見えないし、何も感じられないだろうと思うような方法であるのだが、最近は平気で「是」としてくる人が増えた。

 また、合理的に時間を使う事や、数をこなすことに価値を置く人も最近は多い。

 今月は10冊読んだ。私は15冊読んだ。そんなことを自慢し合っているが、何を読んだか、読んで何を得たかというと薄っぺらいことが多い。
 同じ本を速読で読んだ人と感想を語り合ってみると、相手は「へぇ~。そこまで読んでませんでした。」と。こんな具合である。これでは読書ではなく、単なる情報収集になっている。

 本来は「そこまで読む」のどこまで読むかを、もっと主体的にコントロールして、情報を拾うべきではないだろうか。まさに速読の弊害である。


次回に続く

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