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窓際のおっさん50 部下とは思い通りにならない手足である(1/7) 価値観と正解の統一はナンセンス

 近年管理職は罰ゲームと言われ、割に合わない役職になってしまった。
 就職氷河期以前の世代がギリギリ最高権力者として職場に居座っており、理不尽な要求はまだまだ続いている。また、働き方改革が言われて5年も経つのに、高負荷非効率なシステムの撤廃すら困難な状況が続いている。
 一方で、若い人との価値観の差は開き、気を遣いながらで、マネジメントの難易度も手間も上がっている。

 こうした背景の中で、部下に対してどう向き合ったらよいか悩む人も多いと思う。システムについては本稿では一旦置くとして、今回は部下を持った時、ざっくりどう認識して向かい合うべきかについて、おっさんの極端な例を反面教師にしつつ、私見を述べたいと思う。

<部下とは思い通りにならない手足>


 手足とハッキリ言うと、部下側からは抵抗がある言葉ではあるが、自分が司令塔となり、チーム一体となって他の人に指示を出し、怪我をすれば自らも痛みを伴うという状況は、例えるならこれがピッタリだと思う。
 この考え方が足りないからこそ、失敗してしまうのだと思う。例えば。。。

・部下が思い通りに動かないどころか暴走
・期待外れの部下に腹が立つ
・高い水準やを部下に求めて反感を買う
・反感を鎮圧しようと厳しくすると辞められたりパワハラで訴えられる

 具体策を挙げて問題を整理していきたい。

<部下に同じ価値観を要求するべからず>
 実務能力が比較的優秀な人間が、上司になった途端に、部下に対しても自分と同じ価値観を要求する。これはあるある過ぎて、いろいろな書き物でも述べられているNG手法である。

「部下とは思い通りにならない手足」なのである。

同じことを要求したって動けない時は動けない。

例えばおっさんの経験を話す。

 ある男は同じ部署で20年近く同じ業務に従事していた。その職場で彼が経験してきた業務について、彼は過去の経緯を含めて生き字引的に把握しており、細やかな仕上げや判断なども的確ではあった。

 一方で、知っているが故の細かすぎるところが問題になった。

 ある日、工場現場との連絡票が回ってきたのだが、連絡票には、現場で日常的に使われている機器設備について「通称」で記載されていた。現場責任者も含めてその呼び方でOKと認識していたため、長年、通称標記で滞りなく進んでいたのだが。。。

「これ、正式名称は〇〇だから」

 彼は、この年新たに係長に昇進したのだが、なった途端に急にストップをかけてきた。

 それまでは一度も「通称か正式名称か」などというこだわりは見せなかった彼が、ここにきて現場社員の言葉を執拗に制すのである。
 権力者あるあるだが、たかだか5人の長でこうなってしまうのは、なんともみっともない話でもある。

 困惑する現場社員に同情し「どっちでもいいだろう」と、ベテランの一人が仲裁に入ったのだが、彼は意地になり、過去に自身の処理した書類を見せて、

「今までもこっちで書いてきたから」

 と、譲らない。

 社内でも正式名称(少数派)と、通称(多数派)で書き方の統一はされていなかったが、間違いとはされてなかった。また、多数派の一部にとっては、正式名称の認識すらなく、急に聞き慣れない名前で統一することに一瞬困惑する者もいた。

 結局皆肩をすくめながらも、現場側が折れて「正式名称標記」で一旦はケリが付いた。

だが、暫くすると結局元通りになっていた。


 こういうことは徹底が難しいものである。そして元通りになったことで指摘が続くかと思うと、今度はそうならなかったところが問題になった。
 Aさん(こわもてのベテラン)が良くて、Bさん(年下の気弱そうな青年)がダメという具合に、対応がチグハグだったため皆の反感を買い、またその言い訳として「AさんとBさんとでは求められている水準が違う」などと、屁理屈に走ったものだから、皆が彼と会話自体避けるようになってしまった。

 また今日も極端な例を挙げたが真実である。。。
 かくもこの例で、正解がどっちというよりも、価値観の統一を図る事自体が不毛であることが、良く分かったと思う。

 ベテランAさんは50代で10年以上ずっと通称呼びで慣れた人だったが、その人に変更をお願いして守ってもらうのは、物理的にも心情的にも酷な話である。かといって、30になったばかりの若い部下にだけ、「将来君は管理職になるのだから」などと尤もらしい理由をつけて厳しくチェックを入れるのは、側から見ても明らかに不公平である。

 現場からの口頭連絡や、メモ書きからの文書起こしの際に、この若い部下はいちいち変換して対応していたのだが、それに飽き足らず、現場のメモ書きの訂正まで代わりに指導して来いと言われた時はさすがに反発していた。

 負担を部下に強いておきながら、苦手なベテランへの対応は回避。これではこの係長が嫌われるのも道理だろう。

 話がやや脱線したので戻す。。。

 ルールを統一することは、一見してなんとなく正しい感じがしてしまう。さも公平で、均質で、客観的に観て統率が取れており、一面合理的にも見える。

 しかし今回のような感情労働に対しては内実は真逆に作用する。支配の及ぶところから見せしめをしがちで、まず不公平になる。ルールも守られず不均質になる。そして統制は当然とれず、合理性とも程遠い。
 まして、ルール変更を言い渡した当人が、難しいベテランの説得に挑まないどころか、その皺寄せを部下に押し付けるなど、リーダーの器量が低ければ暴走も起こるわけだ。

 このように正解を一つに絞ることはそもそも非常に難しく、そこを強権的に行うと、反発や不公平が蔓延し。辻褄合わせの暴走も起こる。


 部下は思い通りにならない手足だと良く分かっていれば、ここまで無理に動かすこともなかったとは思うが。。。

次回に続く

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