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自分のことなのに「素直な気持ち」ってわからない

新卒入社した会社では、介護系の部署に配属された。

社内で「部署」とは別に「分野」みたいな複数の部署を総称する大分類があって介護は「ヘルスケア」分野に属していた。

わたしは、それにずっと違和感があった。ヘルスケアって、介護を防ぐための前段階じゃないのか。医療系や、運動系とかならまだわかる。そこに介護含むか?ってずっと不思議だった。

介護職の人手不足を解消するって、とても社会的で効果的なことだ思う。

わたしはその山は人に任せておきたいと思ったことがあった。それだけ本気で、解消しようとしている仲間が近くにいたとも言える。

でも、別の理由がもうひとつ。すぐには効果のでないかもしれない、けれどそもそも「介護される人が少なくなること」に興味があるのかもしれないとぼんやり思ったのだ。

それこそヘルスケア。もちろん、どうしたらいいのかわからないでいた。「これだけ介護人口が増加するのを防ぎました」って数値化も難しいし。

ただ、なんかこの「変な命名」が気になっていた。でも多分、きっと深い意味なんてない。上層部がそれっぽい名前をつけただけだ。

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ここ数日、学校が終わったあとの予定を決められなくてモヤモヤしていた。

聞かれるたびに泣きそうになるわたしを見かねた友達が「西洋占星術(ホロスコープ)を読めるから、力になるよ」と時間を割いてくれた。

静かな場所で、説明してくれて「素直になること、やりたくないことはやらない。あせって決める必要はないよ」と。

すっごくそれがありがたくて「ま、そうだよね。やりたくないことはや〜らない。終わったあと、ボランティアで学校に残って考えよう」と食堂に降りてきた。

すると校長先生が、「MacBookから、iPhoneに写真を移す方法を教えて」と。この先生とは、MacBookの使い方を教える代わりに、ありがたい話をしてもらう関係性だ。

いつも通り。先生が使っているMacは、デンマーク語設定で、簡単な作業なのに、てこずる。

あ〜んもうっ!!と自身のデンマーク語力に落ち込み、調べるために一瞬目を離したら、先生が突如、パソコンを使ってわたしを占い始めた。ねえ、写真はいいの??

この先生は、インドの占星術を読める人。昔それで大金を稼いだんだとか。

みんな口をそろえて「アタル」という。たとえば、「一年後、母親になっているよ」と言われて「彼氏さえいないのに、嘘だ!」と思ったら今本当に子どもがいる人がいたり、自分さえ忘れていた昔の病気を言い当てられた人がいたり、とにかくすごいらしい。

インド占星術(西洋占星術とは別)のチャートを見て
「いま辛い?何も決められないでしょう」とひとこと。

そうなのよ、決められなくてさっきも友達に見てもらってたところ。

「AHAHA〜大変だね!2024年前半まではきっと、何をしたらいいかわからない状態が続く。そういう時期、大丈夫!」

へ〜、そうなんだ。そして、二言目。

「Healthに関係する何かで働いていた?」

/ロックオーーーン\
(突然ですが占ってもいいですか?)

え、もしかしてこのタイミングのために「ヘルスケア」って呼ばれていた?と思った。だってわたしが介護をヘルスケア分野だとおもったことは、一度だってないのだから。

「ん〜〜なんのドクターになるつもりなの?」

ドクター?なるつもりないけど、アユールヴェーダはおもしろいなと、この学校に来てから思ってる。

そう伝えると、
「あ〜。これからはホンモノのヘルス、もっと直接的なヘルスに関わるよ!これまでよりもっと直接的な健康に関わるドクター的ななにかだね。」

このひと、さっきまでわたしが30歳だったことも知らなかったクセに、なぜ数年かかえた葛藤を読むのだ。

「てかなんで、TM(いま学校で学んでいる瞑想の種類)の先生にならないの?」

え、そうか。もっとシンプルに考えてよいのか。

ホロスコープを読んでもらった人にも「聖職者みたいな仕事。見えないものの価値の良さを伝える仕事」って言われた。

それを伝えると「オォ〜いいね」とにっこり、ダチョウみたいな顔で笑った。

(マジで似ている)

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最近、すごく焦っていた。

いますぐにでも学校の場所が欲しいなって思っていた。早く場所が欲しいと、考えれば考えるほど「日本に帰って空き家めぐりしたほうがいいの?でも物件を買うお金はないし、デンマークにまだいたいし」と。

数日前に見た、キングコングの西野氏のYouTubeで「場づくりをしたい人は、場より先にコンテンツを作れ」と言っていたこの言葉が引っかかっていたのも事実。西野さんなら本、ホリエモンならロケット・和牛。ひとが集まる場所にはそもそも「作品」がある。

その作品なくして、場づくりなんて無理。場所を作れば出会いやマッチングになるという人がいるけれど、じゃあその最初に来る1人、2人目の人の利益はなんなんですか?

本当にその通りだなと思ったのだ。じゃあわたしの作品はなんですか?と言ったら、何もないのだから。

だから余計に、じゃあわたし何したらいいの?がわからなかった。デンマークに残って、作品を作るとしたら、わたしの作品って何になるの?

それにそのために数年、新しい勉強とかもイヤだ。イヤというか、1日も早く働きたい。お金の面でも、社会的にも新しいことを学ぶのは、現実的じゃない。早くわたしは仕事をしたいんじゃ!!!お金が欲しいんじゃ!!!

でも、現実的じゃないのはどっちなのだろう。誰かもわからない世間体を気にして「(何をやったらいいのか)わからないわからない」とわかろうとしなかった。わからず(わかろうとせず)さきのばし〜さきのばし〜で、今日まで来ていた。

でも急に今日、やるべき道が見えてきた。

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とっってもわかりづらかったかもしれない。でもわたしにとっては感動的なシナリオだった。

きっと自分目線だと、人生は劇的に映る。劇的なんだけど、よく考えたら「素直」になればスグわかることだった。まあそれがクッソ難しいのだけれど。

「素直になる」って、自分の気持ちと向き合って、「いま感じていない何か」を見つけることだと思いがちだ。

でももしかしたら、「何かに隠れているだけで、ずっとそこにある何か」を見えるようにすることなのかもしれない。そのために「人を介す」とスルッと見えてくるから不思議だ。

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このつき
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