(ほぼ)全洋服を失って得たもの
洋服がなくなった。日本からデンマークに戻る際、服がほぼ全部入っていたカバンをなくしたのだ。下着もない。デンマークの部屋に残るのは、捨てようと思っていた服のみ。どれもテンションが上がらないものなので人に譲った。服がない状況をみずから追い込む。妥協して嫌いな服を着ようとしなかったことを、うれしく思う。
こうして物理的に荷物を下ろしたわたしは、精神的にも荷物を下ろすときが来ていた。
言われてみれば、その自覚がある。とっくに別の線に乗りかえているのに、過去を手放せずにいる。手放せていないというより、手放したいなどとも思わないほど無意識に、過去とともに生きている。
今回の短い帰国期間中「これまでのこと、結構どうでもいいかも」と思った。過去の夢も怒りや憤りも、なにがそんなに大事だったんだっけ?と、わからなかった。新しい線に乗りかえたんだなと気づいた。それなのに、過去を抱いて生きている。
「過去」がなくなったら、わたしには何もないと思っているのだろうか。それもあると思う。同時に新しい世界線には、やりたいことが全くないからだとも思った。
いま、成し遂げたいことがない。この世界線には、怒りもなければ届けたい愛もない。関わりのあるひとは幸せでいてほしいと思う一方、どうでもいいときもある。いまの環境でがんばりたいこともないし、かといってやりたくないこともない。あるのはなんとなく「根を下ろしたい」みたいな気持ちくらい。
わたしが今いる線には、なにもない。過去にしがみついているつもりはなかったけれど、過去を想うことで「なにかはある」と思いたかったのかもしれない。怒りと戦うことが仕事で、使命だと思っていたのかもしれない。
わたしが今いる線には、なにもない。なにもないけれど、なにもないことを理由にして、過去という着たくない服を着ることはしない。意外と服みたいに、ないならないでどうにかなったりすることを祈って。
<あとがき>
服はとっくにきっぱり諦めはついているんですが、
やっぱり推しのライブTだけは戻ってきてほしいです。