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「すべてのことに意味がある」をめぐる議論

 ものすごく落ち込んでいた時、「大丈夫、すべてのことには意味があるんだよ!だからこれが起きたことも、成長するためにとか何か意味があるんだよ!」と友達に励ましてもらったことがある。

 そんなスピリチャルなこと、今まで信じていなかったけどその言葉でものすごく気持ちが楽になったのを覚えている。

 確かに、仕事でミスした時にその失敗から何か学ぶことができたり、失恋した時に成長できたり、出来事には意味があると考えられる。

 しかし、例えば蟹が好きなのに食べたらアレルギー反応を起こしたとか、そういうことだったら意味があるとは思えないよなぁ〜って思う。

 そう考えたら「すべてのことに意味はある」って言えるのか?
 どこからどこまでの出来事に意味があると言えるのか。

 ということで、今回は「すべてのことに意味がある」という思考について議論を(一人で)していきたいと思う。


 振り返ってみたら過去にあった出来事は今に結びついていることもあればないこともある。

 私は小学校一年生の時に家族の事情でイギリスに引っ越し、3~4年間イギリスに住んでいた。
 その経験は今英語が話せること、そして今の大学(国際的)に通っていることに繋がる。もしかしたら今後仕事で英語を活かす仕事に就くかもしれない。

 私は中学の時に歴史の成績が悪かった。だけどそれは何の意味もなかった気がする。強いて言えば自分は歴史を学ぶことに向いていないことに気づいて今大学で歴史を学んでいないことだと思う。

 そう、この「強いて言えば」だ。

 つまり、物事に対して頑張ればなんでも理由を自分でつけられるということだ。

 だって意味があるかどうか決めるのは自分だから。

 最初に言った蟹アレルギーの例をまた使うとする。私は本当に生蟹アレルギーなのだが、蟹を食べてアレルギー反応が起きてそれに対して私が「これは私がこの世のすべての蟹の命を救う使命を下されたんだ!」と考えたとしたらそれはちょっと無理があると思う。さすがに厨二病すぎる。

 つまり、「すべてのことに意味がある」という思考は、スピリチャルで現象的なことではなく、人生をファンタジックにする少しの現実逃避であり、慰めなのだ。


 落ち込んでいた時友達に「すべてのことには意味がある」と言われて気持ちが楽になったということもあり、最近は何か嫌なことがあったりしたら「ここで頑張れたら何かいいことが待ってるかもしれない!頑張ってみるか!これからどうなるのかが楽しみだなぁ」って自分を勇気づけることが多くなった。
 よって前と比べてだいぶポジティブになったと自分で思う。

 悲しい時や辛い時はこうやっていい方向に少し妄想してみてもいいと思う。

 それはちゃんと現実と向き合ってない、楽観的すぎ、と思う人ももしかしたらいるかもしれないけどそれでもいいと思う。だってこの方が楽しいじゃん。

 私はもっと現実主義的で強い大人になりたいとずっと思っていたけど、案外こっちも悪くないかも、いや、強くはなりたいけど物事に対して肯定的でいたいと最近思えてきた。

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