答えが知りたい哲学的な問題
人が嫌でどうしようもない状態でも生きていけるのか?
よく人は一人では生きていけないなどと言われる。
しかし、もし本当に人が嫌になってしまい、人と完全に疎遠な状態になったら、本当に人はもう生きてはいけないのだろうか?
これは、物理的に人と関わらなくなるという場合ももちろんあるが、精神的に人を完全に拒絶して、もはや上辺だけでしか人と関われなくなってしまった場合も含む。
少なくとも人を嫌い、人を拒絶するというのは、社会からすれば歓迎されない思想だろう。
そもそも、山に籠って完全に自給自足で原始人のような生活をするのでない限り、高度にシステム化された社会では、生きていくために必要な物質的なものはお金を含め、すべて人を通してしか得られないような仕組みになってしまっている。
しかし、人嫌いが高じて、実際に世捨て人みたいになってしまう人はいる。
世捨て人
何十年か前にテレビで、どこかの国の外国人が俗世間との関係を一切絶って、日本のどこかの山奥に1人で長い間暮らしている話が取り上げられたことがある。
恐らく白人男性であったと思うが、この籠る場所が自分の国の山の中ではなく、遠く離れた異国の地である日本の山奥というのがことのリアルさを演出していた。
まだ当時思春期くらいの年齢だったから、あまり深く考えずにそれを見ていたのだが、とにかく何かすごい人がいると思ったことと、その映像を見た時のインパクトがすごかったのは今でも覚えている。
今思えばテレビに出ていた時点で完全な世捨て人というわけではなかったのかもしれない。しかし、その外国人の風貌から感じられる孤独な雰囲気は本物だった。どういう経緯でテレビの取材を受けることになったのかは分からないが、少なくとも長い間一人で孤独な生活を送っていたというのは本当のことだろう。
それでなくとも地球上には何十億という人間がいる。
その中には世捨て人として、俗世との関係を一切絶って生きている人は必ずいるはずだ。それは何も、山の中に籠ったりして一人で生活している人に留まらない。
表面的には他者と交わりながらうまく生きているように見えても、精神的には一切の人間との関係性を絶ち、常に上辺だけで他人と接しながら生きているような人も少なからずいるはずだ。
厭世観
いわゆる世捨て人とか、世間との関係を絶って生きている人というのは、もちろん生まれた時から人や人生に絶望していたわけではない。
生きていく中で経験した何らかの出来事もしくは他者と関わる中で味わった様々な感情や感覚が彼らに絶望感を抱かせるきっかけを作ったのだろう。
不幸な出来事がきっかけになった場合もあるだろうし、理不尽なことの積み重ねが絶望感につながったということもあるだろう。
偉人たち
過去の偉人などを見ても、人間の問題に深く踏み込んで考えた人ほど、孤独を肯定し、人とのつながりや人同士の関係性を一部否定するような発言、行動を取っているというのも気になる所だ。
例えば、人生の様々な問題を考え抜いた西洋の偉大な哲学者たちは、生涯未婚を貫いたという人が多い。日本の著名な心理学者であった河合隼雄は生前、男女というのは本質的には絶対に分かり合えない者同士だということを言っている。
また、心理学者である明治大学の諸富教授は、孤独な状態にある人ほど自分自身の内面と深く向き合うことができ、物事の本質を捉えることができるという趣旨の事を自身の著書の中で言っている。
一般の人たちの感覚
社会で普通に働いたり、家庭を持ったりして普通に生活している人の中にも、大なり小なり人間嫌いを自称する人はいる。しかし、そういう場合でもなんだかんだ人と継続的に関わりながら生きることができている。
私が見てきた引きこもりなどの社会不適合者とされている人たちもみんなそうだ。私は、引きこもりの人たちと実際に直接会って話したりしたこともあるが、彼らも引きこもってはいても、話してみると完全に一人ではないし、本心は社会に出てもっと人と関わりたいと思っている。
彼らの多くは積極的に孤独を望んで引きこもっているというわけではないのだ。
人嫌いがある水準を超えると社会からハブられる
他方で、単なる人間嫌いや引きこもりを通り越して、もはや演技でも人と上手くやっていけなくなったり、普通に仕事ができなくなってしまった人たちは、心の病気とか、何らかの障害を負っている人、というカテゴリーに入れられて社会の中で区別されて扱われることになる。
彼らは、確かに社会において果たすべき機能を果たせなくなったという点においては、病気や障害として扱われる理由になるのかもしれない。
しかし、人とまともに対峙できなくなったという点に関して言えば、私はむしろ正常なのではないかと思ってしまう。
私からすれば(例えそれぞれ様々な思いを抱えていたとしても)人間社会の中で普通に生きていけている人たちの方がよほど異常に見える。
自身の感覚
人間が私を厭悪させる原因となるものは、
1.以心伝心の感覚(筒抜けになる感覚)
2.他者の発言・行動が自分に与える心理的効果(意図された刺激)
3.ある状況を誘導するような人の発言と行動(作られた状況)
4.物事の起こるあからさまなタイミング
5.間隙を縫って発生する安寧を妨げる音(人工音)
などだ。
人が発生させる音、一つ一つの所作に至るまですべてに不自然さを感じて苦しくなってしまうのである。ある決まった状況に持っていくように不自然に動いているという感覚が、人との関係を一切絶ちたいと切望する一番の理由になる。
だからこそ、私には一旦すべての人の影響を排除して、物事がどう動くかを実験的に暫く観察していたいという願望がある。
例え一年でも半年でもいい、誰もいない世界で自然の赴くままに生きてみたいな~と心から思っている。