
デンマークでの生活は、小さい衝突ばかり
学校でボランティアとして働いている。今日、追加のお仕事を頼まれた。ムスっとしながら「OK〜」と言った。数分後「不満そうだったから、他のひとに頼んだ」と言われた。胸くそ悪かった。
なぜ、お仕事を頼まれて不満だったのかというと、
・わたしが一番働いているから
週で働く時間が決まっていて、それを満たすように自分で名前を書く。自主的に書いたところだけ働く。他のひとは週の規定満たしていないのに、なぜわたしにいう??とムカついた。なめんな、日本人。
・休みの日だったから
週に働かなきゃいけない時間が決まっている、かつ、週2日は休みと決まっている。楽しみにしていたおやすみなのに「やってくれる?」って言われてムカついた。しかも「カンタンだからさ!」って。えーだったら余計に自分でやってよ。
・自分がラクになりたいだけじゃんと思ったから
夜のオヤツの片付けを頼まれたのだが、正直それって翌朝でもよい。というか、通常翌朝の担当が対応している。
なのに、要は翌朝の担当で、オヤツをつくったひとが「朝にやりたくない」のでわたしに頼んできた。
しかもそのひとは、他の日本人が夜にオヤツをだして片付けなかったとき「つくったら夜にちゃんと片付けて」と叱っていたのを知っていたので、尚更「ナゼ?」と理解が追いつかず、不満がふんだんに顔に出てしまった。
ただのグチを終えて、ここからが本題。
これだけ正当(に思える)な理由があって、その仕事をしなくなってうれしいはずなのに胸くそが悪い。
ボランティアを経験している他の日本人も「一度請け負うとずっとコキ使われるから断って正解」「他に働いてないひといるんだから、気にしなくていい」と言ってくれるし、友達がこの立場ならわたしもそう言うだろう。
でも「やりますよッ💛」って言えなかったわたしはダメなんだろうか、とか、大谷翔平だったらやってただろうなともおもう。デンマーク人だったら絶対イヤなことやイヤって言うし、わたしみたいにもやもやしてないはず、どうしているんだ?ともおもう。
とにかく、わたしに未熟さを感じてしまって、非常に不快なのである。
「NO」とちゃんと言うべきだったのではないか、やった方がよかったのだろうか、嫌われただろうか、まあ全然嫌われても気にならないのだけど、その後ネチネチされてやりづらくなったらだるいな、など考えた。
「え、わたしが悪いのか?!?!もっと大人だったらよかったのか?!」と萎えた。どうしたらよかったんだろうか。
でも「嫌われていたらイヤだな」と自分に落ち込んでいるわけじゃないことがうれしい。数年前のわたしだったら「やばい、嫌われた。嫌われるようなわたし、最悪。キライ。」と自分の存在を否定していたとおもう。
そこからNOサプライズな悟りだけれど、日頃の不満はためちゃダメなんだな、とおもう。
もし日々のシフトやこれまでに違和感がなければ「え〜まあやってもいいよ。でも今日休みなんだけどね!夜だからね!」くらいは言えた気がする。
わたしの中では小さいモヤつきが積み重なっていたけれど、他人からしたら「仕事を頼んでも快諾しない女」でしかない。しかもわたしが今いるのは、「察しの国・日本」ではないから余計に、ふてくされてるひとに映っている気がする。
そうおもうと普段から、デンマークという社会は日頃、ちっちゃい衝突をしておくことで大きな爆発を防いでいるのかも知れない。そしてきっと、そのちっちゃい衝突のことを「衝突」だとネガティブに思っているひとはいない。アクビくらいに、日常で起きる生理現象と捉えているのだろう。
「ひとに意見を言う=相手の人格否定」ではないという認識が、たくさんのひとの心に植え付けられるといいな。
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