見出し画像

足るを知れば、人間は幸せなのか?(書く習慣Day29)

今日のお題は自分にとっての幸せ。

わたしは卒論で「幸せとは何か?」をテーマに書いた。今思うと、なぜ選んだのか分からないほどの壮大なテーマだが、それだけ興味の範囲ストライクということを伝えたい。

わたしにとっての幸せは「健康と時間的余裕、お金の余裕、人間関係にいかに目を向けられるか?」気がする。いや、みんなそうか。ハードルを上げておきながらめちゃくちゃ一般的な話をしてしまった。でも「目を向けられるか?」に重きがあるのでちょっと聞いてほしい。

会社員だった時は、時間的余裕と生き甲斐がもっとあれば、もっと幸せになれると思っていた。健康だったし、お金も正直人と比べたら少ないが暮らせる程度はもらえていたし、周りの人も大好きだった。

にもかかわらず、今以上に、いつもイライラして疲れたと言っていたように思う。今は当時よりお金の余裕がないが、総じて幸せに感じられる。なぜか。

言いたいのはとても普通のことで、どれだけ豊かでも、その豊かさに気づかないと不幸だということ。「足るを知る」じゃないけれど、あるものに目を向ける力。

世界で有数の幸せな国として知られているデンマーク人はこう言っていた。「世界一幸せというけれど、別に私たちが世界一幸せなわけじゃない、現実の中にある幸せに目を向けるのが世界一うまいだけ」と。また、ある引用でこうも言っていた。「恵まれた環境にある、ということがわかっていないことが、日本の人達の最大の不幸かもしれません(谷本真由美)」と。人と比較するのは簡単だが、あるものに目を向けて、自分で「幸せになる」という選択をすることが重要なのではないかと思う。

自分の幸せをわかっていて(Step1)、その幸せに対して貪欲に向き合えている状態(Step2)、て言うのが幸せなのだろうか。

多分、自分の幸せをわかっているだけでは物足りなさがあるし、かと言って幸せをわからずに闇雲に頑張っているのも疲れる。というか幸せにはなれない気がする。言葉にするのは簡単だけど難しい。だから一緒に体現していきましょ。


お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!