窓際のおっさん12 得体の知れない人達とどう闘うか(後編:問題者の本質とは?揉めるのは悪いことではない)
会社にいると色々ある。どうにもならない事ばかりで、禄を食むためだけにひたすら受け流して暮らしている。時には反撃してみたり、動き回って相手を撃ち落とすこともあるけれど、会社全体としては何らプラスがない。それでも一筆積み上げれば、誰かの一遇は照らせるかもしれない。そんな想いで今日も筆を取る。
前回までは、おっさんの実体験に基づく問題者への対処の仕方、そして、被害者は泣き寝入りせず、周囲は当事者意識を持って、協力して問題者の処置に当たって欲しいと訴えてきた。
最終回の今回は、問題者の本質について考察する。本文で、少しは問題者への意識が変わり、対処に躊躇がなくなれば幸いである。
<問題者は大抵、自分にやさしく他人に厳しい>
怒るのも非を認めないのもそうだが、結局問題者というのは多分に自分本位である。結果、自分にやさしく他人に厳しい。
これも枚挙にいとまがないが、おっさんの体験をいくつか挙げると
① 緊急の仕事で出所した部下に「勝手にウロチョロするなと怒る」一方、自分は社用車・公用車を利用して私的なお買い物ドライブ。
② 自身が外部団体の慰労会(飲み会)に公費で参加する一方、部下の必要な法定講習の費用などは(市民・監査の目が厳しい)などと称して割り当てない。
③ 余計な外部団体の雑用を調子よく引き受けて部下に現場を丸投げし、なんとかして欲しいと訴える部下には、公僕としてのやる気や使命感がないだの、もっと効率よくしろだのと詰め寄る。
こんなのは序の口だが、これらの行為に議論や弁解の余地があるだろうか? 何故みんなこの状況で揉めるな、我慢しろと止めるのだろうか?
むしろこの状況こそ確実に訴えられるのだから、格好の反撃材料として事態を正す動きこそ肝要ではないか。
時系列に事実をまとめて書類作成し、すぐにでもより上の上司や人事に提出することをお勧めする。
<とはいえ上役や人事の反応は大抵しょっぱい、だからこそ皆の力が必要>
問題者が前述の他人に厳しく自分に甘い行動を取った時は、露骨なのでまだ訴えやすいが。。。
① 問題者の怒りに起因するいざこざは、被害者が少しでも揉めたように見えれば、その事実を責められて「喧嘩両成敗」となる。
② 非を認められない人が出す誤った指示や、煙に巻くための行為は「業務上の見解の違いにすぎない」となる。
と、上役や人事関係課は可能な限り外聞の悪さをコンパクトに捉えるべく、塩対応をしてくる。
こうなると被害者の負担は当然増えるわけで、はらわたが煮え繰り返るが、まあ、解決能力がない人達を責めても仕方がないのも事実ではあるのでここで上役や人事を責めてはいけない。
かといってそこで終わってもいけない。その後何人もの人が手をあげるなどして「問題が大きいので抑え込むより解決の方が得だ」と判断されれば、上役や人事関係課も対処を選択する。
つまり、上役や人事が損する内容にすべく、諦めず、仲間を募って、複数人でハッキリと大きく訴え出ると良いのだ。
実際、おっさんの前に問題者にいじめ倒されていた先輩と、一丸となって人事に意見を述べた時や、同じ職場に証人や協力者を何人か立てることに成功した時には、上役も人事もなんとか動いてくれた。
結果は十分納得がいく程の処罰や対処とは言い難いが、それでも皆で協力し他ことでようやく、自分達だけでなく、より広範囲な人達を救えたのだ。
<問題者への誤った認識と対応は危険である>
そうは言っても、揉め事には単純に嫌だ、或いは納得できないという人は多いと思う。故にここで、問題者達の横暴に対し、おっさんが経験上知る、よくある誤った判断・思考と末路を紹介する。
①揉め事を避けて我慢する
→ 被害者が壊れるだけで問題者は止まらない。そして後に続く人も、その我慢の前例に従うべき空気に処され、以後も犠牲者が増え続ける
②揉め事自体を誤りと認識する価値観
→ ある意味立派だが、そうした善意や道徳に満ちた価値観で守られるのを良いことに、問題者はそこ漬け込んで横暴を仕掛けてくる
③自分が悪いのだと自責思考が過ぎる
→ 被害者が僅かでも非があったかも知れないなどとへりくだると、問題者は冷酷にも「ほらやっぱりね、悪いのはそっちだよ」という具合に、被害者をさらに責め、最大限自分を正当化してくる
揉めるな揉めるなというが、問題者の「自己保身が最優先される思考回路」において、実際これ以外の結末が思い浮かぶだろうか? 思い浮かぶとしたら余程の平和ボケだろう。
かくも上に挙げたような従来型の誤った判断は今後は絶対にやめて欲しい。下手すれば被害者は自殺し、一方で問題者は益々権力や自由を得てしまう。
揉めるなの一言は、ハッキリ言って人の命に関わる重大な判断ミスだ。
<無理なら逃げても良いが、問題者への認識だけは改めるべし>
おっさんはここまで、闘う話ばかりしてきたが、もし闘えないのであれば、せめて正しく逃げて(あるいは被害者が逃げるのを許してやって)欲しい。
会社が駄目なら、労組や労基署、身近な医療機関など、しかるべき人や団体に助けを求め、被害を訴えて欲しい。泣き寝入りだけは辞めて欲しい。それは問題者を肯定するに等しい。
また、可能な限り早く「問題者に対して一切の期待を捨てる」ことだ。
なにせ問題者は、かつて皆も経験した学校の道徳感や倫理観に揉まれた筈なのに、変わらずマズイ性格のまま大人になっているのである。今後いくら期待しても変わることなどない。
相手は精神構造の違う魔族と思えばいい(葬送のフリーレンの魔族と同じ)。
闘う、逃げる(或いは一方的に耐える)という異常事態に、否応もなく追い込まれるのは、相手が魔族だからである。
そんな魔族に期待しても、裏切られてストレスを感じるだけだ。期待を残して闘ったり逃げ出した場合も、罪悪感や無力さに苛まれたり、迷いも生じてしまう。
被害者はみんな十分に頑張っているし、我慢してきた。何を言われようと悪いのは200%件(くだん)の問題者であると強く思うべし。
問題者こそ2000%自分は悪くないぐらいの発想でくる。こちら200%ぐらいそう思って何が悪い。
誰かが我慢せよと嗜(たしな)めてこようとも。どうかみんなで気持ちを強くして正しく立ち向かい、問題を解決していって欲しいとおっさんは願う。
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