「しないよね?」は中立なのかしら。
「もうこれ、使わないよね?」といわれた。
とっさすぎて「使いたい!」といえなかった。
このあと、使えなくて大変だったんだよ!という話ではない。
「〜しないよね?」は「〜する?」より中立じゃない気がした。
するか?しないか?を問うという格好は同じなのだけれど、なんか違う。「〜する?」は意思を確認しているのに対して「〜しないよね?」は相手の意思を確認する気持ちが残っていない、気がする。「まさか〜しないよね?」のように決めつけた気持ちが見えてしまう。
今回「使わないよね?」と言った人を責めているのではない。
ただ、この言葉を聞いてふと、
「親切の顔をした決めつけ」を無意識にしてしまっている可能性があるのでは?
「優しいつもり」でも相手に萎縮を与えているのでは?
そもそも普段の関係性がなければ、「いや本当はやりたいです!」と覆すのは難しいのでは?
「いいよね?これで」と言うことは
「(あ〜〜違いますけどめんどくさいし間違ってはないから)はい」
を引き出してしまうのでは?
とおもったのだ。
そしてそれは、「聞く」という、一見相手を尊重しているように見える行為を介しているからややこしい。
相手の気持ちを心から尊重していたい。
尊重されているなと相手に思ってほしい。
相手が尊重されているな、と思わなくても
「無碍にされてるな」と思わない接し方をしたい。
でも大体こういうのは、ごまかしの効かない「とっさの瞬間」に現れる。
いつどこを切り取られても、堂々と生きられるように、普段考えていることが美しくなければいけない。だからやっぱり、美しい考え方を頭いっぱいに、埋めつくして生きていこう。
お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!