【無料記事】本と私(死後)
私の部屋には本が溢れている。
本棚はとうに溢れており、それでも増え続ける蔵書は常に部屋の面積を圧迫している。面倒くさくて机やベッドに積み上げたりするから睡眠や作業にも支障が出る。よし寝よう、とかよし執筆しよう、と思ったらまずは本をどかすところから始まる。
なのでもちろん、本は部屋の床をも侵食している。若い森をもこもこ覆っていく苔のようだ。この部屋がもし何かの理由で廃墟になったら、自然に帰るのではなくまるごと本に変わるかもしれない。
部屋にはびこる本を深夜、眺めていたらふと気づいた。
この本たちはみんな、私が死んだら、この部屋にある意味をなくす。
私といういわば「文脈」によって集まっていた本たちが、私の消滅によって集っていた意味を失う。
見えない紐帯によって相互に接続され、独自のネットワークを構築していた本たちが散逸する。大量の本によって描かれていた巨大な砂絵が一瞬で消え去る。
実に恐ろしいことだ。
恐ろしいことは排除しなければいけない。この恐怖に打ち勝つ方法を考えよう。
その1。生前のうちに、すべての本を手離す。
却下だ。検討する余地もない。断捨離という言葉を聞くだけで怒りのあまり本を買ってしまう私のような人間は、絶対にこの方法を選択しない。
その2。自分の死後、信頼する古書店やしかるべき施設に引き取ってもらうよう頼んでおく。
本たちの第二の人生(本生とでも言うのか)を保つにはこれが一番の方法だろう。誰かと本が出会うきっかけになるかもしれない。とりわけ児童養護施設に渡すことができたなら嬉しい。
ただし、蔵書を一括で引き取ってもらえる幸運はおそらく訪れないというデメリットがある。この一角はうちが、このエリアはあそこが。チーズケーキを切り分けるように、蔵書たちが少しずつ散り散りになっていくのは避けられないだろう。
その3。自分と一緒に本を葬る。
何度か葬式を訪れたとき、個人の眠る棺には大量の花が詰め込まれていた。その花の代わりに、蔵書をすべて入れてもらう。
どれくらいの規模になるかは見当もつかないが、おそらくは二十五メートルプールほどの棺と、それが入るくらいの火葬炉があれば解決するだろう。小説も画集もエッセイも漫画も単行本も文庫も、冷え切った体も、みんなまとめて灰にする。
火葬後は墓に入る気はないから(暗くて狭い場所は落ち着くけれど、そんなところに常時いれば当然気が滅入る)すべて海に撒いてもらおう。足しげく通った浜辺が良い。穏やかな湾から、本を携えて世界を巡ろう。
あれ。
待てよ。
本って水に濡らしたらだめだよね。
ふやけて読めなくなっちゃう。
しかも海って塩水じゃん。傷んじゃうよ。
ああ、どうしたら良いんだ。
BGM
Maison book girl / 闇色の朝
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by un-perfekt
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小説家・此瀬 朔真によるよしなしごと。創作とか日常とか、派手ではないけれど嘘もない、正直な話。流行に乗ることは必要ではなく、大事なのは誠実…