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#13 ニュース断ちして見えてきたこと

最近、ニュースを見ないようにしている。

毎日毎日、目まぐるしく変わるニュースは、ぼく個人の生活の充実とは、ほぼ関係ないと思ったからだ。

それに知りたいと思ったら、供給過多気味のネットで検索すれば、いくらでも情報を得ることはできる。

そうでなくても、TwitterやLINEなどのSNSもニュースで注意を引こうとしてくるので、むしろ意識的にニュースを断たないと、迫り来るニュースで頭がパンクしてしまう。

芸能人の誰それが、どーした、こーした、というニュースや、政治家の誰それが、誰かと揉めて、謝罪したとか、しなかったとか、そんなニュースを目にして一喜一憂するのに、自分のエネルギーをさくのは勿体ない。

たまに、電車の中で、紙の日経新聞をガサゴソ、ガサゴソと忙しなく折り畳んでは、折り返しとやっている輩がいるが、そこで得た情報は実際どの程度、彼らの仕事に役立っているのだろうか?

そこで得た現状把握が、その日の仕事の判断に役立つのかもしれないし、または、単なる同僚との雑談のネタになるだけなのかもしれない。世捨て人一歩手前のぼくのような人間には、その真意は不明だ。

因みに、ぼくが都心に向かう通勤電車で見かける乗客達は、7割がスマホでSNSやらネットニュースを見ている、1割がぐっすり寝ている、1割が親の仇のようにスマホ画面を叩いてゲームをしている、1割が紙の本を読んでいる、といった割合だ。

つまり、朝からジャンクな情報に触れまくる習慣でも、日本のリーマン稼業は充分成り立っている、というわけだ。

どこかの誰かが殺されただの、日経平均株価が急落しただの、どこかの市長が辞任しただのといったニュース一つ一つの細部まで想像を働かせ、我が事のように受け止めていたら、この世界には、あまりに多くの絶望が溢れていて、正気ではいられないだろう。

ニュースの中で描かれることは、自分の生きている世界とは違う世界で起きていることだと認識することで、ぼく達はなんとか正気を保っている。

ところが最近、世捨て人一歩手前のぼくのような人間も、少し事情が変わってきた。

これまでコロナ禍になろうと、ぼくは本質的には、ほぼその影響を受けていなかった。
もちろん、いくつか流れた仕事はあったし、海外旅行へも行けなくなってしまった。

でも給与はビフォワーコロナも、ウィズコロナも、変わらず低空飛行のまま。

つまり、あまり変わらなかった。

しかし、ここに来て、ぼくがしている仕事の一つ、講師の仕事の給与が若干値下がりしてしまった。
これは世の中の不景気の煽りなのか、それとも、ぼくの能力不足か。
やり甲斐があり楽しい仕事なので、多少給与が下がっても、働かせて貰える限り働くつもりではいるのだが。

そして、高齢の両親のワクチン問題。
安全性が不確かなまま、慌てて接種すべきものなのかどうか。

やれやれ、ということで、高みの見物というわけにも行かなくなってしまった。
玉石混交のニュースを見分けていかなくてはならない。
まったく、"とかくに人の世は住みにくい"だよ、本当に。

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