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彷徨うおっさん168 視野狭窄の若者(後編)

 前回より「視野狭窄の若者」と題して、昨今の若年者指導の難しさ、そして指導が響かない理由としての、若者側の思考パターンとして、

 ① 根拠のない自信
 ② 理屈主義
 ③ 目先の損得勘定を重視する

 これら3つについて詳述してきた。

 最終回の今回は、第1回で述べた「接客中に帽子をかぶったままの若者」の例を超える、おっさんが体験したさらに悍ましい例について紹介し、そうならないためにどうすべきかを述べ、締めくくりたいと思う。


■ 薄毛をロン毛でカバーしようとして周囲から浮いた若者の話

 本当に、最近の若者はと言ってしまう歳になってしまったが、それでも流石にそう言わずにはいられないような例を紹介する。おっさんが清掃工場で働いていた頃の話だ。

 本noteでも何度も出てきているが、現場仕事があるにもかかわらず、腰まで髪の毛を垂らしていた後輩(男)を部下としてつけられたことがある。

 彼がこのような髪形になってしまった背景として、薄毛に悩んでいたという事実があった。確かに、頭頂部は中年どころか、壮年男性並に禿げあがっており、心身の病気が疑われるほどであった。

 だが、ほぼ全ての同僚がこの状況に違和感を感じていた。なぜ「ロン毛」なのか。しかも工場勤務という、回転物の周囲や、狭所・暗所での作業が想定されているという職場で。

 また、安全以前にまず姿が異様である。通常、女性であっても、髪の毛をここまで長くする人は事務職でも珍しい。客人や協力業者の存在が無いわけではないので、そちらに配慮して鬱陶しくない程度の長さ、組織人として、目立ちすぎない容姿を心がけるた方が本人にとっても良い筈だ。

 せいぜい肩までで、女性のオシャレさんでも背中にかかる程度までだろう。そして当然、現場等では髪を結わえてヘルメットや作業棒の中に収納し、安全に気を付ける。これが普通なのだが、このチグハグな成長の若者は、とにかく伸ばしまくって、周囲から一体何を考えているのかと言われる状況にあった。


■ 自己中心性、接客中に帽子を被った若者と根本は一緒

 理由を、半ば強引だが、前回説明した理屈に当てはめると、
 ① ロン毛が許容されるという自信
 ② ロン毛ならば、ハゲよりもマシという理屈
 ③ 薄毛の根本治療や、例えば超短髪、スキンヘッドの選択等といった、前向きな変化を嫌い、とりあえず隠しつつ、不幸をアピールして周囲に助けてもらうという目先の損得

 本人たちには自覚がないかもしれないが、これらの行動には明確な「自己中心性」が含まれている。ここに気が付くかどうかが、視野狭窄脱却の、最も大事な分かれ目ではないだろうか。

 多少見た目はマイルドであっても、接客中に帽子を被ってしまう子も根本は同じく、無自覚に自己中心である。

 当人たちが必死なのは分からないでもないが、彼らはそれが好ましくないと薄々分かっているにも関わらず、より大きなコンプレックスの抑制が優先してしまい、「大丈夫」と自身の選択を決めつけて行動している。

 自分の想いを押し通すために、好ましくないことを「こっちの方がマシ」と考えるなど、自分で自分の視野を狭める行為である。

 こうした視野狭窄の果ては何かというと、自分だけの価値観が許される世界になる。すなわち自覚しているかははどうあれ、自己中心性に行きつくのだ。


■ 自身の不足や失敗、すなわちコンプレックスを受け入れることが唯一の解決策

 述べてきた例のように、自己中心にならないようにするためにはどうするか。

 自己中心性を理屈で自覚することも大事だが、それだけではおそらくコントロールが効かない。まずは自己管理能力の不足であるにせよ、自身の持って生まれた能力や体質であるにせよ、それを一旦受け入れることが肝要ではなかろうか。

 ロン毛にしても、帽子にしても、一見周囲の目線が、彼らの隠したい部分から逸れたり、見えなくなったりするように思えるが、実際はその事実以上に「激しいコンプレックスが露出」してしまっている。これは見えないようでモロ見えである。

 自己中心性という強い不快感として。


 だがもし、薄毛をあけっぴろげにし、潰れて寝ぐせのある髪の毛をそのままにして客先に立っても、当人が失敗や不足を自覚してニヤニヤしていれば、コンプレックスは案外魅力に変えられる。この開き直りが大事であるように思う。

 特に若いうちは開き直った態度も許されるものだ(歳を取ると逆に無視されるけど)。そのお得な状況を選べないのは、わざわざコンプレックスを露出して、不快感をまき散らすのは、理屈だけで考えているからではないだろうか。

 人間は整っている方が確かに美しいし、一面魅力的と評価される。それは否定しない。だが、そんな理屈ではなく、なんとなく抜けたり、ずれたり、足りなかったりするから愛されるという、理屈以上のものでなんとかなる(なんとかする)のも世の中である。 

 野暮な理屈に従って目先の損得を追えば、後の信頼の喪失という大損が控えているのが現実である。


 無論、開き直った若者を叱ったり、不快に思う大人はいると思う。若者同士なら尚更かもしれない。その辺りは運もあるし、理屈の外であるから確約はできない。まして今日明日の物理的な損得となると話が違ってくる。

 しかし、ここまで述べてきた内容を振り返れば、なんとなくは分かるだろう。 

コンプレックスを隠そうとすると激しく露出して余計に恥ずかしいし、周囲も不快であること。逆に、コンプレックスを受け入れるという目先の辛い選択ならば、活路を見出せて、幸福であるということが。



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