自分の仕事をつくるまでの過程
わたしオリジナルの仕事をつくる旅が始まりました。
まだ(完)ではないのだけれど、Jr(研修生)を応援したくなるその原理のように、未熟さは武器でもあると信じて、途中経過を残しておく。
そして、いつかあなたがオリジナルの仕事をつくるときの参考になりますように。
7月|夢を手に入れても、不安
デンマークの学校で働くことが決まった。
21歳から夢見ていたこと。
ありえないくらい幸せなこと。
6月まで生徒だった学校で、
8月から夢のようなお仕事が始まるのに、
ちゃんとした仕事がないと
わたしの価値がないように感じられた。
ちなみに7月は夏休みだったので、
昔いた別の学校で
ボランティアをして過ごしていた。
心穏やかな時間を過ごせる場所なのだけれど
暇すぎて、考えすぎてしまう。
何かしなきゃいけないと焦っていた。
期間限定だから?お金の面?
自分にできることはなんだろうと
不安を抱えて、育てて、成長させていた。
でもふと「不安だ」ということで
「今」に集中するのを避けているのだと気づいた。
不安だと言っていれば、
「未来のわたしを信頼している」と
強がらなくて済む。
自信ないですって言ってるのって、
「自信あります」って言うよりも
よっぽどラクなんだよね。
失敗したときの言い訳ができるから。
自分をなぐさめられるから。
だからこんなに不安がっているのかー
不安だと言うことで、
何もしない選択をしていたのかーと気づく。
だから、それを手放す8月にしよう。
そう決めて月末に、このサービスを申し込んだ。
追伸)多分、わたしはこれまでの人生で、
お金に切羽詰まったことがなかった。
もっとお金欲しいぜ〜と思うことはあっても
こんなに苦しんだことはなかった。
両親をはじめとする、
これまでの環境に改めてありがとう。
8月|8月の振り返り
7月、腹を括ったつもりだったのに、
まだウダウダしていた。
あ〜なんかしなきゃ!
わたしにできることってなんだろう!
と行動をしたがってしまった。
行動とは、お金につながるようなこと。
お金につながらなくても
仕事になりそうなカケラを集めたかった。
「今は今ある幸せに集中しよう」
と決めたはずなのに、
未来を見据えては不安を飼い慣らしていた。
今ある幸せを感じることは
得意分野だと思っていたのに、
調子が悪いと全然できないんだと知った。
先述のサービスのizuさんとのやりとりで
わたしは幸せな環境にいると思い知った。
ゆっくり朝に瞑想をして筋トレをして
カフェラテを飲んで
働いているのに時間に余裕があって
平日の日中を楽しむ時間があって
noteを書く時間だってあって
最高の同僚が、いつも励ましてくれて
そんな人たちと一緒に授業を作れて
デンマーク語も学べて
誰かがおいしいご飯を作ってくれて
夜にはこぼれ落ちそうな星を眺めて
日本の友達や家族ともラインができて
家族も健康でいてくれて
これ以上、何を望むんだろう。
もちろんプラスアルファで
欲しいものはたくさんあるよ。
別荘欲しいしとかさ、脱毛と矯正したいしさ
日本にファーストクラスで帰りたいなとかさ
YouTubeプレミアムにも入りたいしさ
noteプレミアム勢になりたいし
旅行もお金気にせず行きたいとか
ほしいの指輪と靴もあるしさ
おじいちゃんに会いに宮崎行きたいしさ。
でも、今この手元にあるものって
これがずっと欲しかったものなんじゃないの?
っていうようなものばっかり。
それなのに「でも、だって」と
ウジウジしてしまって。
「言い訳しない!!!ただ幸せでいる!!!!」
「でもさ、、」
「これ以上何を望むの?!」
「でも、、」
「これ以上?」
「で」
「いらないよね」
このくり返しを何度もして、
少しずつ習得していった8月だった。
急にスピリチュアルっぽくなるけれど、
「内側が満たされたら、外側も満たされる」を
体現するためのテスト期間だったのだと思う。
追伸)8月のふりかえりはコレ
9月|発動コミュニティー(9月10日)
経緯を覚えていないほど、
本当に一瞬で衝動的なものだったのだけれど、
コミュニティに入った。
そこでの気づき。
これを考えていた日にちょうど、
yuriさんとチコリンさんからコメントをもらった。
それがとってもとっても嬉しくて、
上手く言えないのだけれど、
お二人のコメントから直感で
「わたしが見えている世界はこういうものです」
と伝えつづけたら、何かが見えてくるのかも?
ときづいた。(本当にありがとうございます)
9月|試され期間
おもしろいくらいに
試されているようなことが起こる。
たとえばわたしの弱点に
「わたしを好きと言ってくれるひとに甘い」
というのがあるのだけれど、
立て続けに「仕事あげるよ」的な言葉をもらった。
当然うれしいので、うっかり「ハイ!喜んで!!」と
やるき茶屋みたいな返事をしそうになる。
でも、それって本当にやりたいことなんだっけ?
と考えさせられるハニートラップだ。
つい、必要とされていると感じると
嬉しくなっちゃうけれど、負けない。
書きたいことも同じ。
それっぽいものの誘惑に負けちゃいけない。
書きたいことを書くのが先。
9月|単なる「主体性」じゃないのだな
主体的に生きるひとが
増えたらいいなと思っていた。
ざっくりいうと
対話などによる人から認められる経験
→自己肯定感育つ
→自分にも周りにも主体的に生きられる
→問題を解決しようとする人が増える
→いい世の中になるよね
みたいな思考を持っている。
だから安直に主体的に生きられるひとが
増えたらいいなと思っていたのだけれど、
わたしが支えたいひとは、
すでに主体的なひとなのだと気づいた。
これが大きな気づきだった。
主体的に生きるひとが増えたらいいな
と思っていたのに
じゃあ誰のために頑張れるのかと言ったら、
すでに「主体性」を持っているひとだった。
主体性を持っていながらも
社会や仕組みの中で、頑張っているひと。
もっというとギバーのひと。
わたしは頑張っているギバーの、
消えそうになっている火を守ること
火が消えないように見守り続けること
をしたいんだと気付いた。
ではどうしたらいいの?
そのために何をするの?はまだ
わかりません。
それがわかる10月になることでしょう。
to be continued….